すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

長男を洗脳し長男の人生を乗っ取った父

ご迷惑な長文につき、スルーください



父の実家は、
「格は高いが貧乏な寺」だった。




主たる生計維持者は、
住職の父親ではなく、
産婆として多忙に働く母親だった。




父の幼い頃は、
母親の手でご飯をよそって貰ったことはなく、
何人も住み込む産婆助手さんの手によって、
よそって貰った…そうだ。




また、
幼かった父を育てたのは母親ではなく、
祖母 (母親の母) だった。




この祖母の兄が、かなり高名な学者であった。


(今も、広辞苑に名前が出ている。)




そして、祖母は、
それを、大層誇っていたらしい。




父は、
その祖母の自慢話を、
幼時から刷り込まれて育ってしまった。




そのため、


強烈な「学者への憧れ」と、


「自分は、高名な学者の血統・選ばれし者」という
強い信念・妄想を


幼時から、抱いてしまった…。




(祖母による洗脳だった…。


祖母もまた、


「自分は偉大な学者の妹」という
誇りにすがって生きてしまった人だったのだろう。)





冷静に考えれば、
その高名な学者は、

「大おじ」の1人、親戚の1人に過ぎない。




昔は、兄弟も多かった。


だから、「大おじ」も、何人も居ただろう。


高名な学者は、その数人の中の一人に過ぎない。



そして、
「大おじ」の殆どは、

むしろ、平凡な存在だったろう…。




それなのに、
大勢の中の1人に過ぎない「大伯父」の優秀な血を、

特別に自分が引いている…と思い込むのは、


客観的には、
やはり手前勝手な「妄想」である。



客観的事実とは、程遠い…。





百歩譲って、
わずかに血を引いた…としても、
大伯父ともなれば、
それ以外の血の方が、

圧倒的に自分には多く入っている…。



そう考えるのが、
まともな人間だろう。





ところが父は、そう考えなかった。



自分を育てた祖母の兄である。


だからこそ、自分に近い存在…
と思い込んだのだろう。




その幼児的な思い込みを、
成年以後も生涯に渡り、持ち続けてしまったのが、
父の愚かさである。




自分を、「優れた血統」と思い込みたいのは、
人間の性かも知れない。





しかし、それはやはり、
自分を特別視したい「幼児性」の表われに過ぎない…。




父は、極めて幼児的な人だったのである…。





若かった日の父は、3流大学へ進学した。




大学は3流だったが、
当時の父は、

学者になりたい夢を抱いていたらしい。




おそらく、
ある分野だけを、かなり得意にし、秀でていたのだろう。





その学問研究への熱い憧れに、
「自分は大学者の血を引く選ばれし者」という
心の底の根強いプライドが加わった。




若かった父の憧れと理想は、
大きく膨らんでいたらしい。





ところが、
戦争が始まった。



そして、
召集された父の兄が戦死した。




父の母親は、さらに息子を失う事を怖れた。



そして父に、
「大学から師範学校へ転じる」ことを命じた。



父は、従わざるを得なかった。





その結果、
父は召集されず、戦死をまぬがれた。


五体満足に戦後を迎える事が出来た。





しかし、
無理矢理に
「学問への道を断たれた」怨みは、
父の中に長く残ってしまった。




父にとって、
「師範学校」は「実業学校」に過ぎなかった。


「純粋に学問を追究する学校」ではなかった。




父の中に、「純粋な学問への憧れ」は、
ついに実体験のないまま、
不完全燃焼の「憧れ」として

残り続けてしまった。





一方、父には、
「実家の寺を継ぐ」という野望があった。




しかし、
元々性格の良くなかった父には、

周囲の人望もなかったらしい。




檀家会議の末、
実際に寺を継いだのは、姉夫婦だった。




そして、
ひどく争った父は、寺から放逐された。



檀家会議で「勘当」された…。




放逐された父は、
実家から遙かに遠い地に移り住んだ。



そして、
教員免許により

「田舎教師」として生計を立てた。





しかし、
自分を放逐した実家に対し、
身を立て名も上げることで実家を見返してやりたいという野望=

復讐心を
以後の父は、持ってしまった。




その復讐心と、
「自分は大学者の血を引くエリート」というプライドが

合体した。





