すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

父に対する私の思い

父は、とにかく、
私を支配しようとした。




私には、私固有の人格がある事。



その固有の人格で、
私自身についての事柄を決定する権利がある事。



すなわち、私に「自己決定権」がある事。




それらを、
父は、最後まで認めなかった。





「子どものことは、親が一番よく分かっている」と、
父は昂然と言い放ち、


私についての決定権を
最後まで、
自分が行使しようとした。




私の高校・大学の進学先、大卒後の仕事まで、
私の意志を無視して、
自分が勝手に決定した。




大卒後、私が反抗し、
父の敷いたレールから逸脱すると、
父は、

私を「勘当」した。




私を自分の世界から追放し、無視した。




そして、
自分がボケ、
私が両親に助力しなければならなくなってからも、
父は最後まで

私を信用しなかった。




(私が母から、
預かってと頼まれた父の預金通帳を、
「返せ返せ」と執拗に要求した。


私が一計を案じ
実残高ゼロの新通帳を作って渡すまで、
決して要求をやめなかった。)





私には、父との間に、
永久に越えられない、深く広い溝があった。





娘なのだから、本来は、
異性の父親に対して、

母親へとは異なる「慕情」が生まれるのが、普通だ。





しかし、母は
私が物心つく前から、
「父の悪口」を、私に徹底的に吹き込んだ。




母の話は、ウソではなかった。



「父がなした悪業に基づく事実」ではあった。




しかし、
私がまだ5.6歳という、あまりにも早期に、
その悪口は吹き込まれた。





そのため、私は、
父への「愛着感情」を持つより先に、
父に「反発感情」を持ってしまった。





父親に、
「愛着」よりもまず先に
「反発心」を持ってしまった娘は、


父親に似た年齢の男性にも、
「反発心・反抗心」を持ち、
素直に振る舞えなくなるそうだ。




私が、まさしくそうだった。





しかし、
私も年を取った今は、
その「反発心・反抗心」は、もう存在しない。




私は、出来れば、父と和解したい。



理解し合いたい。





しかし、前述した通り、
父は、

私を自分の世界から追放し、無視した。





また自分が弱者となってからも、
私を
決して信頼しなかった。


(自分が弱者となったことを自覚出来ていなかった…
とも思われるが。)






相手が、
こちらの大人としての人格を認めず、
「支配対象」としてしか見ないなら、
その相手とは、

決してまともな関係にはなれない。





つまりは、
私は、
父とは永久に和解出来ない。







そして何より、父は
もう霊園の片隅に「骨」だけになり、
永遠に眠っている。







「親子」というのは、
「大人同士」の関係とは、全く異なる。




大人同士の関係は、相互作用がある。




しかし、親子では、
初期から10数年間、

親の支配力が子どもを圧倒する。




親の子どもへの接し方が、子どもを大きく変える。





よく言われるが、
「困った子」は、実は、「困っている子」だ。




そして、
子どもを最も困らせているのは、
ほとんどの場合、
「親」だ。




しかし、
家庭内は、閉ざされた空間だ。




教師や外部の大人には、
家庭内で何が行われているか、
見ることは出来ない。





そして、
「子を困らせている親」は、
大抵の場合、
「子に、自分が困らされている」と、強く主張する。




実態は、
自分こそが「加害者」なのに、
「自分は被害者であり子が加害者」と、

堂々と主張する。



そして、
本心からそう考えている。



「自分は正しい。間違っているのは子ども」と、
信じてやまない。





そして、
よほど眼力のある大人以外は、騙されてしまう。





私の父が、まさしく、そういう親だった。




父は、
「絶対に自分が正しい」と信じ、
誰の言葉も、聞き入れない人だった。





その事は、
父が死ぬずっと以前から、私には理解出来ていた。





そして父は、
そういう父のまま、ボケて行った。



まともな会話が出来なくなって行った。





だから、
私は、
父とは永遠に解り合えないまま、

父と永遠に別れる事を、
とっくに覚悟出来ていた。






父の死は、
私にとっては、
むしろ「ホッとする」ことだった…。






自分を否定し、支配しようとする相手と、
ようやく、
永遠に別れられた…。






その安らぎを
私は感じた。





今も、感じている…。