すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

帰らぬ天才

経済崩壊と医療崩壊。


どちらが、怖ろしいのだろう?


どちらを、避けるべきなのか?



イタリアの看護師が、自分も咳こみながら、
「地獄だ。毎日、患者も同僚も次々死んでゆく」と訴えていると聞けば、
医療崩壊だけは絶対に回避したい…と思う。



イギリスでは、所得の8割が約束されたので、みんな我慢して家にこもっている…と聞けば、
ナゼ、日本政府はそういう思い切った手段を取らないのだろう?と、疑問に思う。




安倍首相や小池都知事の行動を見ていたら、彼らが、コロナ<五輪という意識なのが伝わって来た。


要は、経済>医療 という考えなのだろう…。




このウィルスで死ぬのは、主に、高齢者と持病のある人。


子ども・若者・元気な人は、生き残りやすい。


たとえ、医療崩壊したとしても、「元気な人たち」は、最後まで生き残るだろう。




つまり、最悪の場合、年齢的人口構成が大きく変わる。


「社会にとって厄介なお荷物の人たち」は一掃され、「生産性の高い人たち」が生き残る。


とりあえず、「元気な人たち」が身軽になって、世界を運営することが可能になる … 。


いずれ、その人たちも高齢化し、「お荷物」にはなるが…。



今の日本政府は、医療と経済の両方を壊さないため、ギリギリのところでバランスをとろうと、必死になっているように見える。



しかし、いったん、感染が爆発すれば、それはもう、とめようがなくなるのではないか?


結局は、経済も破壊されるのではないか…。


感染爆発を抑えるためには、ひとまず、経済を犠牲にするしかないのではないか?




経済を犠牲にした場合、収入を失い、自殺する人が出てくる恐れもある。


それを防ぐために、イギリス政府は、「8割の所得を約束する」と、打ち出したのだろう



日本政府が、そういう「経済弱者救済」を強力に示さないのは、
「弱者は死んでも仕方ない」と考えるからなのか ?


「医療崩壊して、身体弱者が多数犠牲になるのは、仕方ない」と考えるのと、同じなのか ?


「弱肉強食」。 


強い者が生き残り、弱者が死ぬのは仕方ない。
そういう考えなのか …?


(…それとも、経済を犠牲にして感染爆発を回避出来た場合に、「憶病風に吹かれて、過剰反応し、経済をダメにした」と、大批判を浴び、自分たちが失脚することを恐れているのか?)




「弱者切り捨て」は、正しい道だろうか?


動物とは異なる、「知性」と「感性」を持った「ヒト」の、取るべき道だろうか?



弱者を強者が守りながら、犠牲者を出さないように、
みんなが知恵を絞って工夫し合い、励まし合い、声を掛け合いながら、
一体となって、とにかく共存を図る…。


誰かを見殺しにしないために、1人ひとりが、少しずつ我慢し、辛さを耐え忍び、
温かく支え合う…。


それが、「あるべきヒトの姿」なのではないか…?



誰かを見殺しにする体験…それがどんなに辛く、生涯長く重くのしかかってくるかは、戦争でも、震災でも、経験者が一様に悲痛に語っていることだ。



しかし、「理想」と「現実」は、違う …?


イザとなれば、
年寄り、病人、貧乏人の「弱者」は見捨てられ、元気な「強者」が生き残る…。


それが、われわれ生き物の「宿命」なのだから、仕方ない…。


日本政府も、その政府を選んだ私たち日本人も、
そのように割り切っているのか …?



いずれにせよ、
私たちをあんなに笑わせてくれた、希有の天才、志村けんさんは、2度と帰らない…。




彼の無念の死を、「功績」と評した小池知事の感性…。


こんなに無神経な人でないと、政治家は務まらないのか?


それとも、彼女だけが、たまたま、「鈍感力」に富む人なのか?