すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

セッカチな夫と暮らす方法

夫は、かなりのセッカチだ。



昨春から、夫と、毎日一緒に家で過ごすようになった。


それで、ますます、夫のセッカチが私にも分かるようになった。



要するに、夫は、
常に前のめりに、数時間先へと、気持ちが行ってしまう人なのだ。



夫は、もうリタイアし、働いていない。


まして、今は、コロナで引きこもっている。


つまり、夫のスケジュールは、毎日、ほぼガラ空きだ。


時間に拘束されていない。



先の予定を考えず、
成り行き任せに、ゆったりと、
場当たり的に生きて行っても構わない、
かなりお気楽な生活だ。



しかし、夫は、例えば、
散歩に行けば、身体は歩いている。


けれど、頭の中では、もうとっくに、散歩を終えている。


すでに帰宅し、テーブルに座り、オヤツをパクついている。


夢中になって、オヤツを味わっている。




夕食を食べれば、身体は、食べている。

しかし、頭の中では、
もうサッサと布団を敷いて横になり、ゆったりと寝ている。


そういう自分に、もうなっている … そうだ。



…それを知った時、私は結構、驚いた。


私には、そんな習慣は全くないからだ。



しかし、夫が頭の中で考えているだけなら、私に実害はない。


困るのは、一緒にどこかに出かける時だ。



夫は、私が玄関を出る5分~10分前には、玄関を出てしまう。


そして、玄関前か、車の中で、私を「今や遅し」と、じっと待つ。


暖房・電灯OFFや、窓を閉めるなどの戸締りなどは、
すべて、私任せだ。


とにかく自分は、サッサと出てしまう。


(あまりにもサッサと出るため、夫は、忘れ物が多い。
私がそれに気づき、渡すこともしばしばだ。)



夫がアッという間に出て行ってしまった後、
私は取り残されたことに気づき、焦る。


まだまだ準備が済んでいないのである。


身支度をしながら、
あれやこれやと持参物やら、出かける前の片付けやらを、
次々に思い出す。


それらを処理して行くと、どんなに急いでも、
結局、夫を待たせてしまう。



それで、
夫を待たせている罪悪感が生じ、
キリキリと一層焦り、苦しくなる…。




毎回の食事の準備でも、同じだ。


コックの私は、出来た料理から先に、テーブルに置いて行く。


すると夫は、2.3品出てきたところで、待ってましたとばかりに、
自分の分を自分の前に寄せて、キチンと並べ始める。


そして、今にも、箸を取って食べ始めそうな勢いを示す。


実際、まだ準備完了しないうちに、
1人で食べ始めることもある。



まだ魚を焼いていたり、1.2品を準備中の私は、
それを見て、キリキリと焦る。



またしても、夫を待たせている…という罪悪感が、
私を責めさいなむ…。




客観的に見れば、食事開始時間が遅れているわけではない。


だから、問題は何もない。



しかし、夫が「さあ、食べるぞ!」という態勢に入り、
それが私に伝わってくると、
私が焦り、キリキリと追い立てられ、辛くなってしまう…のだ…。



考えた。



なぜ、こんなツマラナイことで、
日々、キリキリと辛い思いをしなくてはならないのか?



すべては、夫が勝手に、「せっかち」を発揮しているだけなのだ。



彼が彼のペースで行動しているのならば、
私は私のペースで行動しても良いはずだ。



私たちは、平等なのだから…。



そう気づいてからは、
夫がいくら勝手にペースを速めようが、

気にしないよう、私は努めることにした。




「勝手にセッカチで気がせいているのだから、ほっとこう。
私が無理をして合わせる必要など、ない。」


あえて、そう、考えることにした。



悠々と、玄関前に待たせておく。


悠々と、食卓が整うまで、待たせておく。



夫は、好きで早目に待っているのだから、
長く待とうと苦にならないはずだ。


もう、私は、気にしない!



そう、考えることに、決めた。



それが、ゆったりと、うまく実行できる日もある。



しかし、
待たれていると、ついついキリキリと、

焦燥感に駆られてしまう従来の私も、時々出現する…。




相手を変えることは、出来ない。


だから、自分を、変えるしかない。


相手のペースに、もう振り回されず、
自分のペースを、悠々と守ろう。



私にも、夫と同等の権利はあるのだ。



そう、自分に言い聞かせる日々だ…。



しかし、この問題を考えただけで、
なぜか、キリキリと辛くなる、
心の弱い私なのである … 。



修業が足りないわ ~ !