すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

割れた小鉢・その1

夫には、数ヶ月前から、食洗機の食器出し入れを任せてきた。


夫に任せてから、明らかに、食器の破損が増えた。


今朝も夫は、小鉢を1個、割った。


食洗機から取り出し、すぐ後ろにある食器棚に、振り向きざまに置こうとして、
手がすべり、床に落とした。


私が理解できないのは、
そういう時、夫が二言三言、必ず発する悪態である。



私が食器を落として割った場合には、
私は、「ギャー」とか、「アアァッー」とか、

すぐに叫ぶ。


叫びながら、
「わーっ、失敗したぁー!」とか、
「あらーッ、今日の私は、指先がボンヤリしてるんだなー」とか、
「もっと、シャキッとしなくちゃー」とか、

瞬時に思う


同時に、「片付けが面倒だわー」と、
暗い気持ちになる。


そして、片付けながら、
自分の失敗にげんなりして萎れる。


そして最後は、落ち込みすぎた自分にハッと気づく。


そして、
「たかが、安物の茶碗じゃないのー。たいしたことじゃないさー」とか、
「にんげんだもの
ー、失敗はあるさー」と
自分を慰撫し、自分を何とか立て直す。



夫の場合は、割るとすぐに、「小鉢」を激しく罵る。


彼の言によれば、「彼が落とした」のではない。


小鉢が勝手に彼の手を離れた」のである。


「小鉢に、すべての責任がある」のである。
夫に、責任はない。



食器を割った時だけではない。


テーブルの脚に蹴躓けば、
「そんなところに突っ立って、俺様の邪魔をしやがる、このテーブルの脚め!」と、罵る。


壁に釘がうまく打てないと、
「こいつは、出来損ないのクソ釘だ!」と、
釘を激しく罵る。



いつも、
「トラブルの原因は、モノにある。決して自分にはない!」。
そういう判断が瞬時に下され、大声で宣言される。



ここが、私には実に驚きであり、不可解なのである。



なぜなら、「モノ」には「意志」も、「行動力」もないからである。


モノを動かしたり、モノにぶつかったのは、夫自身である。
モノが勝手に動くことは、あり得ない。



それなのに、なぜ、


自分の失敗を「モノの責任」に出来るのか ❓ ❓



息子の言動を見ていると、息子も、夫と全く同じである。


探し物をしていて、見つからないと、そのモノに怒っている。


モノをひたすら積み上げて高い山を築き、整理せず、モノを見つけにくくしたのは、息子自身であるのに…。


イスにぶつかったら、イスをこっぴどく叱りつけている。


周囲をよく見ずに、突進したのは、息子自身であるのに…。



昔は、「息子は、まだ幼いから、自己中心的なのだろう」と、私は考えていた。



しかし、成人後の今も、息子は変わらない。
夫とソックリである。



これを、どう解釈すべきか … ❓


私には … 分からない … 。