すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

出産の思い出・2

20数年前、妊娠し、私は具合が悪くなった。


悪阻だ。


ずうっと、ムカムカした。



特に、食事や食材について少しでも考えると、
激しくムカムカした。



それで、まず、スーパーへ行けなくなった。


スーパーの入り口付近は、まだ良かった。


果物や野菜には、ムカつきが少なかった。


しかし、奥の方へ行き、
肉売り場や魚売り場が目に入ると、
激しいムカムカに襲われた。



それを2.3度繰り返すと、
スーパーの入り口で、
すぐにひどいムカつきが起こるようになった。



家では、冷蔵庫を見ると、ムカムカした。


狭い家だったため、頻繁に冷蔵庫が視界に入った。


(今、考えると、それが良くなかったと思う。
しかし、当時は、ハッキリと自覚出来ていなかった。)



当時は会社勤めをしていたが、
朝から休憩室へ行き、布団に休むことが続き、
勤めはしばらく休んだ。
(最終的には、復帰できないまま、退職した。)



そして、家で、布団に1人でずっと寝ていた。


「何か食事を作ろうかな」と考えると、ムカついた。


それで、食事を殆ど作れなかった。


ひたすら、寝ていた。



夜、夫が帰宅すると、外食へ連れて行ってもらった。



他人が作ってくれた完成形の食事が、
忽然と目の前に現れると、
さわやかな食欲が湧き、嬉しく美味しく平らげることが出来た。



とんかつ・蕎麦・和食…。



近所のいくつかの店をグルグルと夜毎に夫と訪れ、
モリモリと食べた。


他人様の力に、私は心から感謝した。




産婦人科へは、その事実を告げなかった。


①医師から体調について何も聞かれなかった。


②当時の私は、非常に口下手で自己主張ができず、
自分からはなかなか症状を訴えられなかった。


③薬や医師を信用し切れず、
「自力で乗り越えるしかない」と思い込んでいた。


…この3つが理由だったと思う。




ムカムカがようやくおさまり、
平穏になったのは、妊娠8ヶ月だった。



最近得た知識によれば、
「8ヶ月では、突然の破水の危険もある。
遠出や旅行は避けるべき」らしい。



しかし、当時は「8ヶ月は安定期・旅行も可」とされていた。


私自身、超高齢出産だったにもかかわらず、
無知ゆえに何の恐れも持っていなかった。



担当医の許可も得ないまま、
私は大きなお腹を抱え、夫と共に、
夫の親戚の結婚式やら、夫の友人宅訪問やら、旅行を重ねた。



しかし、幸運にも、異変は生じなかった。


私は、無事、出産の日を迎えた。




私には、超高齢であるほか、股関節の障害もあった。


それで、担当医には、当初から
「帝王切開します」と宣言されていた。



前日、夫と共に入院し、夫と2人部屋に泊まった。


夫は「ここは食事が美味いぞ」と、
ホテル宿泊気分で喜んでいたし、
私にも、特に不安はなかった。



予定通りの時間に、手術室へ入った。



まず、腰椎麻酔。


私は手術台の上に上体を起こし、担当医に背中を向けた。



その時、担当医が「ウ~ン ウ~ン」と、
ハッキリ声を出しながら、注射を手にし、針を刺した。


私は、その唸り声に、「なんだ?こりゃ?!」と、内心驚いた。


そんな医師は初めてだった。



注射の直後、
右足全体に一瞬でしびれが走り、感覚がなくなった。


ところが、左足が、半ばビリビリしたものの、
感覚がまだ半ば残っている。



私は8歳で、腰椎麻酔で盲腸手術を受けた。


だから、
腰椎麻酔では、下半身の感覚が魔法のようにゼロになることを、
とっくに経験していた。



数年前の股関節の手術でも、
局部麻酔によって、
無感覚で金具を取り出された経験をしていた。



つまり、
「麻酔をすれば無感覚になる」という仕組みを、
