すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

転院先リハビリ病院の選択

【長文】



母の入院予定は、2週間だ。


その後、リハビリ病院へ転院する。





ソーシャルワーカーさんから、
早速、

転院先の希望を
聞かれた。






母は、
8年前、
腰椎圧迫骨折で

整形外科病院に緊急入院した。



そして、
その後、
リハビリ病院に
3ヶ月、入院した。




その時は、
こちらに

何の打診もなかった。




一方的に、
転院先が決められた。




そのリハビリ病院=
○○病院は、
母の家からは、

バスで30分くらいの場所だ。





かし、
私の家からは、
片道90分の距離。





私は、
数日おきに、
洗濯物を詰めた大きなリュックを背負い、

懸命に通った。





そして、
退院後は、
母がその前年に見学して気に入った老人ホームへ

入居した。






その老人ホームも、
母の家からは近いが、
私の家からは、
片道1時間の距離だ。





そもそも、最初に、
私が
母を見学に連れて行ったのは、
私の家から
40分の老人ホームだった。




ところが、そこを、
母は
気に入らなかった。




母は、
「静かすぎて寂しい。

こんな所はイヤだ」と
暗い顔で言った。




しかし、
どうやら、


母の家から遠く、
全く土地勘のない、
見知らぬ土地であった事も、
母には不安であり、


それが
大きく作用していた様子だった。




それで、私は
仕方なく、次に、
母の家から15分の所を、
見学先に選んだ。





その老人ホームは、
規模が大きめで、
元気に談笑している入居者たちも居て、
母は

気に入った。




「ここは、にぎやかで良いわ!」と
母は

喜んだ。




もちろん、
自分の旧知の土地である事も
大きな安心材料になった様子だった。






そもそも、初め、
母は、
「老人ホーム入居」自体に、
大きな拒否反応を示していた。




「老人ホームなんて!!」と、
「とんでもない!!」という口調で

母は
言っていた。




母の知人に、
(そもそも、
母の知人など、一握りしかいないのだが)


