過ぎたるは猶及ばざるが如し。
息子が去って、3日経った。
私が息子に、心を込めて手作りした10数年分のバースデーカードが、
「ゴミ」として捨てられた。
これが、「息子と私の関係」を、象徴している。
なぜ、私は、あんなに、
息子に躍起となって、のめり込んだのだろうか?
もちろん、生まれて数年は、子どもは全く無力だ。
だから、親の全面的支援が必要だ。
けれど、小学生になった頃から、
親は、徐々に子どもとの距離をとることが必要だったのだ。
物理的にも、心理的にも…。
けれど、息子は、
高校生になっても、「○ちゃん(私の名前)と結婚したい!」と、叫んでいた。
私は、「異常だ。困った…」と思いながらも、
どうすべきか?…解らずにいた…。
息子が視野狭窄的に一つ事にのめり込み、結果的に、「かなり幼稚な精神年齢」だったことは否めない。
だからこそ、私の方から、息子と、距離を置くべきだった…と、
今にして解る。
けれど、私は、高校生の息子がまだ幼稚園児であるかのように、
せっせと世話を焼き、細かく心配りをし、日々、息子の機嫌を取り続けた…。
結局、息子は、
私の「心の恋人」だった…。
なぜ、私はそんな風にしてしまったのだろうか?
私の親は、かつて、私がまだ幼かった頃から、
私をいろんな側面から否定し、非難し続けた。
幼かった私は、既に、生きることが辛かった。
こんなに辛いのに、「人はなぜ、生きるのだろうか?」
7歳の時には、すでに深く、私は悩んでいた。
中学生で自炊生活をさせられ、そのまま、高校は進学校へ進学させられた…。
親が強いたその生活に耐えられず、苦しんだ、私の思春期…。
それでも、18歳になった私は、ようやく、自立して生きる針路を定めた。
しかし、父は、その私の意志を、一言で否定し去り、
自分好みの進路を、私に強制した。
大学も、仕事も…。
父は、「親が一番、子どものことを解っている」と、自信満々に言い放った。
しかし、それは、完全に間違っていると、
今にして解る。
本人の心の内奥は、本人にしか、解らない。
そして、どんな道を歩んでも、その喜びや苦しみを味わうのは、本人である。
親ではない。
だから、本人の人生は、本人のものだ。
本人に、決定権がある。
父が強いた人生に、やはり馴染めず、
何年も苦しんだ挙げ句、
私は、「精神的引きこもり」になった。
そして、二度とない、貴重な若い時代を、棒に振った。
長く、「精神的引きこもり」を続け、
暗い壁の内側に、ひとり膝を抱えて座り込み続ける
無為な時間を過ごした…。
それでも、立ち上がり、
「人生をやり直そう…」と、決意し、
夫と見合い結婚したのが、40歳過ぎ…。
「できないだろ」結婚だったが、
思いがけず、すぐに子に恵まれた。
40歳を過ぎて持病もある弱い身体に鞭打って、怒濤の子育てが始まった。
「この子を、絶対に、私のような不幸な子にしない!」が、
私の子育てスローガンだった。
「この子の笑顔が、私の幸せ」…。
そういう毎日を、夢中に過ごした。
しかし、
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
私は、過剰にやり過ぎた。
少なくとも、息子が中学生になった時には、
もう、息子を、自分の生活の中心に置くべきではなかった。
もう、「自分の生活」を始めているべきだった…。
「息子の幸せ = 自分の幸せ」
「自分は二の次、三の次」ではなく、
「自分の幸せ」を、追求しているべきだった。
「息子のため」と思ってしたことが、
そうではなかった…。
私は、息子に依存し、
息子にしがみついていただけだったのだ…。
それが、やっと、今にして解る。
ごめんよ、息子…。
迷惑だったよね…。
愚かな母を、許して下さい。
でも、私は、
父のように、「子どもを支配」しなかった。
母のように、「子ども(私)を憎悪と蔑みの対象」にしなかった。
私は、「世代間連鎖」を断ち切った。
それだけでも、私は、達成した。
ただ、私の失敗は、「長く愛しすぎた」ことだろう。
もっと早く、「子離れ」していれば良かった…。
子離れが先延ばしになり、
成人後も同居が続いた挙げ句、
軋轢が強烈になった。
だからこその、この今の激烈な苦しみだ…。
高橋源一郎氏が、人生相談で
「子が成人したら、一瞬でも早く、家から出て行かせるべき」というような事を書かれていた。
本当に、その通り!!
最初は、下宿生活を嫌った臆病者の息子が
「家に残る」と決めた。
私は、しぶしぶ同意した。
その後、大事な時期に「出ていく」と、突然言い出した息子を、
私が過剰な心配と、「経済的理由」で引き留めた。
あの時、出て行かせるべきだった。
それでも、何とかなった筈だ。
無理に引き留めたことが、
親子関係の更なる悪化と崩壊を招いた…。
愚かだった…。
けれど、それも、既に、「過去」になった。
とりあえず、息子は、自立した。
それを寿ごう。
あとは、どうなろうと、息子の人生だ。
私は、もう、「母として」ではなく、「私として」、
私の人生を生きて行く。