すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

イジメについて・1

【長文】



息子のいじめられ事件・その2



実は、息子には、「いじめられ事件・その1」も、ある。


しかし、今は、書かない。






息子は小学生になると、サッカーに心を奪われ、
1人で練習を始めた。



やがて、
同級生たちと遊ぶようになり、
数人のサッカー仲間が出来た。




天候が可能なら、戸外でサッカー遊び。


サッカーが無理なら、同じメンバーたちと室内で遊ぶ。



毎日毎日、
そういう放課後を過ごし、2.3年が経って行った。




私は、夢中になって遊ぶ息子を見て、安心しきっていた。




ところが、ふと気づくと、
いつのまにか、
息子の挙動がおかしくなっていた…。




軽くちょっと注意しただけなのに、
めそめそシクシク、
泣き出す




「あれ?変だな?どうしたんだろ?」と
思っているうちに、
異常な挙動は増した。




トイレで、延々と、お尻を拭き続ける。


何度も何度も、果てしなく、ペーパーを引っ張り続ける。



手を洗う時、
まるで手術前の外科医のように、
延々と時間をかけて洗い続ける。


深刻な、泣きそうな表情を浮かべて…。



パンツを、1日に何度も履き替える。


必死な暗い表情を浮かべて…。




ぐっすりと眠っていたはずの真夜中、
突然、
大声で叫び、布団の上にガバと立ち上がる。





私の不審は、増した。



しかし、
それ以外の息子の日常生活には変化がなかった。



相変わらず、
同じ仲間たちと放課後、遊び続けていた。





ちょうど、全国的に、
「子どものいじめ」が話題となっていた時期だった。



たまたま息子と一緒に見たTV番組で、
小学生が輪になって座り、

自分たちのいじめられ体験を語る場面があった。




私は息子に、何気なく尋ねた。


「アンタの学校で、こういうこと、ない?」



息子は答えた。



「A君が、ぼくに、いっつもイヤなこと言う。」



「エーッ?!」と、私は、のけぞった。





A君は、入学以来、
息子にとって

「一番の仲良し」
「いつも一緒の大好きな友だち」だったからだ。



「どんなこと、言うの?」



「絵を描く時間に、
わざわざ遠くから見に来て、
『おまえ、絵もニガテなんだな』とか言う。」





すべての謎が解けた。




息子は、まったく言い返せない性格だ。




そこに完全につけ込まれ、
毎日毎日、一日中、
悪口言われ放題のサンドバッグになっていたのだ。





(A君は、1年生の時、すでに、
遊び仲間のB君を、
今回と同様な方法でいじめていた。



周りは、それを知っていた。



たぶん、知らなかったのは、
A君の母だけだったのではないか。)






A君がなぜ、そうなったのか、私には、すぐに察しがついた。





A君のお母さんからは、
私は、
何度も話を聞いたことがあったが、
彼女は、

「異常」な人だった。




「××高校(県内トップクラスの進学校)に入れて、
医者にする」というのが、



A君が生まれてからの「既定路線」だった。



(なんと驚いた事に、
それは「受精以前からの計画」らしかった。)




それは、
お姑さんからの
逆らえない「絶対命令」だったらしい。




そして、
A君の両親も
その命令を肯定的に受け入れ、
自分たちの最大目標として、
必死に真剣に子育てをしていた…。





当時の息子の話によると、こうだった。





ある日、テストがあり、A君は90点を取った。



A君は、困った表情で真剣に担任に歩み寄り、こう言った。



「90点だから、家に入れてもらえない。


100点じゃないと家にいれないと、お母さんが言った。


どうしたら良いか?」



担任が、どう答えたかは、息子には聞こえなかった。




担任は、年だけは取っており、
「自分はベテランです」という自信を漂わせる人だった。




(バカな私は、当初、それにダマされた。)




