にんげんだもの
ふと、疑問が湧いた。
初めて湧いた疑問だ。
私は、両親から愛されずに育った。
両親に代わり、愛してくれた人もいなかった。
その私が、息子を、本当に愛せたのだろうか? ?
私は、「愛した」と思ってきたが、
それは、「本物の愛」だったのだろうか ? ?
私の「愛しかた」は、正しかったのだろうか … ? ?
私の親は、とことん、私を「支配」し、私を「否定」した。
そのために、私の前半生は不幸だった…と、私は分析した。
だから、私は、息子を「支配」せず、「否定」しないように、気をつけて育てた。
息子の意思を尊重し、息子の気持ちを思いやり、
息子が悲しめば悲しみ、喜べば喜んで過ごした。
しかし…、私は、
ぽかぽかとあたたかいお日さまのように、息子にやわらかく降りそそいでいたか?
春のそよ風のように、息子にそよそよと吹いていたか? … というと、
あまりにも、日々忙しく追いまくられ過ぎ、
目の前の義務の達成に必死過ぎ、
常にピリピリし過ぎ、
何事か起これば、ギャーギャーガンガン息子を怒鳴っていた…。(>_<)
すなわち、
どこまでもゆったりとしたのどかさや、のびのびと果てしなくくつろげる心地よさを、息子に与えていなかった…ように、反省される…。
そして、今、思えば、
その、あたたかいやすらぎや、ゆったりとした心地よさこそが、「愛」だったのではないか?… とも、思えるのである。
いずれにせよ、私自身が「愛される心地よさ」を体験しないまま、親になってしまった。
つまり、本当の意味で、
息子に、「愛を伝えること」は、私には、そもそも不可能だったのではないか…。
私は、子を持つべきではない生い立ちだったのかも知れない…、という気すらする。
ごめんよ、息子…。
このことを、夫に話した。
夫の返事は、
「完全な人は、いない。お前はお前なりに、よくやった、と俺は思う。」
なるほど…
にんげんだもの … か …。