すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

醜いのは私の顔ではなく母の心

【長文です。スルーください】




母が、赤ん坊だった私の死を願っていた…。




そのことは、
数年前、母が私にこう語った時、
私に、

明確に伝わって来た。




「アンタが1歳の時に、高熱を出した。


お父さんが、医者へ連れて行くと、夜に負ぶって行った。


それで、アンタは助かった。」




「アンタは助かった」と言った時、
母は、
一瞬、
怖ろしい形相になった。




激しい憎悪と憤怒と無念が、
一気に溢れ出し、
凄まじい表情になった。





その話は、
大人になってから、初めて聞かされた。




昔、子どもの時にも聞かされたような、
ボンヤリした、かすかな記憶がある。



しかし、その時の印象は、ハッキリ覚えていない。





子どもの頃の私は、母が大好きだった。




だから、
まさか、
母が自分の死を願った…などとは、
想像もつかず、
母の話の真意を全く受け止められなかった…のだと思う。





数年前、
その話を聞かされた時は、

それなりにショックを受けた。




しかし、
当時、私は既に、



「母は私を嫌っている。
私が生まれた時から、
ずっと嫌っている」事を、


十分に理解していた。




だから、
さほど大きな衝撃は受けなかった。





それよりも、
その更に数年前、母が私に語った話が、
私に、

強い衝撃を与えたのだった。





「アンタが生まれた時、母が手伝いに来た。


でも、
アンタがそんな顔で生まれて、そして片目が真っ赤だった。



それで、母は、寝込んでしまった。」




母は、そう私に語った。



片目が真っ赤だった事は、その時に初めて聞かされた。




そしてその時、
母は、
「アンタがそんな顔で」と、

低い強い声で言いながら、
さっと私から眼をそむけ、横を向いた。



宙を睨み、ぎゅっと眉根を深く寄せた。


顔全体を、大きく醜くゆがめた。


激しい怒りと憎しみと侮蔑で、
両眼が大きく見開かれ、
ギラリと光った。



母は老婆のまま、
一瞬、
鬼になった…。





母が、どんなに赤ん坊の私を憎んだか…。



その時、
私は理解した。




そして、今も憎んでいる…と…。






母は、
父が死んでから、少しずつボケ始めた。




父が死ぬまでは、母は86歳だったが、
かなりシッカリしていた。



父に、日々3食を作って食べさせる仕事と生き甲斐が、
母の力強い背骨となり、

母を支えていた。




しかし母は、突如、
生き甲斐と仕事を失った。



加えて、
他人と全く交わらない孤立した生活が
母を弱らせた。




母は、
まず体力が弱った。



そして同時に、
ボーッとするようになった。




それで私は、
独居は、母には、もう無理だ…。


母を、
心身共に安心して託せるのは、介護付き老人ホームだ。



う、判断した。



他人様と交流すれば、
ボケも多少食い止められるだろう、
とも思った。



それで、
嫌がる母を無理矢理に説得し、
老人ホーム入居を勧めた。



母の気に入ったホームが見つかり、
そこに決定する寸前まで、
無事に進むことが出来た。




ところが、
長兄が、
思いがけない妨害を仕掛けて来た。



私の計画は、頓挫した。



母は、
長兄にあっさり騙された。



激怒し、私を激しく罵った。


