すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

母の人生

長文です。スルーください



母の父親は、腕の良い船大工で、
造船所を経営していたそうだ。



当時は、裕福な暮らしだったそうだ。




ところが、ある時、
他人の「保証人」になってしまった。



そして、全財産を失った。




母の家の中からは、物が何もなくなった。



そして、
まだ小さかった母が、

近所の家へ物乞いに行かされた…そうだ。





小学校を出た母は、すぐに旅館に奉公に出された。





その数年後、
12歳上の姉とその夫が経営するデンプン工場に雇われた。


ただし、無給だったらしい。





母は若い頃、
商売をしている男性を好きになり、結婚願望を持った。


相手の男性にも、母と通い合う気持ちがあったらしい。




ところが、
その結婚は、

母の母親の猛反対により、全く実現しなかった。



反対された理由は、分からない…そうだ。





しかし、母はこの男性に生涯、未練を抱いていた…。






母が20代後半になった時、
12歳上の姉が、ひとつの縁談を母に勧めた。




姉は、その知人男性を気に入り、
妹の相手として良いと考えたのだ。




そして、
母は見合いし、結婚した。



それが、私の父である。




ところが、母は
「見合いの時、この人は私の顔も見なかった」と、
後年まで、ずっと怒っていた。




母は、
自分の母親よりもむしろ、
この12歳上の姉を頼りにしていた。




その姉が太鼓判を押して勧める相手との結婚は、
母にとって自然な流れだったのだろう。




ところが、
実際に所帯を持ってみると、
母は、

父の様々な所業に泣かされる毎日となってしまった。




父は、とんでもなく非常識な人だった。



妻の迷惑や被害など、全く省みず、
次々と自分勝手な事ばかりしでかし、

母を困らせ、泣かせた。





長男が生まれ、母が二人目を妊娠中の時だった。


父が、
遠い自分の実家へ帰って住むと言い出した。




母は、
これが良い潮時かも知れない…と考えた。




ついて行くのをやめようか、
どうしようかと、
汽車のホームで、

最後まで迷ったそうだ。




しかし、
「極めて我慢強い」


「新しいことには尻込みする」


「迷ったら、現状維持を選択する」


…それが、母の基本的な性格だった。





そして母は、
遠い父の実家まで付いて行き、移り住んだ。





この話は、幼い頃から、母に何度も聞かされた。




母は、やはり、
夫に従って付いて行った自分の決断を、
明らかに悔いていた。




この時、
母が父と、思い切って別れていたら、
この私は、生まれていない。




…しかし、それで、良かったのに…。



こんなに度々、父に対する泣き言ばかり聞かされ、
「不幸だ…不幸だ…」と、

毎度毎度、垂れ流される位なら、


私は、生まれたくなかったよ…。




私は、
子ども心に真剣に、そう思っていた。



しかし、母が可哀相なので、それは黙っていた。


もう生んでしまったのに、生まなければ良かった…
と責めては、母が可哀相だ…。

私はそう思って、

黙ったまま母の話を聞いていた。



私が小学校低学年の頃だった。






父の実家では、
父の父親が優しい人だった。


母にもよくしてくれたらしい。




ところが、
父と、父の母親の間に、

激しい諍いが絶えなかった。


つかみ合いになりそうな激しい喧嘩が、
しばしば起こった。



それを見ては、
母と、父の父親の2人が、
寄り添って悲しみ合っていた…そうだ。





そうして、
父と、父の母親は、ついに決裂した。




父は再び、実家を放逐された。


今度は2度と帰らぬ決意で、父は実家を去った。




そして、
母と子ども2人を連れて、
元の遠い地方へ戻って行った。



再び「田舎教師」になった。





その後、生まれたのが私である。





長男が中学生位になると、
父は、出来の良い長男に目をつけた。




自分の願望であった「学者」へと
