すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

シャボン玉消えた

昨日、息子が突然現れた。


大量のゴミを持ち込んだ。


代わりに、お風呂場マットなどを持ち出し、すぐに去った。


まー、いいさー。




…なぜ、自分は、あんなにも、息子にのめり込んだのだろうか?


…考えている。




息子が去った途端に、
「勝手にしやがれ」や、「よこはまたそがれ」が、脳内に鳴り響くなんて…。


「近親姦の関係」だったのか?と、誤解を受ける恐れすらある…。



…やはり、ひとつには、私自身の「親との関係」が大きく影響していた…と思う。



※以下、長文ですので、スルーください。





私は、思春期から20代前半まで、
父によって、自分の意志を全否定され、進路を完全に支配された。


母からは、幼時からずっと、嫌悪と侮蔑を向けられ続けた。



20代半ば、私はもう、父の言いなりには生きられなくなり、父に大きく逆らった。


すると、父は、私を勘当した。


以後しばらく、私は親と縁が切れた。




しかし、数年後、私は、親に会いに行ってしまった。


当時の私は、とても弱かった。


あんな親にも、まだ捨てられたくはなかった…。




その後、私は親を、大人同士として、じっくりと観察した。


その結果、「この人達は、付き合う価値のない人達だ」という結論に達した。


それでまた、私は親と疎遠になった。




ところが、その後、私は結婚し、息子を授かった。


私は、
息子から「祖父母との交わり」を、私の都合で奪ってはいけないのでは?
と、考えてしまった。


その上、食い意地の張った夫が、私の母から飲食のもてなしを受けることを好んだ。



それで、私はまた、実家に足を踏み入れるようになってしまった…。



母が、私の夫をもてなしたのは、
「よくぞ、こんな出来損ないを貰って下さいました。どうか捨てないで下さい。
もし、あなたに捨てられたら、親の重荷になって困ります」

という気持ちからだった。


しかし、自分の母親からたっぷりと愛された夫には、
そういう心理は、私がいくら説いても、理解してもらえなかった。



いずれにせよ、親に会うことは、
私にとっては、精神的拷問だった。

私は実家から帰宅すると、しばしば具合が悪くなり、寝込んだ。


しかし、「自己主張」が全く出来なかった当時の私は、ひたすら黙って耐えていた。




父は、私が結婚した頃から、アルツハイマーの症状が出始め、少しずつ進行した。


母は、80歳で大腸癌になった。



両親が昔から「比類なき孝行息子」として溺愛し、
老後には世話になるつもりでいた私の兄は、
両親が老いると、両親を完全に見捨て、連絡を絶った。



結果的に、私が、弱者となった親を助力するしかなくなった。


それは、私にとって、大きな苦痛だった。


しかし、私は、一方、
「もしかしたら、これで、親は私を見直すかも?」という期待を、心の底に持っていた。



呆けた父が89歳で死に、一人になった母も、時折、呆けを示すようになった。


私は、母を、老人ホームに入れるしかないと考えた。


母を必死に説得し、ようやく同意を得た。



兄が、それを知り、妨害してきた。


兄は、
「老人ホームは金がかかる。自分のもらう遺産が減る。妹が母を世話すれば、金がかからん」と
考えたのだ。


しかし、母の決心はゆるがず、母は、自分の希望通りの老人ホームへ入居した。




今、母は98歳になった。
マダラ呆けだ。


父の死の後始末をしたのは、兄ではなく、全部、私だ。


母の世話も、全部、私だ。




しかし、母は、相変わらず、私を否定し、嫌っている。


私の兄を、いまだに愛し続けている。



それは、生涯、変わらない…と、
ようやく、私にも理解できた。





親から、「無条件の愛」を貰えなかった私は、
息子が生まれ、息子が私を全身で慕ってくれるようになると、
その愛に耽溺し、夢中になった。


私が、飢え続けていた「心からの愛」を、息子が初めて与えてくれたからだ。



しかし、その「子からの愛」は、期間限定の愛だった


なのに、私は、それに気づかなかった。


「大人同士になっても、良好な関係でいたい」

私は、そう願い、実現を信じてきた。


しかし、それは、幻想だった。




シャボン玉は、大きくふくらんで空へ飛び上がった。
そして、パチンと割れた。



呆然と、シャボン玉の消えた、暗い空を見上げている初老女が、
今の私だ…。




…もう、私は、「無条件の愛」など、ほしがらない。


誰とも、「」のように、サラサラと交わろう。




…しかし、私は基本的に、極度の寂しがりで甘えん坊だ。
これからは、「夫への依存度」が高まるに違いない…。



夫と私の行く末は、神のみぞ、知る…。