沸騰した怒りを正面から浴びせかけられた私は、
母に近づけなくなった。




その後は、
長兄が遠路はるばる来ては、
買い物などをして、

母の面倒を見ているらしかった。




しかし、半年後、
母は突然、圧迫骨折を起こし、

緊急入院せざるを得なくなった。





母が入院した後、
私は、母の家を片付けに行った。



台所のガス台周辺に、
いくつもの鍋がフタをして置かれてあった。



何気なくフタをとって見ると、
すべてに、

おかゆらしき物が大量に入れられていた。




そして、
更によく見ると、
台所の床と居間の床に、
紙をかぶせられた鍋が、

いくつもいくつも、積み重ねられていた。



それらのフタを恐る恐る取り、
中を見ると、
やはり全部に、

おかゆらしき物が入っていた。



完全に腐敗し切り、
正体不明の物体と化している中身が、

いくつもあった。




ところが、母は、
この大量の鍋の存在を、
完全に失念していた。

他のどうでも良いことは、

私に伝えた。



それなのに、
肝心のこの大量の鍋のことは忘れ果て、
伝えなかった…。





…この頃が、母のボケのピークだった。



当時の母は、入浴もろくにしておらず、
ホームレスの悪臭を漂わせていた…。





リハビリ病院へ入院してからは、
同室の方達から、
親切に話しかけて貰っているうちに、
母の頭は、かなり回復して行った。




しかし、その後も、
母のボケには、波があった。




老人ホーム入居後も、
母は、時々ボーッとし、

知性・理性が低下してしまうことがあった。




私に、
「片目が真っ赤だった」話をした時も、
かなりボーッとしていた時期だった。




それまでは、
おそらく理性がブレーキをかけ、
私本人には「片目が真っ赤だった」ということを

伏せて来たのだろう。




「そんな顔」と、
激しい感情を私に露わにして見せることも、
理性が、ブレーキをかけて来たのだろう。




しかし、ボケが、
母から、理性と私への配慮を奪った。



一方で、
遠い過去の出来事と、その時の感情は、
母の脳裏に、生々しく息づいていた。




母は、
私に、
長年隠して来た、心の奥底を

洗いざらい、露わに見せてしまったのだった…。





また昔、
新聞で読んだ記事に、こういう一文があった。




家族などの親密な関係では、
言葉よりも、
態度や表情などの言葉以外の表現が、
コミュニケーションの8割を占める。





母は昔から、
表情と口調で、
私に多くを語って来た…。




それは、今も変わらない。





*************





母を、
鬼の形相にした激情…。



それは、
憤怒と憎悪と侮蔑だった。



その中で、
最も強大に見えたのが、侮蔑だった。



母は、
私の顔の奇形を、
心から侮蔑していた。





本人が自分では変えられない、生まれ持った外見。


それを、侮蔑する。



人が生まれ持ったものを、
「正常」と「異常」の真っ二つに分け、


自分は「正常」側の高みに立ち、
「異常」を見下げ、軽蔑する。




その「軽蔑」・「差別感情」が、
母を
「鬼」に見せたのだった。





差別感情は、醜く愚かだと、
私は思う。




母だって、
ひとつ間違えば、
自分も奇形だったかも知れなかった。



誰にだって、その可能性はあるのだ。



たまたま、幸運にも、
五体満足に生まれたに過ぎない。





なぜ、それに思い至らないのか??



