すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

息子が私を嫌う理由

なぜ、息子は、あんなにも私を嫌うことになったのか… ? …


…考えている。




本来なら、高校生以降、私は息子と、「距離」を置くべきだった。


そうすれば、こんなにも大きな「衝突」「不和」も、生じなかった筈だ。



ところが、それがかなわぬ「特殊事情」があった。




息子の、ある「趣味」に対し、
特別に関わり、息子の活動を支えなくてはならない立場に、
私は、いつのまにか追い込まれてしまったのだ…。



それは、ある事情から、特別に困難な仕事だった。




私にとって、「人生初の試練」の連続、と言っても誇張ではなかった。




同時に、夫もそれに巻き込まれた。


家庭が、その問題のために、嵐の渦中に置かれ、吹き飛ばされそうになることが、何度もあった。




そして、それは数年間にわたって、続いた。



ある日、「もう、ダメだ。これ以上は耐えきれない!我慢の限度だ!」
と、思わざるを得なくなった


私は、息子にそれを告げた。



「もう、活動から撤退してくれ」と、言った。


それに対し、息子の答は
「やめさせられたら、死ぬ」…だった…。




超臆病者の私は、その脅しに、抗しきれなかった。


私は、仕方なく、その活動を無理矢理に継続した。




それは、予想通り、一層、泥沼の戦いだった。


私は、苦しみ、悶えた。



私がこんなにも苦しんでいるのに、
のうのうと恩恵を享受し、自分でやるべきことも私任せにして甘え、怠けている息子に、
怒りを抑えきれず、怒りを爆発させてしまうことも、しばしばあった。



そして、それが、
「遅すぎた反抗期」に大突入した息子の大反発を買った。



今、冷静に考えれば、
私は、「無理にやる」ことは、なかった…。


あんなにも「頑張る」ことは、なかった…。


「無理なこと」は、やらず、無力に呆然と立ちつくす…。


それだけで、良かったのだ…。




そうすれば、外圧により、
息子の活動は、自然消滅しただろう…。



そうなれば、息子もあきらめるしか、道がなかったろう…。


他の趣味に転ずることも、可能だったろう…。


そうなれば、
息子にとって「挫折体験」とはなったろうが、
それはそれで、息子の人格形成に、深みと奥行を与えただろう…。



私と息子の深刻な衝突も、生じなかったろう…。



そもそもが、
たかが「息子の趣味」だったのだ…。


たかが「子どもの趣味」のために、
親があれほど辛い大変な経験をする…など、
本来、あってはならないことだった…。



また当時は、
その活動の「プラス面」を、私は高く評価していた。


しかし、今になってみると、
その活動の「マイナス面」も大きかったことが解る。


息子に、ある「悪癖」をつけてしまった…。



だからこそ、一層、
あんなにも親が犠牲になって息子の活動を支える必要はなかった…と、思う。



しかし、全ては、過ぎてしまった。



もう、事は起きてしまった



私が、「息子の為」を思いすぎ、
「息子の為」と思って、頑張りすぎた…。



その結果、私は
息子から、こんなにも、嫌われることとなった…。



過ぎたるは猶及ばざるが如し… 😢