すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

7歳の私の恐怖

7歳の時、
ある日
突然、
母に言われた。




「お産はねえ、
痛くて、苦しくて、
障子の桟が歪んで見えるんだよ。」




その時の、
おどろおどろしく、

ゾッとするような、
暗い地獄の底から響いてくるような
母の声色は、
忘れられない。




母は、
その他には、
何も言わなかった。





7歳の私は、心底、恐怖した。





自分がお産をするのは、
いつか、

ずうっと、遠い将来だとは、
思った。





それでも、
幽霊や、お化けより、怖いと
思った。





それまで、
一番怖かったのは、
あの臭い、
汚い、
大小便に満ちた、
ポットントイレの便壺の中だった。





しかし、
それ以来、
私の中で
最も怖いものは、

「お産」になった。





あの時、
母は、
なぜ、あんな事を
私に言ったのだろうか?





第1に、
自分の受けた大きな苦痛を
分かち合い、共感し合う相手がいなかったので、
将来お産をするであろう、
手近な同性の私に、
分かち与えたかった。



苦痛体験を
誰かに吐き出し、
ラクになりたかった。





第2に、
同性の女であるが無知な「後輩」の私に、
先輩風を吹かし、
脅してやりたかった。





第3に、
「アンタのせいで、
私は大きな苦痛を受けた。
みんな、アンタのせいだ」と
私に告げ、
私を責めて、
意趣晴らしをしたかった。






(この私への発言以前、
私が
5、6歳頃から、
母は私に、


「アンタは1歳の時、
股関節の病気になって、
通院・入院をした。


それで、
自分は
大変な苦労をさせられた」と


何度も繰り返し、
私を

責めていた。)






1~3の気持ちの中には、
まだ7歳の子が

その言葉を聞けば、
どんな恐怖を持つか…
という配慮は、
カケラもなかった。






母は、まず、愚かだった…。





そして、
冷酷で、
意地悪だった…。






母は、とにかく、
自分が
ラクになりたかった。






そのために、
幼かった私を、
「毒の吐き捨て場所」として
利用したのだ…。







そして、
その母の習慣は、

60年、
今も、続いている。