老人ホームへ入った人が
1人も居なかった事も
大きかった。





だから、
私としては、

とにかく、


自分の都合よりも、
母が

入居に同意する施設であることが
最優先だった。





めでたく、
入居が本決まりになりそうになった時、


長兄が、
母に、突然会いに来た。




そして、
「お母さんの年で
老人ホームに入れば、
1年で死んでしまう。


そういう、国で調べたデータがある。


それで良かったら、入りなさい」と


母を
たぶらかした。





長男を誰よりも深く信頼する母は、
猛然と、
私に向かって激怒した。





「老人ホームなんか、
絶対に入らないからね!!」と


満身の力を込めて、
母は、

私に絶叫した。




長男を盲信し、
逆上した母に、
日頃から
母に嫌われ、侮蔑されるだけの
私が反論し、

説得出来る余地は、ゼロだった…。





しかし、
その半年後、
母は

重い新聞紙の束を持ち、
腰椎圧迫骨折に

襲われた。




激痛で
身動き出来なくなり、
私に、

SOSの電話を寄越した…。






また、
今から3年前、
母が転倒・骨折し、


やはり
整形外科病院へ緊急入院し、
手術後に

リハビリ病院へ移る際には、


ソーシャルワーカーさんが、
「娘さんの家の近くが良いのでは?」と


私に
言ってくれた。





それで、
遠方へ通うのに辟易していた私は

喜んだ。





ワーカーさんが候補として挙げてくれた
私宅から40分のリハビリ病院=
××病院を

お願いした。





××病院へ転院する日、
母は、私に
「老いては子に従えと言うからね」と

言った。




しかし、それは、
母の「本音」ではなかった。



渋々、
無理矢理、口にした
「建前」に過ぎなかった。





母は、
××病院へ到着するや否や、
固く

身をこわばらせた。





スタッフさん達の色々な語りかけや誘い、
全てに、
拒絶反応を示した。


あれこれ、
一切を拒否した。




それは、
あたかも、
2枚貝が、
殻をピッタリと閉ざしたかのようだった。





それでも、
リハビリが始まった。





しかし、
2、3週間経ったところで、
母は、

激痛を訴えた。





レントゲンの結果は、
釘が、上にズレていた。



骨粗しょう症のためだった。






手術した整形外科病院へ、
母は、逆戻りした。




今度は、
「人工股関節」手術を

受けた。






そしてまた、
リハビリ病院へ

転院する事になった。





私の選んだ××病院への
母の強い拒否反応を
目の当たりにした私は、


そこへ戻す事は、
断念せざるを得なかった。





私は、
仕方なく、
母が最初にリハビリ入院した、

○○病院を希望した。




母の態度は、一変した。



「昔懐かしくて嬉しいわー」と、
母は、

嬉々として転院した。






…こんな訳で、
今回、

希望を聞かれた私は、


「第1希望は、
ぜひ、

過去2回お世話になった、
○○病院でお願いします」と
申し出るしかなかった。




「では、
第2希望は、
やはり入院経験のある
××病院にしますか?」と
問われた。




「いいえ、
××病院は、
私が私の都合で選んだという事で、
母が

強い拒否反応を示しましたので、
今回は

希望しません」と、


私は、
ハッキリと答えた。





「では、
△△病院はどうでしょう?」と
提案されたのは、


私の家からバスで15分。


非常に行きやすい場所にあった。




私は、
「あぁ、そこなら、
私宅からとても行きやすいので、
良いかも知れません」と
喜んで答えた。





「では、第二希望は、△△病院で」と
話が
まとまった。




しかし、
電話を切った後、
私は、

ふと気がついた。





話し好きの母は、
必ず、
「そこは、どこですか?」と
ワーカーさんに問うだろう。




ワーカーさんは、
「□□です」と、
土地の名を

答えるだろう。



すると、
母は、
そこが私の居住区内だと
すぐに知るだろう。




すると、母は
更に、
□□が、私の居住地の近くか否か、
確認するだろう。




そして、
やはり「近く」なのだと、
すぐに

知るだろう。




そうすれば、
母は、
また、
「娘の都合で、無理矢理に行かされる」と
思い込むだろう。




再び、
強い嫌悪感を抱くだろう。






…そういう事態は、
避けるしかない…。






ワーカーさんが、
もう一つ、候補に挙げていたのは、
私宅からは、

1時間半の病院だった。





つまり、
第1希望の○○病院と同じ位、

通いにくい。





しかし私は、
あえて、
そこを第2候補として、
お願いする事を

決意した。






母は、
私を
「自分の手足」として、

考えている。




手足は、
本人の意のままに
動かなくてはならない。


本人より下位の存在だ。




手足が、
自分の意志を持ち、
本人より上位となって、
本人を動かすことは

あってはならない。




母にとって、
私は、

どこまでも母に従うべき、
下位の存在なのだ…。






…実に、惨めだ…





しかし、
半ボケ状態にある母は、
正しい現状認識が出来ない。




母は、
正しく現状認識出来ないまま、


何十年も前の、
過去の記憶と

過去の判断基準で、
ものを考えている。





だから、
娘の私は、
母にとって、
「母より劣った、母より下位の存在」
「母に従うべき存在」なのだ。





その母の思考を、
今更、

変えることは出来ない。




こちらが、
母に

合せるしかない。





私は、悲しい。


怒りを感じる。





夫によれば、
昨夜、

真夜中の2時に、


私は、
何事か大声で、
誰かに向かって、
必死に
抗議し、
叫んでいたそうだ。



(私自身は、記憶していない。)






当分、
行き場のない怒りと悲しみが
モヤモヤと、
続くのだろう…。





この、どす黒い雲を見ないようにして、
雲の上の明るい青空だけ、
見ていられたら、
良いなあ … … …。







両親は、

長い年月、
「自分達の老後をみてくれる」と
長男に
大きく期待し、
勝ち誇って自慢していた。




その長兄が、
ある日、突然、
数年ぶりに
私に電話して来て、
こう告げたのは、
今から
18年前だった。




何気ない世間話に続けて、
彼は
唐突に、
とても軽い調子で、

スラスラと淀みなく、
こう言った。




「実は、
自分は、
こちらにマンションを買った。


この事は、
両親には
伏せておいてくれ。


ついては、
アンタに、
両親の家が建っている土地をやろう。」



(これは、
長兄のセリフを、
そのままに、
再現したものだ。


私が
省略して短くした内容ではない。


そして、
長兄からは、
事前にも
事後にも、
一切、何の補足説明も
なかった。



彼は、途中、
私の反応を伺うために
言葉を切ることもなく、
一気に
一方的に
話し終えた。)