私の身体はハッキリと記憶していた。



私は、言った。


「半分はしびれましたけど、半分は麻酔が効いてません。」



担当医はいらだった調子で、
「そんなことはない」と答えた。



私は、驚きながら、
いいえ、効いてません」と答えた。



担当医「いや、効いてるはずだ!」



私「いや、効いてません! 
  片足は完全にしびれましたが、
  片足は、しびれてません!!」



担当医「そんなはずはない!効いている!」




緊迫した押し問答が、10分近く、続いた。



途中から、私は全身が震え始めた。


下半身がほぼ裸・上半身も手術衣だけだったため、
身体がすっかり冷えていた。



しかし、それ以上に、私は恐怖でガタガタと震えていた。


「私は、このヤブ医者に殺される!!!」



「あぁ、こんな死に方をするんだったのか…私は…」



そして、心の中で、廊下にいるはずの夫へ向かって絶叫した。



私が死んだら、この子を育ててねー!!」


頼んだよー!!


お願いねー!!!




押し問答を打ち切ってくれたのは、
助手として立ち会っていた、もう1人の医師だった。



彼は、担当医より一回り年下だった。


しかし、担当医は「副院長」だったが、
彼は「院長」であり、立場が上らしかった。


(創業者の院長が引退し、
2代目として継いだばかりらしかった。)



それまで沈黙していた院長は、
突如、私のお腹の皮をつまんでよじりながら、
こう尋ねた。


「これ、痛い?」


私「痛いです!」


院長「やり直し!!




副院長は、無言で再度、腰椎麻酔の準備をし、
私も再度、彼に背中を向けた。



そして、副院長は、
またしても「ウーン ウーン」と、謎の唸り声を上げながら、
注射の針を刺し、液を注入した。



今度は、
アッという間に、全てがしびれ、無感覚になった。


私は言った。


「効きました!」



その後は、スムーズに進んだ。


すぐに、赤ん坊は取り出され、泣き声を上げた。



しかし、
超音波検査で「女の子ですよ」と言われていた赤ん坊は、
男の子だった。


私は、
「こんなヤブ医者じゃ、やっぱり、そんなことだわ」と思い、
全く驚かなかった。



というより、お腹を蹴ってくる小さな足の動き方から、
「こんな激しい動き方は女の子じゃないわ、
たぶん男の子に違いない」と、私は感じていた。



だから、男の子の名前も、別に用意していた。




病室の外の廊下では、
「5分位ですぐ生まれますよ」と言われた夫が、
20分経っても生まれないことに、疑問と不安感を増していた。



けれど、それは、無事な赤ん坊の顔を見て、即座に消え去った。




10日後だったか、無事に、退院出来た。



2.3ヶ月経つと、散歩に行けるようになり、
近所の公園で、同じ位の赤ちゃんを連れたお母さんに度々会い、
会話を交わすようになった。



ある日、産婦人科での私の恐怖体験を話すと、
そのお母さんは、こう答えた。



「私は、その先生に、痛いまま、切られました。
この子は2人目で、1人目は普通分娩だったので、
帝王切開は初めてだったんですよ。
…痛かったです…」




また別のある日、昔の同僚から電話を貰い、
この話をすると、彼女はこう言った。



「あー、私も3年前、その先生に、痛いまま切られたんだよー。そのお母さんと同じ。
1人目は自然分娩だったけど、
2人目が、なかなか生まれなくて、
結局は帝王切開になって、
そして、痛いまま切られたんだよー。
もし知ってたら、
あの医者だけはやめろって教えて上げられたんだけどねえ…。」





今、考えると、
出産で、もし私に万一のことがあったら、
夫は働きながら1人では子どもを育てられず、
施設へ送っていただろう…と思う…。


本当に、無事で良かった…。



神様、
私に20年以上の子育ての時間を下さり、
本当に、有り難うございました!
<(_ _)>