そして以後の父を、夢想に駆り立て続けた…。





ところが、現実の父は、
平凡で貧しい「田舎教師」に過ぎなかった。





そのうちに結婚し、子どもが3人生まれた。





すると父は、
出来の良い長男に目をつけた。





長男の人生を乗っ取り、
長男を自分の身代わりとして、
「学者に仕立て上げる」という怖ろしい野望を、
父は

抱いてしまった。




そして、
その何年もかかる「大事業」の道を、
父は、着々と進んで行ってしまった。





父は、せっせと長男を洗脳し続けた。





まず長男を、
「お前は頭が良い。
性格も良い。最優秀だ」と、
褒め讃えた。




その一方で、


「学者は、素晴らしい崇高な職業である。


優秀な頭脳を最大限に生かせる、唯一の仕事である。


学者こそ、世の中で最高の職業である」



という非常に偏った価値観を、
10代の長男に、
長年かけて刷り込み続けた。





(しかし父は、
実際には「学者の生活実態」を何ひとつ知らなかった。


それが、のちに、命取りになった。)






そして、
洗脳された長男は、
大学を卒業する頃、
父の願望通りに「学者」への道を選択した。






12年間の留学から帰国した当座だったと思うが、
長兄は私に、

こう言ったことがある。




「父は、
オレが高校の寮に3年間入っていた間、
長い手紙を毎日のように寄越した。


オレは、それを全部、読んでしまった。


あれが、良くなかった … …。」



兄自身も、
自分がなぜ学問の道を選び取ったか、
改めて振り返って考えた時、
「父による洗脳」に気づいたのだろう…。





私も当時、
父がしょっちゅう長い手紙を書き綴っているのを

目撃した。



しかし、まだ小学生だった私には、
それが誰宛の手紙だったか…までは分からなかった。



あれが、長兄宛だったとすれば、
確かに、

長兄を洗脳するのに充分な大量の手紙だった…。






長兄は、確かに頭が良い部類だった。



しかし、
「目から鼻に抜ける程、超・聡明」ではなかった…
と私は思う。




長兄は、進学高校へ進んだ。


そこでの席次は、そんなに上ではなかった。



高校を出ると、地元の№1大学へストレートに進学した。


しかし、
地元№1大学と言っても、
全国レベルでは、2流大学だ。





しかし、
父は、田舎で生まれ育った人間だった。



仕事場も、僻地ばかりだった。




大海を知らない「井の中の蛙」だった父には、
長男は「俊秀」に見えていた…。





そこが、そもそも、
間違いの発端だった…と、

今にして、私は思う。




長兄が本当に、
「学問を生涯の仕事とし、
しかも
優れた業績を挙げうる程に優れた頭脳の持ち主」だった…とは、
今の私には思えない。




むしろ、私には、疑いの方が大きい。





長兄が留学する前、
私はたまたま、

長兄が書いた「レポート」的な文章を目にし、
一読した。



私の読後感は、
「小器用な視点から小手先で書いているだけで、
最も重要な本質に、まるで迫っていない」
だった。





また、
長兄は確かに20年間、大学の教官を務めた。




しかし、その間、
彼のものした著作は、生涯1冊のみである。


しかも、「数人による共著」。



論文数も、非常に少ない。





彼が12年間留学した挙げ句に書き上げた1本の論文は、
確かに

博士号を得た。




しかし、
長兄は「それだけ」…
に終わったのではないか…?
という深い疑惑を、
私は抱いている…。





私の生育家族の悲劇は、


そもそも田舎者に過ぎなかった父の
「見込み違い」=
「身びいきな誇大な幻想」から


始まったに過ぎなかった … …


と、今の私は思う … …。





「これは、ものになるかも知れない」と思った父は、
やがて、
「ものになるに違いない」と
自分に有利な身勝手な妄想をふくらませ、

強固なものにして行った。



自分の我欲を、
ほしいままに、ふくらませた。




自分の我欲が
実現されると信じ、
その成功の予感に、酔いしれ続けた。




そこに、
「自分が長男の人生を乗っ取っている」
「長男はそれで幸福か」
「客観的にみて、長男に力はあるか」
などの
客観的反省・親としての本当の愛は、
微塵もなかった。




父は、我欲と妄執のままに
突き進んだ。




父もまた、
「人との交わりを断ち」


我執のみに突き進んで生きてしまった、


1匹の「人食い虎」だったのである … …。