長男を育て上げる野望を抱き始めた。



まず、父は長男を
「お前は最優秀だ。頭が良い。性格も良い」
と褒め讃えた。




それを聞いている母は、
心から満足げな表情を浮かべていた。




また、
長男が中1になったある日、
母は中学校へ参観に出かけた。



母によると、
先生が数人で母を取り囲んだそうだ。



そして、
「長男君は、実に素晴らしいです」と、

口々に賞めてくれたそうだ。




それを聞いた母は、更に有頂天になった。


父の言葉が、裏打ちされたのだ。




帰宅した母は、
次兄と私をつかまえて、真剣にこう言った。




「あんた達、ちょっとそこへ座りなさい。



あんた達に、言っておくことがある。


あんた達のお兄ちゃんは
素晴らしいお兄ちゃんなんだから、
あんた達は、

そういうお兄ちゃんを持って有り難いと感謝しなさい。」




忘れもしない、私が小2の時だった。





これ以降、
母の強固な「長兄特別視」「次兄と私蔑視」は、
半世紀以上に渡って、

続いた…。




夫に大きな不満を抱えた母にとって、
長男の出来がよく、

他人からも素晴らしいと言われるのは、
羽根が生えて天に昇るような気持ちだったのだろう。




その大きな幸福感・満足感があったればこそ、
長年に渡る、

父のあまりにも身勝手なひどい所業にも、
母は、耐え続けることが出来たのだろう…。





しかし、
父が60歳で退職し家でずっと過ごすようになった時、
母の堪忍袋の緒は切れた。




この時、母は、
真剣に離婚を考えたそうだ。





ところが、丁度その時、
次男が「結婚する」と言って来た。



母は、縁戚への世間体を考えたのか、離婚を諦めた。





また、その少し前には、
長男が「難関大学院」に合格していた。


その時の父は「末は博士か大臣か」と、
鬼の首でも取ったように狂喜乱舞していた。



母も同様の状況だった。





そしてその後、
長男の留学や結婚が立て続けに決まった。



当時の母は、父と同じく、
「鬼の首でも取ったような」威張り方、
ふんぞり返り方だった。




私には、まるで手が付けられなかった…。



というより、
私は、長兄と比較され、
両親の激しい侮蔑を浴びる一方だった…。






ところが、
留学した長男は

当初の予定の3年が経っても、
帰国しなかった。




両親は、年金生活の中から、
毎年、100万円ほど仕送りしていた様子だった。




私の顔を見ると、
「長男に仕送りしているから生活が苦しい」と、
口々に訴えるようになった。




しかし、
私からすると、
両親・長男は、長年に渡り、
3人でスッポリと1つのカプセルに、仲良く入っていた。



私は、完全な「部外者」に過ぎなかった。



だから今更、
長男に対する愚痴を聞かされても、
私には、言うべき言葉がなかった…。





そして何より、
当時の私は、
愚かにも、信じ込んでいた。



長男は遅かれ早かれ帰国し、
年老いた両親の世話をするもの…と。



この長男への深い信頼は、両親も同様だった。






そして12年後、
長男はようやく帰国した。


そして、
両親の元を訪れた。




ところが、
その3人の姿を見て、

私は一驚した。



父が、喜んでしきりに長男に話しかける。



しかし長男は、不興な面持ちを露わにしている。

あからさまに

その父から180度顔を背けて横を向き、
一切、相手にしない。



そして母は、
その2人を見ても、
その異様さに何も気づいていない様子なのだった…。





また長兄は、当時、私にこう言った。



「親が仕送りをケチったから、バイトしなければならなかった。


そのために、勉強が遅れた。


そのために、論文執筆が遅れ、帰国が遅れた。


自分は、親を恨んでいる。」




私は、ギョッとして、聞き返した。



「えっ?
親って、お母さんをも恨んでいるの??」



長兄の答は、
「そうだ。」




私には、
長兄の考えが理解出来なかった。



母は、
ただ父の言葉を信じ、
また長男の優秀さを信じ、
心から長男を愛し続けているだけだ。



