すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

最近の出来事に思った事

最近起きた、ある出来事について、
私が連想したのは、「オウム真理教」だ。



麻原彰晃は、「サイコパス」だそうだ。



サイコパスは、
嘘を吐く事も、

他者を自分の道具にする事も、
全く平気であり、
良心の呵責を感じないそうだ。


他者を騙して、
自分の思い通りに操る事に、非常に長けている。


口達者で、
一見、
とても魅力的な人物に見える…そうだ。



オウムの若い信者の中には、
「元々、優秀で真面目で一途な優等生」が

多数、
含まれていたそうだ。


信者の中には、
麻原の犯罪が露見後も、なお信仰を捨てず、
熱心に信者を続けた人もいたらしい。


親が
子を取り戻そうと必死になっても、
なかなか難しかったらしい…。



それほど、
麻原は
魅力的で、
人をとりこにする才能があったのだ…。




また、ある種の人々は、
安全に囲われた柵の中で、平和に暮らしている。



彼らは、
「サイコパス」が実在し、

狼のように
他者を食いちぎって餌にする事など、
およそ考えた事もなく、

素直に
人を信じて暮らしている。



それほど、
柵の中は守られており、安全なのだ。



しかし、
柵の外では、
サイコパスが羊を狙っている。



たまたま、
柵の外に短時間出た、世間知らずの若い羊に、
サイコパスが

言葉巧みに近づき、
自分のとりこにしてしまう事がある…。




…そうなると、悲劇が起こる…。





もう一つ、
私が感じたのは、
思春期の女の子にとって、
母親の温かい密接な心理的サポートが、いかに重要か…

という事だ。


女の子の悩みに気づき、聞き取り、
受け止め、共に考え、
年上の同性として、

女の子が
より良い方向へ進めるよう、
アドバイスする…。


何より、
「あなたは孤立していない。
私は、

あなたを理解し、支え、ずっと共に歩いて行きます」と


温かく根気よく、
女の子に
「愛」を伝える事が重要だ。



母親が
女の子に寄り添い、
「熱い愛」を伝えれば、
女の子の心の中に、
温かい大きな愛の灯がともる。


女の子は、
その明るい温かい灯に温もる。



虚しさや寂しさに耐え切れず、
「愛」を求めて
外を彷徨い歩いた結果、
サイコパスに騙される事がない。



心の中の明るい灯は、
女の子を生涯温め、
女の子は
幸せな道を歩いて行く。



「優秀で真面目な優等生」だからと言って、
親は決して、
子から
目を離してはいけない。


親の熱い愛を伝える努力をしないまま、放置してはいけない。



真面目な子だからこそ、
騙された時、
相手を完全に信じ込み、
とことん騙されてしまう事がある…。





最後に、私が思った事は、
どんな人間にも、
「基本的人権」と「自由」が必要だという事だ。



いくらお金があっても、
人間は、
それだけでは幸福になれない。



職業選択の自由・居住地の選択の自由・信教の自由など、
人間には

「自由」が必要だ。



柵の中で、安全に裕福に暮らせるからと言って、
一生、

狭い窮屈な柵の中だけに閉じ込められる生活は、
人を
幸せにしない。



貧しい、食うや食わずの昔の時代には、
「安全と裕福」には、

価値があった。



しかし、
現在のように、
食うや食わずでない生活、
安全な生活が
一般的になった時代には、
「基本的人権と自由」が、
大きな価値を持つ。



万人に、
基本的人権と自由を与えるべきだ。



人間は、
みんな平等に自由であるべきだ。




それから、
「男尊女卑」は、間違っていると
私は思う。



柵の中であれ、柵の外であれ、
「男女平等」であるべきだ。



75年前には
まだ、
女性は
選挙権を持たなかった。



しかし、
今は、
女性にも
投票が出来る。



女性には、なるべく、
「男尊女卑を公然と肯定している政党」
「男女差別を容認している政党」には
投票しないで頂きたいものだ。



女性が、
「男女平等」を
大切に考え、
貴重な1票を行使すれば、
日本は、

もっともっと
住みやすい国になって行く…。





「白票を投じて
現状に異議申立てしましょう」と
勧める人がいるが、
とんでもない事だ。


白票は、棄権と同じだ。


現状を容認する事になる。



現状に異議があるのなら、
キチンと、
現状に異議を申し立てている政党に
1票を投じる事が
必要だ。



とにかく、
投票に行かなければ、
何も
始まらない。



投票に行こう。