すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

息子が選んだ道

私の父は、
75歳頃から、

ボケ始めた。







30分対面していると、
5分ごとに、
同じ内容を
私に

話しかけて来た。







そして、
次第に
話さなくなり、


ソファで
居眠りばかりするようになり、


89歳で
死んだ。








父は
30代の頃、
実家から放逐され、
実家から遠く離れ、


生涯、
一度も帰らなかった。








私が
物心ついた頃、


父は、
毎日のように
興奮して
自分の母親の悪口を

言い募り、


「極悪人」として、
激しく

攻撃していた。







しかし、
数十年後、


父が60歳頃に、
父は
実家の母親と、

何度か
手紙を
やりとりしたらしい。






父は、
自分を認めなかった母親に、
自分を

認めさせたくて、
必死だったのだろう……。









私の母の話では、
父は、

死ぬ1年ほど前、


突然、
こう言ったそうだ。









「父と母に、会いたい。」








母は驚いて、
「もう、死んだよ」と、
父を
仏壇の前に

連れて行った。






父は、
仏壇に
手を合わせたそうだ。








人は、
老いて

死が近づくほど、


幼時の記憶が
生き生きと甦り、
その世界に身を浸し、
懐かしむようだ。






父も、
無力だった
幼児の頃の記憶が
鮮明に甦り、


自分の保護者だった
両親を
恋しく
思ったのだろう。








私が
息子を思って告げた言葉を
「自分への攻撃」と

受け取り、


私を嫌い、
私に
「絶縁」を申し渡してきた、
私の息子……。







彼が
私を

恋う気持ちになることが
今後もし、

あるとしたら、


それは、
やはり、
私の死後なのだろう……。









「障害」が、そうさせるのだ
としても、
なんと悲しい

「障害」だろう……。








要は、
「自閉症傾向」という

「障害」は、


切っても切れない、
「親子の情」を、


言葉にできないほどの
「深い絆」を、


共有出来ない
「障害」なのだ……。









悲しいのは、
私だけなのだ。








怒りに燃えた息子は、
私を許せず、
私を

「忘れりたい」だけなのだろう……。








私に
出来ることは、

何もない。







私には、
「忘れ去られる」ことしか、
出来ない。







それが、
息子が
選んだ道なのだ……。