すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

1人でいられる能力

【長文】





斎藤学「『自分のために生きていける』ということ」
~抜粋


(下線は、バカ女改めリラによる)





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第6章「一人でいられる能力」が「親密な関係」をきずく




○「一人でいられる人」は自分の欲望に正直に生きられる




人間が生きていくうえで欠かせない能力のひとつに、
「一人でいられる能力」があります


これは、イギリスの小児科医であり、
精神分析家でもあったドナルド・ウィニコットが
使った言葉です。


 一人でいられる能力は、
母親の腕の中で芽を吹き、育ちます。



子供は、母親にたっぷり愛され、
見守られているという安心感を持つと、
やがて徐々に母親の腕の中から離れていきます


最初は腕からひざの上へ、
そして部屋の中を探検し、家の中、
さらに外へと、
母親から離れて「一人でいられる」範囲を広げていくのです。

 これができるのは、

離れていても、ちゃんと母親に愛され、
「母親と共にいる」ことを確信している子供です


母親から離れて冒険しても、
戻ってくれば母親はそこにいて、
また抱きとめてくれる。


こうした安心感があるからこそ、
子供は一人で遠くへでかけていくことが
できるのです。



子供の頃にたっぷり甘えた子供は、
親離れもスムースで、さっさと自立していきます

 反対に、このような確信が持てない子供は、

一人でいることが不安で不安でしかたなく
いつもどうしようもない寂しさを抱えることになります。



一人でいることはイコール寂しさと絶望であり、
一人でいても、
自分を愛してくれる存在がいることを信じられません。


一人でいることに耐えられず、
つねに落ち着きなく動いて活動し、
何かに依存していきます


「一人でいられる」ということは、
決して、
「一人で家の中に閉じこもっている」
という意味ではありません。


他人を前にしていても、
「自分が一人でいる」ことを楽しめる状態なのです。


母親の視線のもとに安全を感じている乳児が、
母親のことを忘れて
自分の手の動きに気をとられているとき、
この乳児は、「一人でいられる」といいます。


「他人を拒絶して生きる」ことでもありません。



「○○なしにはいられない」の対極にある言葉
と考えればいいでしょう。


「酒なしにはいられない」
「タバコなしにはいられない」
「男なしにはいられない」
「妻なしにはいられない」という状態は、
「一人ではいられない」人です。



「一人でいられる」人は、
ときにはお酒を楽しみ、
タバコを楽しみ、
恋愛をし、
他人との温かい関係にぬくもります。


けれども、
決してそれに依存しきっているわけではなく、
それなしにも生きていける人です。


誰かのために、何かのために、
自分を犠牲にする必要がありません。



一人でいられない人は、
一人になってしまうことの恐怖と寂しさで、
誰かに何かにしがみつかなければ生きていけません


けれども、
一人でいられる人は、
しがみつく必要がないので、
自分の欲望に正直に生きられます。



一人でいられない人は、
相手を支配しないと不安ですが、
一人でいられる人は、
相手を束縛する必要がありません。


相手に自分への愛を強要することもないのです。


真の個性とは、
「一人でいられる能力」なしには発達しません。


そして他人への献身も、
これなしにはできません。


「一人でいられる能力」が発達してこそ、
他人との親密な関係がつくれるのです。






第3章「寂しさ」の裏にひそむ「怒り」をくみ出せ




○「耐え難い寂しさ」からジェットコースター人生へ



 私たちが生きていて、
「100パーセント自分の欲求が満たされている」
と感じることはあまりないでしょう。


その意味では、
誰もが少しずつは寂しいのです。


少し寂しい感じを抱えながら生きている。


これは、我慢できる範囲の寂しさです。


 けれども、
「耐えられない寂しさ」もあります。


これは、満たされないと、
ソワソワしてしまうような寂しさです。


たとえれば、
赤ん坊がお腹がすいて「オギャー」と泣いている
にもかかわらず、
ミルクを与えてもらえずに
餓死してしまうような状態です。