その母を、
当の長男が「恨む」とは…。




私には、信じられなかった。



兄の考えが、まるっきり、理解出来なかった…。




唖然とした私は、
この長兄の言葉を、母にそのまま伝えた。



しかし、
母もまた、
「なぜ、自分が恨まれなければならないのか?」


…全く理解が出来ない様子だった。




そして母は、
相変わらず、長男を愛し続けた。




結局、長男は
「老親を世話する」どころか、
遠く離れた地に住んだ。



その上、完全に「知らん顔」を決め込んだ。






そうして、10数年が経った。





母は、ある時、私にこう言った。


「長男がああなったのは、全部、長男の妻のせいだ。」




それを聞いた私は、
またしても唖然として言葉を失った。




長男の妻に初めて会った頃の母は、
長男の妻を、ものすごく気に入った。



それこそ、
「嬉しくて嬉しくて、たまらない」
「可愛くて可愛くて、たまらない」という、
ぞっこんの惚れ込みようだった…。





その母が、彼女を「悪者扱い」するとは…。



私は、またしても絶句した。





つまりは、
母はどこまでも、


「長男は最高」
「長男は、絶対に悪くない」
「長男は、ただ嫁に操られているだけ…」


と、
完全に信じ込んでいた…。





本当に、
母にとって、
長男は「唯一無二の、最愛の人」だった。






…その後、父が89歳で死んだ。




私は、
母を老人ホームに入居させようと決め、母も同意した。



ところが、長男が猛反対した。


それでも、母は自分の意志を貫いた。


すると、
長兄は私を、
狂気のように激しく攻撃して来た。



私は非常に苦しんだ。


藁をもつかむ気持ちで、弁護士を依頼した。


弁護士に、長兄との間に立って貰い、
私の盾になって貰った。


その結果、
私は、
ようやく長兄からの攻撃から逃れる事が出来た。



しかし、
長兄とは絶縁する結果となった。





この時も、母は、
多少ボケかかっていたのもあるが、
「長男が悪いはずはない」という、

強い思い込みがあったようだ。



いったい何が起きたのか…
正しい理解が出来ない様子だった。



「例によって、悪いのは娘の方だろう」という
強い先入観もあったようだ。





しかし、
数年後に、母は、
私にこう告げた。



「あれは、長男が悪い。」




母も、
長い時間をかけて考え、ようやく、
「娘に非はない。非があるとすれば長男の方」という
真実に気がついたらしい…。





また数年前、私は、
母が住まなくなった実家を処分する必要に迫られた。




母は、「物への執着」が強い人だ。



そのため、老人ホームに移り住んで以降も、
何年も、実家の建物を処分出来ないままでいた。



1年に1、2度家に帰り、
タンスの中を開けては、
所有物を確認して過ごす数時間を楽しみにしていた。





しかし数年前、
当地に、
「50年に1度」という大雪が降った。




実家の屋根に降り積もった雪は、
巨大な雪庇を形成した。



雪庇の半分は、硬く凍った氷塊だった。



それが暖気でゆるんで、
屋根から落ちれば、
隣家の塀を乗り越えて

隣家の窓を直撃するに違いない…


という一大危機が発生してしまった。





隣家から緊急連絡を受けた私は、
必死に除雪業者を探した。



大雪のため、どの業者も手が一杯だった。


電話をかけまくった末、
ようやく1軒、
手空きの業者を見つけ、
依頼することが出来た。




そして、間一髪、危機を逃れた。




夕方に除雪して貰ったスペースに、
翌日の昼、巨大な雪庇が落下した。



雪庇は、隣家の塀を乗り越えずに済んだ。



しかし、
もし除雪が間に合わなかったら、
大惨事になっていたに違いなかった。




それからの私は、
降雪の度に、
ネットで、実家付近の積雪量を確認するようになった。



常に降雪量にビクビクして脅えながら、
長い冬を過ごすようになった。




しかし、それだけでは済まなかった。



古くなった実家の建物には、
他にもトラブルが次々と発生した。




