すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

学歴劣等感との訣別・1

きっかけは、些細な、ふざけた会話だった。



ふざけながら2人で交わしていた会話の中で、
夫が私に、突如、こう言ったのだ。


「○×大学、お前は、そこを受験すら出来なかったじゃないか。」



(○×大学は、バカ女地方では、一番の大学である。


○×大学を出た」と言うと、
この地方では、無条件に一目置かれる。)




夫にそんな事を言われたのは、初めてだった。


私は、一挙に傷ついた。


○×大学を、受験すら出来なかったのは、事実である。




夫の手を振り切って、その場を離れ、
昼間からベッドにもぐり込んだ。


虚しく壁を見つめた。


それから、本を数ページ読んでみた。



しかし、集中出来ない。


起き上がって、いくつか用事を片付けた。


しかし、気持ちがズドンと奈落に落ち、這い上がれない…。



そして、同時に、初めて気がついた。



「私が両親から出来損ないと見なされて来たのは、
○×大学に入れなかったことも、大きいのだな…。」




私には、兄が2人いる。


2人とも、その○×大学卒だ。



上の兄は、進学高校から○×大学にストレート合格した。


下の兄は、2浪して入った。



下の兄は、小・中と成績がパッとせず、
高校は、卒業生の殆どが進学しない所へ入った。



下の兄が高校に入学したとき、父は、こう言った。


「お前は体格が良い。高校では運動をやって身体を作れ。」


そして、折に触れて、褒めそやした。
「おお、お前は、良い身体しているなぁ!立派だなぁ!」



そして、卒業の時には、こう言った。


「お前は、IQが120以上だから、
2浪すれば、必ず、○×大学へ入れる。
最初から、2年計画で勉強しろ。
1浪で入ろうと思うな。みんな、それで失敗しているから」


下の兄は、それを実践した。


そして2年後、めでたく○×大学に合格した。




そして、私…。



私は、小学校時代、上の兄並みに成績が良かった。


父は、私を、
まず進学高校へ、それから○×大学へと進ませようと決めた。



そして、当時、田舎に住んでいた自分から私を切り離し、
中2から都会へ転校させ、自炊をさせた。



当時、○×大学へ進学したばかりの上の兄が、
私と一緒に住まわされた。



50年以上、昔の話である。



(さすがに、子どもを単身で転居させることは出来なかったのだろう。
母を、書類上で転居させ、私と同居という形にした。
しかし、母が実際に住み、家事をしたのは、父の家だった。)




日々の炊事係は、私だった。


その件については、当時から、誰も話題にしたことがない。



19歳の兄ではなく、14歳の私が、
炊事をはじめとして、家事の大半を担う…。



それは、少なくとも、19歳の兄にとって、当然だったようだ。


そして恐らく、両親にとっても、そうだったのだろう…。



して、誰よりも、私自身が、それが当然だ…と思っていた。



当時、「家事は女の仕事」だったから。



しかし、考えてみれば、「2人とも学生」だった。


あの場合、「男の仕事=兄の仕事」は何だったのか?


今、考えても、兄が何をしていたのか…?


私には、分からない…。



しかし、14歳、正確には13歳だった私には、
「世間の慣習に従う」以外の考えは持ち得なかった。




学校が終わると、スーパーマーケットに寄り、
夕食の買い物をして帰宅し、2人分の夕食を作る。



夕食作りには、1時間かかり、
野菜炒めとカレーとシチューが多く、魚は殆ど食べなかった。



時折、無性に、母の手料理が恋しくなった。



そして、母の得意料理だった
「茶碗蒸し」「巻き寿司」「ちらし寿司」を、再現して作った。


(成人後は、それらを作るのが、完全に嫌になった。
2度と作っていない。)



昼食は、毎日、購買のパン。



朝食は、牛乳。時間があれば、食パンをトーストした。