あまりにも唐突な
ぶっ飛んだ話に、
私は
息を飲み、
呆然とした。




あまりにも
思いがけない
内容だった。



唐突過ぎる上、
あまりにも
一方的な内容だった。



私は
唖然とした。



話が飲み込めず、
言葉が出て来なかった。



何一つ、
返答する事が
出来なかった。






しかし、
その後の彼の言動からすると、
長兄は、
この簡略な、
しかも
完全に一方的な
独善的で
自分勝手な通告によって、
全ての事を
決したつもりらしかった。




すなわち、


・自分は、両親を見ない。


・それは、両親には、伏せろ。


・代わりに、お前が、両親を見ろ。


・代償として、
 両親の家が建っている50坪の土地を
 お前にやろう。




長兄は、
自分の言いたい事だけ言うと、
あっけにとられて無言のままの

私の反応を
無視して、
サッサと
電話を切った。





私は、
電話を切られた後も、
呆然として、
開いた口が
塞がらないままだった。





その時から遡ること17年前、


母は、
「長男の嫁が、
『お父様お母様の面倒は私達が見ますから、
どうぞ、ご安心下さい』と
言ってくれた!」と


鬼の首でも取ったように、
勝ち誇った態度で、
私と次男夫婦に

自慢したのだった。




その態度は、
同時に
あからさまに、
次男夫婦と私を蔑み、

侮辱するものだった。





そして、
それから12年間の長きに渡って、
両親は、
老いて行きながらも、
年金の中から必死に遣り繰りし、
総額1,000万円を、

長男に
仕送りした。





両親にとって、
「長男が自分達を見る」と言う事は、
「明々白々たる未来」だった…。





両親は、
私にも、

次男夫婦にも、
あからさまに、

そのような態度で
振舞い続けていた…。



父は、
ハッキリと
「ワシは、
長男に見てもらう」と
明言も
していた。






… それなのに … … …。






長兄から
一方的な
身勝手な電話を受けた当時の私は、


長兄を、
「父の犠牲になった可哀相な人」として
見ていた。



だから、
「長兄が

これ以上、
父の犠牲になることは
可哀相。


私が
可能な範囲で
長兄に
助力してやっても良い」



考えていた…と思う。




当時の私は、
長兄を
「善良な人」として
見ていた…。



相互に
協力が可能な相手だと
見ていた。




しかし、
それは、

完全な
大間違いだった。




長兄には、
「善良」のカケラも
なかった。




彼は、
ひたすら、
「エゴの塊」。


「身勝手なワガママの塊」。



それだけの存在…
だった…。




それなのに、
当時の私は、
それに

微塵も
気づかなかった。




長兄を助け、
長兄を喜ばす事が出来るかもしれないと
愚かにも、
思っていた。




当時の私は、
あまりにも、
愚か…

だった…。





私の誠心誠意の奮闘努力に対し、
長兄が
浴びせかけて来たのは、
罵倒と
非難攻撃だけ…だった…。






母が、
大腸癌で入院・手術したのは、
その長兄からの電話があった、

翌年の事だった。





父が、
アルツハイマーだったため、
私は

1人で、
てんてこ舞いした。





そして、
それから数年後、
父が、

ますますボケた末、
死んだ。



そして、
母も、
半呆けになって行った。





たしか…、
母が
癌で入院した頃の事だった…と思う…。





長兄が、
「お前は、
何で、
そんなに
実家から離れた土地に住んでいるんだ!」と
私を、
メールで、なじって来た…。





自分自身は、
両親をみる事をほのめかして、
長い間、

両親から
金をせびり取った…。



しかし、
イザとなったら
見事に裏切った。


実家から
遙か遠方に住まいを定め、
一切、

知らん顔を決め込んだ…。




その人間が、



「長男がみる」と
長年
両親から信じ込まされた上、
両親の近くに住む事は
両親への嫌悪感から避けた私に向かって、


「何で、
そんな遠くに住んでいるんだ!」と


なじるとは… … …。





私は、
今も、
開いた口が

塞がらない … … …。






※※
実家の家・土地は、
3年前、
私がまず、
母を説き伏せ、
処分の同意を得た。



大量降雪時に
隣家に
深刻な被害が出そうになったからだ。



私は
長兄にもハガキを送り、
同意を依頼したが、
長兄は、
またしても
知らん顔を決め込もうとした。



しかし、
最後は、
母の必死の説得電話により
ようやくに
長兄も意した。



私が処分を実行した。



土地代金は、
キレイに
母に1/2。
3人の兄妹で1/6ずつ、
分けた。





とにかく、
私は、
事を構えて
これ以上
争いたくない。




もうこれ以上、
誰とも争わず、
生育家族と
完全に
サッサと

サヨナラしたい。




私の望みは、
それだけだ… … 。