すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

自分の人生

息子が引っ越した日は、
私の全身に、「津軽海峡冬景色」が、大音量で渦巻いた


それから2日が経った今、
私の心に、静かに流れるのは、
「亡き王女のためのパヴァーヌ」。


引越し翌日の昨日、突然、息子が現れた。


「箸やスプーンやフォークが欲しい。」
「自分が座っていた食卓イスも、くれ。」
「風呂イスも、1個くれ。」

と、あれこれ持ち去ったには、驚かされた…。


まー、欲しいなら、持ってけば良いさー。


私は、
丸1日ぶりに、息子の顔を見て、真っ先に、
「お腹は空いてない?」と、尋ねてしまった。


すると、息子は、そっけなく、「いや。」


その表情からは、
「もう、俺は、アンタのメシは食わない」…
そういう主張が読み取れた…。


食卓の息子の定位置から、イスが消え、ガランとした。


あぁ、ホントにもう、息子は、ここに座って、
私の作ったご飯を食べることは、ないんだな…。




息子がいなくなり、途端に、調理量が半分で良くなった。
頭数は1/3だったけど、1/2の量を食べてたんだなー。


洗濯物の量も、いきなり、半減した。


あぁ、子どもがいないって、こんなにラクが出来るんだわねえ…。



夫は、「子どもがいたことで、良い人生だった」と、思うそうだ。



私は、正直、「どーかなー?!…」と思う。



もし、息子が生まれてなければ
私たちは、この広すぎる家に転居することもなく、
子育てに、多大の金と労力を注ぎ込むこともなく、
下流生活になることもなく、
今頃、のんびりと優雅な老後を送っていただろう。




子どものいる人生と、子どものいない人生。



以前は、私は、「子どもは、いたほうが良いに決まってる!」と、
100%思い込んでいた。


しかし、今になってみると、「必ずしも、そうとは言えない」と思う。




両方を経験して、比較することは出来ない。


恐らくは、「一長一短」なのだろう…。


ようやく、客観的になれた気がする…。



ガランとした息子の部屋へ行ってみた。


息子が「もう捨てて良い物」と言った紙ゴミの中に、
私が手作りしたバースデーカードの束があった。


10歳から、21歳まで、夫と共に、心をこめて息子へ手紙を書き、装飾したカードだ。


これを書いてる時は、「大人になってから、読み返して欲しいなー」と思いつつ、書いていた。


けれど、今は、単なるゴミだ…。



結局、私の息子への愛は、
こんな風に、過剰な「要らぬお世話」が多かったんだなー … 。


「単なる自己満足」だったんだなー …。


あぁ、バカだったんだわ ー ー … 。


もっともっと、ゆるい、片手間の子育てで良かったんだなー … 。



息子も、さぞ、ウンザリしたのだろう…。


だからこそ、今、親を蹴飛ばして出ていき、
せいせいしてるんだろーなー … 。


さぁ、私も息子を忘れ、
自分の人生を生きて行こう!


けれど、まだ、深い喪失感から立ち直れないでいる、ワタシがいる…。


まだ、キズは、大きくて深い。


時間薬で、少しずつ、治って行こう…。