私には、分からない。





母の「差別する心」は、醜い。



「差別する心」からは、
良いことは何も生まれない。



何の罪もなかった子どもの私を、
母はただ、不幸にした。





母は、
醜い心の人間だ。




母の醜い心が、
私を不幸にした。





醜いのは、私の顔ではない。



母の「差別する心」だ。






*****************





おかあさん、


あなたが、子どもだった私に、


「私の顔は醜い」



「醜い顔の私は、ダメな人間」



「ダメ人間の私には、生きる価値がない」


「私は、母に大きな迷惑をかけ続けている」


と、強く刷り込みました。




もし、
そういう刷り込みを受けなければ、
私は、
もっと普通に、
もっと幸せに生きられたでしょう。



もっと、伸び伸びと、もっと平和に…。




幼い子どもにとって、
「母」は、生存基盤です。



胎児が「胎盤」を必要とするように。




その生存基盤である母が、
自分を否定してくる時、
子どもは、

その価値観をも、自分の中に取り入れるしかありません。



無力な子どもは、
それしか、
生き抜くすべがないのです。




母を肯定しながら、自分を否定する。



その子どもは、とても苦しい生き方を強いられます。





おかあさん、
あなたは、


私を、心理的に虐待したのです。




今、
私は、
それを明確に理解しています。




そして、
あなたは、
今も
私を虐待しています。





今は、
私の方が、
客観的に見て、強い。



しかし、
あなたは、
決して私を許さず、私を認めません。



相変わらず、
私を否定し、

踏みつけにし、
私の顔を泥水に漬けようとしています。




私の心は、痛いです。




しかし、
あなたは、

そうしたまま、
死んで行くのでしょう。




あるいは、
私の方が、先に死ぬかも知れません。





あなたと、理解はし合えないのですね。




私は、
お父さんとも理解し合えませんでした。




せっかく、
親子という近い距離で、
同じ時間を生きたのに、
双方共に、

幸せになれませんでしたね。





私は、あなたを愛しましたが、
あなたは、私を愛しませんでしたね。





それでも、私は、あなたへの責任を感じます。




2人の兄が、あなたを見捨て、
もう私しか、

あなたには残っていないからです。



長男は、
もう何年も、あなたに音信を寄越しません。



次男は、
父が死んでから、当地に移住を考えたそうです。


しかし、妻の猛反対に遭い、断念したそうです。


次男も、あなたより妻を選んだのです。




ですから、私は、
生きている間、
あなたを棄てず、
世話を続けるでしょう。





なたは、
私を「しもべ」と思っているので、
私の世話を、
当然視しています。





しかし、
おかあさん、
私は、
あなたの「しもべ」ではない。




それは、
はっきりと言っておきます。





私にも、
あなたを棄てる事は出来ます。



しかし、
私は、あなたを棄てない。



それは、
おそらく、
あなたが子どもだった私を虐待する一方で、
母としてのささやかな愛もくれ、

小さかった私に、
幸せをくれたからなのでしょう。






けれど
私は、もう、
あなたの踏みつけから、
自由になります。





私は、
私の価値観で、生きて行きます。






おかあさん、
人間が幸せに生きるためには、

お互い同士の「尊重」が欠かせません。




「尊重」とは、
「否定しない」こと、「支配しないこと」です。





たとえ、自分が生み出した子どもであれ、
相手を「否定」「支配」することは、

悪いことです。




子どもを不幸にするからです。





しかし、
おとうさんも、
おかあさんも、
私を否定し、支配しましたね。




それは、間違っていました。




だから、
あなたたちも、
本当の「親としての幸せ」を
感じられなかったのです。






おかあさん、
あなたは、長男を愛した。




しかし、
おとうさんは、
長男を支配してしまいました。




あなたは、
それを、一番近くで目撃しながら、
「お父さんは子煩悩」という、

極めて愚かな理解しか、しなかった。



起こった出来事の本質を、
何ひとつ理解しませんでした。




おかあさん、
「無理解」は1つの罪だと、私は思います。





そして
長男は、

あなたたちを恨み、
棄てました。





あなたは、
長男の気持ちが理解出来ない。





ただ、
あなたには、
「棄てられている」事実を噛みしめる余生だけが、
残されています…。


茫漠と…。






*************






おかあさん、


「しもべ」扱いされながら、
あなたを世話することは、
苦しいことでした。




「カタワ者」として
私を恥じ、侮蔑するあなたの世話をすることは、
辛かった。



今も、辛いです。






でも、
私は、
ようやく、
自由を手に入れたように思えます。





今までの私は、
ずっと、
広い世界のはじっこに、

あなたによって追いやられていました。



広い世界のフチから、
あなたによって蹴落とされそうになっていました。



私は、かろうじて、
世界の縁に、両手でつかまって、
必死に、

落っこちないようにしていました。





とても、苦しかった。





でも、今、
私は、

広い世界の、真ん中ではないかも知れないが、
もう、端っこには、いません。




広々とした中に、
たくさんの人々の中に、
その中の1人として、
立っています。




普通に笑って、普通に息をしています。




世界とは、
こんなにも
平和な、穏やかな、すてきなところだったのですね!





あなたとお父さんの方が、
むしろ、
世界のはじっこにいるのが見えます。




そこは、氷りついた世界です。