すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

この道を耐えて行く

【長文】



この頃、
ようやく気づいた。




要するに、
私は、
生育家族のための
「生け贄」だったのだと…。





コイツは、


出来損ない。


カタワ者。


とんでもなく性格が悪く、


心も、身体も、醜い。


頭も悪い。


親の恥。


一家の恥。





そういうレッテルを
両親により、
私は
幼い頃からベッタリと
全身に

貼り付けられていた。





初めは両親、
そして徐々に、長兄も加わり、
その3人が

仲睦まじく、
一致して
一つの価値観を共有していた。





すなわち、
「長男最高・末妹最低」
という教義の元に、
彼らは

数十年間を生き、
その教義を、

更に強固に
大きく形成して行った。




その間、
彼ら3人は、


「長男は、
能力・人格共に、最優秀。



いずれ、
立派な学者となり、
親の面倒も見る」という


夢と幸せと栄光に酔い痴れつつ、


私を見下げ、
蔑み、
非難攻撃し、


それによって、


「自分達には非の打ち所がない」と
自己正当化し、


同時に、
自分達のストレスを

解消していた。





次兄は、
その3人の生き方を

見ていたはずだ。



しかし、彼は
見て見ぬ振りをした。

常に

彼らと距離を置いた。



そして、決して
私の味方をすることもなかった。



おそらく、彼は
やはり
冷たい視線で
私を見ていたのだろう。




そして、一方で
次兄は、

母親とは、
密かに親密性を保っていた。






昨日の
母の手術成功後、
次兄は、
初めて感情を露わにしたメールを
私に

返信して来た。




そこには、
素直な大きな喜びが満ちあふれており、
私を驚かせた。





やはり、
「母と息子」という異性の親子間には、
同性の親子にはない、
特別な「甘い愛情関係」があるのだな…と
私は

痛感させられた。






長兄が
46歳で

12年間の留学から
浦島太郎の如く帰国し、


そして、


「自分らの面倒をみてくれる」と
信じ込んでいた両親を
見事に裏切り、
老親を見捨て、
知らん顔を決め込んだ当時…。




その時こそ、
父も、母も、
それまでの

偏った価値観を
大転換しなくてはならなかった…筈だった。





しかし、
「長男を諦めた」のは、
父だけだった。





そして、
父はボケていたため、
母にすがりつき、面倒を見させるだけで、
人生を終えた。





母は、
おぼろげながら、
自分が見捨てられた事を理解したと思う。




しかし、
母は
長男を溺愛するあまり、
「自分の面倒を見させるのは、可哀相だ」
という考えを

根底に、ずっと持っていた。




その上、
長年「長男は、最高の親孝行者」と
自分自身に刷り込んだ母の頭の中は
簡単には

切り替わらなかった。





母は、まず、
「長男がああなったのは、すべて嫁のせい」と
考えた。



「長男は悪くない」と
長男を

正当化した。




そして、
現実生活においては、
もともと


「自分より下の、人間以下のカタワ者」として
長年侮蔑して来た私を



「下女」として
自分のために働かせる事で、
自分自身を救った。






そして、
そのままの状態で、
20年が過ぎた。






これが、
私と生育家族との「関係」だ。





長兄が
金ほしさのために、
母が今の老人ホームへ入居することを妨害し、
同時に

私を激しく非難攻撃した時、
私は深く傷つき、
心身を害した。





その時、
私が助けを求めた次兄は、
私を無視した。




母は、
何が起こったのか、理解しなかった。




私が長兄に
どんなに苦しめられたか…



そして、
その問題は

未だに解決しておらず、
母が死ねば

その攻撃が
また再燃しかねないことも、
母は関知しない。



考えない。





結局、
母は、
私に対しては、
ひたすら「無関心」なのだ。



母は
私が
どうなろうと
構わないのだ。




一方、母は、
長男が未だに

可愛くて堪らない。





だから、
長男が不利となるようなことは
絶対に、したくない。



遺産も、
「3人平等に残したい」と考えている。




私と長男との関係については
母は
「長男が悪い」との結論に達した。



しかし、
なぜ、
長男がそんな不埒な振舞いをしているのか?


その根深い理由など、
考えようともしない。




あるいは、
彼女の能力では、
考えられない…。






とにかく、
私は、
自分の生育家族を思うと、


とてつもなく不快な暗く冷たい泥沼に
頭から全身を引き摺り込まれ、
窒息して

溺れ死にしそうになる。






私は、
生育家族から逃げたい。





逃げて 逃げて 逃げて 逃げたい。





しかし、
99歳の母から
私は、

逃れられない。





昨日、
私は、
とりあえずの長兄との軋轢から逃げたくて、
母の生還を
必死に祈った。





しかし、
私の
「本当の解放」は、
「母の死」による…しかないのかも知れない…。






今朝も、私は
母に
「今は、起き上がるだけでも大変でしょうが、
寝た切りにならないために
リハビリを頑張って下さい」と
速達で

手紙を送った。





母は
私の手紙だけでは喜ばないから、
母を喜ばすため、
夫にも、一筆したためて貰い、同封した。






母の生死は、
誰の意のままにもならない。





しかし
母が生きるなら、
出来るだけ、快適に生きて欲しい。





そのために
私は
出来ることをする。




それだけだ。






自分を犠牲にし過ぎないように
気をつけながら、
淡々と、

母のサポートをこなして行く。





それしか、道はない。





母のサポートをすること自体、
私には

苦痛だ。





しかし
それでも

私には
耐える道しかない。