すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

悪魔の瞬間と天使の瞬間

カズオ・イシグロの
「クララとお日さま」を読んだ。



以下、ネタバレ含みます!





とても、悲しい読後感だった。





人間は、
「身勝手」を、
乗り越えられないのだろうか……?
と思った。





2人の母親が描かれていた。


2人とも、我が子を愛している。




しかし、1人は、
重病を病んでいる子が死ぬこと、
すなわち
自分が
子を永遠に失うことを
強く恐れている。




そして、
その時の自分のために、
まだ子が生きている今のうちから
準備せずにいられない。





1人は、
昔昔、
自分が付き合って振った彼氏とのコネを、
数十年も経った今、
我が子のために使おうとして、
なりふり構わず、

行動せずにいられない。


その結果、子を傷つけてしまう。






思春期の子どもの親友となるために製作され、
購入されたロボットであるクララは、
純粋に

相手のために行動する。



クララは、自分のためには行動しない。



そればかりか、
自分を損壊する可能性のある行動までも

選択する。


相手のために。






古来、
母親とは、
子のために無償で自己犠牲し、
献身するものだと
一般的に
考えられている。





しかし、母親も、
一人の生身の人間である以上、
献身のみでは済まず、
エゴのためにも行動する。





そのため、母は、
深く愛しているはずの子を、
結果的に
大きく傷つけてしまうことがある。





それを、(人間の業を?)
カズオ・イシグロは
描き出しているように思える。






「遠い山なみの光」でも、そうだった。







「クララとお日さま」の中で、
最も強い愛を持ち、

愛のために行動しているのは、
人間ではなく、
ロボットであるクララである。






人間には、各自、
強いエゴがあり、


しばしば、
愛よりもエゴを、


「相手のためより、自分のため」を
優先させてしまう。





また、
母が子を愛するよりも

強い愛で
母を愛しているのは、
実は、

子である。





「クララとお日さま」の中でも、
子は、
母の行動を許す。



そして、
「あなたの元に生まれて良かった、
あなたは最高の母だ」と
母に伝える。






ほとんどの場合、
母が子を愛す以上に、
子は母を愛し、
許しているのだ。





しかし、
それを理解しない母が多い。




たいていの母は、
「自分の愛が最大・最高だ」と

思い込んでいる。





確かに、
「母業」というのは、
自己犠牲が必要なことが多い。






しかし、
そもそも、
母が「子を産む」というのは、
母の「自己都合」であるのだ。






昔、
「子を産むのは、

人としての義務だから産んだ」と
言っている母の話を聞き、
私は驚いたことがあるが、

そんな「義務」は、
人間に

課せられていない。




「産む本能」は、あるだろうが……。





子から
「産んでくれ」と頼まれて産んだ母は、
古今東西、
1人も
いない。





だからこそ、
母は、
子の幸福が実現するよう、
全力で

努力する義務があると、
私は考えている。







父にも、同じ責任がある。


最近、ようやく、
「射精責任」ということが

言われるようになったが、


子に対し、
重い責任を負うのは、
父も、

完全に同じである。




現状は、
不十分なケースが多すぎるが……。







実に、身勝手なエゴイスト。


人間とは、
私自身を含め、
そういう生き物なのだ……。



私が60数年を生きてきて、
ようやく理解したのは、


それが現実だ、


ということだ。






しかし、
悪魔が跋扈する反面、
天使もまた
活躍している。




悪魔が
天使の一面を見せることがあり、
その逆のケースも、またある。




それが、
この
人間世界だ……。






できれば、
悪魔ではなく、
天使に近くなりたい。





悪魔ではなく、
天使である瞬間が多くありたい。





しかし、
私には、難しい……。








最後に書いておきたい。




クララは
確かに、「人造物」だ。




しかし、
クララのなしたことは
偉業だ。




人間たちの助けを
借りたが、

人間たちには出来なかったことを
彼女は
実現した。




彼女は
自己犠牲を払って
「心からの愛」を
形にした。






それなのに、


それなのに……、


この物語の結末は、
どうだろう……。





私は
悲しくてならない。