私は、とうとう我慢が出来なくなった。



実家の取壊し・土地売却を決心した。



老人ホームのケアマネさんにも、


「このまま放置すれば、
お母さんに成年後見人が必要となるかも知れません。


そうなれば、
土地処分にも裁判所通いが必要となり、
大変になります。


そういう実例を見て来ています」


と言われた。




私は、母に事情を話した。


家土地を処分して欲しいと頼んだ。




厳しい実情を聞いた母は納得し、
承諾してくれた。




私は、
不動産屋さんを依頼し、
土地売却見込額を出して貰った。




父の土地は、
母と子ども3人が相続する形だった。



すなわち売却には、
母と私の他に、
兄2人の同意が必要だった。





私は困惑したが、
やむなく、
長兄へ葉書を出した。



簡略に事情を説明し、
「売却益の1/6の○○万円をお渡しするので
同意をお願いします」
と書いた。




葉書にしたのは、
「受取り拒否」によって返送されるとしても、
とりあえずは
相手に内容を読ませるためだった。




予想通り、
葉書は「受取り拒否」と書かれ、戻って来た。



不動産屋さんが長兄に送付した「売却提案書」も、
同様にすぐに戻された。





母に話すと、
「では、次男からメールで頼ませる」と、

母は答えた。





それから数ヶ月、
母の命によって、
次兄は長兄と、
何度も何度も、メールを取り交わした。




しかし、一向にラチがあかなかった。





長兄が私を困らせることを目的にして
同意を渋っていることは、
明々白々だった。





数ヶ月間、
虚しくメールが行き来し、
しかし進展はなかった。





次男から苦情を言われた母は、ついに怒った。



そして、
自分で長男へ電話をかけた。




すると、
その後すぐに、
長兄から次兄にメールが届いた。




「売却に同意する。
ただし、

自分は一切、関わりたくない。
次兄が自分の代理人となって、

全てを進めてくれ」
とあった。




司法書士さんは、


「売却に同意するのですね?」という
確認電話には、
長男さん本人が出て

返事をして貰わなくては困ります。


事は、
不動産売買という重大事なのですから…


と言った。



長男は当初、
それすらも渋っていたのだ。



しかし、司法書士さんは


「それでは手続きを進められません」と
言い切った。



それで、
結局は、
司法書士さんからの電話に、
長兄本人が出た。






… あれやこれやのすったもんだの末、


家取壊し・土地売却は、無事完了した。





ところが、
次兄と長兄のメールのやり取りの間、
次兄は「経過報告」として、
私に、長兄からのメールを転送して来た。




私は、かつて、
母のホーム入居に際し、

長兄から激しいメール攻撃を受けた。



そのため、
私は何日も涙が止まらなくなり、
不眠になった。



長兄の独特の文体のメールを
チラと見ただけで、
動悸・冷汗・吐き気に襲われるようになった。




そのトラウマが、
次兄からの転送メールにより、
甦ってしまった。



私は、
動悸・冷汗・吐き気・不眠に、
またしても襲われた。




私は、次兄に
「メール転送はしないで欲しい」と頼んだ。




次兄は、
「分かった」と言いつつ、
なおも、
長兄からのメールの内容を、

私に知らせて来た。




その内容は、私を非常に苦しめた。




辛いので忘れようと努め、
幸い、
大部分を忘れる事が出来た。




しかし、1つだけ、
絶対に忘れられない長兄の言葉がある。




その言葉を思い出すと、
今も激しい怒りで、
私の胃には穴が開きそうになる。





「母の生涯は、妹(私)に奉仕した生涯である。」




次兄は、
詳細を書いて来なかった。



だから、
長兄が何をもって、
「母が生涯私に奉仕した」と
指摘したのかは不明だ。




しかし、私には見当がつく。




母は常に、
長男に「私への愚痴・苦情」を
垂れ流し続けたのだろう…と思う。




母は、
私本人にも、
「私への愚痴・苦情」を垂れ流していたからだ。



私が幼い頃から…。