このような種類の寂しさを、
耐え難い寂しさ」といいます。


「耐え難い寂しさ」にとらわれている人は、
人生の早い時期に、
「恨み」の感情を持ってしまった人です。


「恨み」は、
「怒り」が表現されずにためこまれ、
腐敗したものです。


怒りは一時的なもので、
発散されれば終わるのですが、
恨みは持続します。



怒りは相手の愛を求めるものですが、
恨みは相手の破壊を求めます


大人になってからの恨みは、
特定の人物にだけ向けられるので、
他の人間関係にまで影響を及ぼすことは
あまりありません。


ところが、
人生の早い時期に、
親との関係の中で恨みを持ってしまうと、
その後の人間関係がうまくいかず、
孤立が進みます。


人間関係といえば、
〈支配する・される〉という上下関係しか
持てなくなってしまうのです。


温かい心の交流など持てないので、
いつも耐え難い寂しさを感じることになります。


 ここで
寂しさを満たすことをあきらめてしまうと、
感情が鈍くなって、
寂しささえ感じなくなってきます。


これは一見、自己充足に似ています。


人と関わり合わなくても、
本人は「これでいいのだ」という。


そのほうが安全だからです。


けれども、
その先には離人症が待っています。


 離人症とは、
世界が生々しく迫ってこないで、
自分と外界の間にベールがあるような感じです。
~中略~


しかし彼らは、
痛切に「おっぱい」を求めています。


この、
なんとかして「おっぱい」をもらおうとして
探し回っている状態が、
アルコール、ドラッグ、恋愛やセックスなどに
依存する嗜癖行動です。~中略~


 その人が真に求めている欲望を
満たす道を見つけなければ、
アルコールをやめたところで
呆然としてしまうだけなのです。





○自尊心を奪いとっていたものに怒れ 


親に過剰な期待をかけられたり、
おまえはダメだ、ダメだ」と
いわれて育った人は、
自分が、
当り前にいろいろなことをできる人間だという
自尊心を育てられません


心の中で、
「自分はまだまだダメだ」と自己卑下し、
いつも自分で自分を叱咤激励しています。



そんな人が、
まともな精神生活を送っていたとしたら、
むしろそのほうがおかしい


それを「痛み」として感じられなかったら、
感情が鈍麻しているのです。


痛みを痛みとして感じないように、
心を防衛しているのです。


鈍麻してしまった感情を、
いきいきとしたものに取り戻すためには、
怒る」ことが必要です。



高校時代、
毎日のように万引きをしていた少女がいました。~中略~


彼女にとって失われていたものとは
何なのでしょうか。


それは、
安全な子供時代」と、
「人間としての尊厳」なのです。~中略~


親が
心配したり怒ったりするのを見るのがイヤだと
いって、がんばって学校に通っていた。



彼女が努力しなければならないのは、
学校に行くことではなくて、
自尊心を育てることです。


彼女は
イジメにあう必要なんか全くないし、
そんなことがあるくらいなら
学校になど行かなくてもいいのです。


もしも、
そんな学校に行くことを親が強要したのなら、
親が悪い。


けれども、
彼女のように自尊心をはぎとられたまま、
全て自分が悪いと思ってしまっている人は、
いくらでもいます


私は、彼らにこういいたい。


今まで、
あなたから
健康な自尊心や自己評価を奪いとっていたものに
ついて怒れ


それによって傷ついていた自分をいたわれ。


傷つけられたあなたが悪いのではなく、
傷つけたほうが悪い。


傷つけられたあなたは、癒されなければならない。



これ以上、自分を叱咤激励する必要はない


今、あなたの人生が、
親に乗っ取られたままの
ロボットのような人生でも、
それは決してあなたのせいではありません。


けれども、
これからロボットのままでいるか、
自分の欲望を見つけていくかは、
自分の責任で決められます。


あなたがロボットのままでいたいのなら、
いつまでもそのままでいていいのです。


あなた自身が本当にその気になるまで、
そのままでいればいいのです。



変わりたくなれば、
自然に変わっていくのですから。


自分が受けた不当な扱いについて、
正当に怒ることができれば、
あなたの本当の感情がよみがえってきます。


怒りを怒りと感じ、
寂しさを寂しさと感じ、
喜びを喜びと感じ、
自分の感情をいきいきと
感じられるようになるでしょう。