しかし、実際は、
思考力・想像力・共感力・行動力に乏しい
「無能教師」だった。




A君の驚くべき話を聞いても、
特に何も、
母親に対して働きかけなかったのだろう。




働きかけたとしても、表面的な弱い働きかけであり、
狂信的なA君の母には、

何の影響も及ぼさなかったのだろう。



今、私はそう思う。






ちょうどその頃、
A君の母自身の口から、
私は、こういう話を聞いた。



「Aを習い事の教室に連れて行って、
駐車場で待っていたら、
教室がまだ終わっていないのに、

途中で、Aが戻って来た。



教室へ車で連れて行く途中で、
Aとケンカになり、
『そんなこと言うなら、今日、家に入れない』と

私が言ったので、
不安になったのが原因らしい。」





A君の母の話しぶりからすると、
まだ10歳にもならない無力な子どもに、



最大の庇護者である母親自身が、


「~~しないと、家に入れない」と脅すことは
「虐待」であり、
「言ってはならないこと」だという考えは、



彼女の頭には、
つゆほども浮かばないようだった。





「最難関の××高校に入れて、医者にさせる」。



それが、唯一絶対の道。



そのために乗り越えるべきハードルを、必ず乗り越えさせる。



それが、正しい親の義務。それが、すべてに優先する。



その目的のためには、
Aに、
親が必要と判断したことを
絶対に強制しなければならない。




そう固く固く、彼女は信じ込んでおり、
周囲がそれに驚く態度など、一切目に入らない様子だった。





そして、
彼女を突き動かすのは、
異常に厳しい「夫の母からの命令」だった。




また、
「オレの母親に従え」というのが、
夫からの「絶対命令」でもあったのだろう。




A君母の話を総合すると、
夫であるA君の父親は、

家庭内では、「暴君」であり、
「手に負えない駄々っ子」でもあった。






A君母は、実際に何度か、
A君を「家に入れなかった」のでは…と、
私は想像する。



だからこそ、A君は、
あれほど強い恐怖心を持ったのではないか。





また、
A君の家の隣家の子は、
当時、こう証言していた。



「毎日、A君を叱るお母さんの怒鳴り声が聞こえてきて、
すごくウルサイんだよ。」






担任が無能である事実に、
当初、
バカな私は気づいていなかった。




それで、私は担任に、こっそり相談した。




息子は、プライドからだろう、
「絶対に担任には言わないで」と、私に頼んでいた。



けれど、私は、
「教室で、
日常的に繰り返されているイジメ言動を
抑止できるのは、担任だけ」と
考えた。




それで、
「やはり、誰よりも、担任に事実を伝えねば」と思った。




何度も相談した。




しかし、
事態は変わらなかった。


全くのムダだった。





途中、
校長・教頭も知るところとなり、
彼らは私と話したい様子だったが、
私は受けなかった。




「事態が大ごとになり、A君母に伝われば、
かえって、マズイ事態になるのでは?



A君の親が逆上すれば、
収拾がつかなくなるのでは?」と、
私は
怖れた。




(しかし、今思えば、
校長の方が、担任よりもはるかに頼れる、
まともな相手だった。)





とにかく、
A君母・祖母の考えは、あまりにも狂信的だった。




その強固な岩盤のような考えを変えさせるのは、
至難のわざ・無理なことだと、
私には思えた。




ヘタにこじれると、
もっと、息子が傷つく事態になるのでは?
と、私は怖れた。





そのうちに、担任に相談したことが、息子にバレた。



息子は、大泣きした。



息子が落ち着いてから、私は尋ねた。




「どうして欲しいの?」




息子の答は、
「お母さんから、A君にやめるように言ってほしい。」




私自身、
小学校時代の10歳頃に、クラスでイジメに遭った。



しかし、
私は、親にも誰にも相談せず、
たった1人で悩んだ挙げ句、自力で克服した。



クラス全員の前で、
イジメのボスと対決し、打ち克った。




私は、
そういう「親に頼らない自力解決」が「普通のやり方」だと
思っていた。




だから、
息子からの頼みには、正直、
「なんと、他力本願な…」と驚いた。




しかし、言われてみれば、
気弱な息子の場合は、
それが一番良い方法のようにも思えた。





それで、私は、
いつも通りに普通に遊びに来たA君に言った。




「息子が、A君に、いろいろ嫌なこと言われて、
とても心が傷ついているの。


夜も眠れないでいるから、やめて頂戴。」



優しく、頼んだ。





…結果は、何も変わらなかった…。





2回目、私は覚悟を決め、
怖ろしい形相で、低い声で言った。




「やめないと、アンタのお母さんに言うよ。」





イジメは、ピッタリと止まった。




A君は、やはり、
自分の母親を誰よりも怖れていたのだった…。






次のクラス替えでは、「A君とは別のクラスに」と、
担任に依頼した。



「実現出来ない可能性もあります」と言われたが、
結果的には実現した。



今、思えば、
「別クラスにしてくれ」は、
担任レベルではなく、
校長へ直接、申入れすべきだった。



…こうして過去を顧みると、
当時の私は、
本当に未熟・無知だった…。






そして、新クラスで、
A君は、
やはり遊び仲間だったC君を、同様の方法でいじめた。




A君の新担任は、「超」が付くほどのアホ無能教師だった。




C君は、しばらく不登校になった。




しかし、休んだ間に力を蓄え、
再登校時に口で攻撃してきたAに対し、毅然と言い返し、
独力でいじめを克服した。





しかし、
A君母のA君への虐待言動は、
その後も、継続していたらしい。




その後、2度、
玄関の傘立てに置いていた息子の傘が、
ボッキリと、真っ二つに、
へし折られた。




子どもたちの目撃情報によれば、犯人は、A君だった。




A君のアホ担任に、私が電話すると、アホ担任はこう言った。




「Aに、おまえがやったのか?って聞いたら、
違うって言ってましたよ。」



私「それって、クラスみんなの前で聞いたんですか?」



アホ担任「そうです。
Aは、

息子さんのことが好きだって言ってましたよ。」



それを聞いた私の全身の血が、怒りで逆流した。



私「相手を好きなら、相手に悪いこと、しないんですか?


ストーカーって、みんな、相手のことが好きなんですよね?


だけど、自分のことが、もっと好きなんですよ!


どうして、そんなこともわからないんですか?!」






その後のA君は、
難関高校にも、医学部にも
進まなかった…。


遠方の、聞いたこともない、私大へ進んだ。



両親・祖父母の、あれほどの悲願・期待は、
実現されなかった…。






私の知る範囲だけでも、
小学校時代、3人の友を虐めたA君




足を踏んだ方は、踏まれた方より、
「踏んだという自覚に乏しい」のが、普通らしい。




どんな青年に成長したのだろう…。




問題は、
彼が、もしも親になったら、どう行動するか…だろう…。





A君自体は、
もともとは「問題ない、普通の子ども」だった。


私はそう思う。



むしろ、
あんなにも虐待されながら、壊れてしまわなかった程、
「強い子」だったと思う。




しかし、
自分の受けている強いストレスを解消するため、
自分を守るため、
「弱いものいじめ」に走っていた…と思う。





人間は、
理不尽な暴力・いじめを受け、
ストレスが溜まると、
それを発散し、うさ晴らししてスッキリするために、
自身も、理不尽な暴力・いじめを
自身より弱い者に対して行なう。



そうしないで、
ひたすら、自身が苦しみ続ける者もいるが、
他者へ向かって発散する者は、多い。






A君は、息子に対しては、「加害者」だった。


しかし、家庭内では、「可哀相な被害者」だった。





A君母は、無力なA君に対し、「残酷な加害者」だった。


しかし、
姑・夫からは、大きく迫害と強制を受けていた、
「哀れな被害者」だった。






イジメは、
そういう「負の連鎖」で起こるケースが多いと思う。






私自身が
小学校のクラスで受けたイジメも、
同様な因果関係で起きた…と、今にして思う。



私をイジメた子の父親が、その子に暴力を振るい、
日々、イジメていた…。




その強大なストレスを発散するため、
その子は、クラスを冷酷に支配し、
私を仲間はずれにし、
果ては、

私に暴力を振るった。






また、
私の母も、
簡単に言うと、長年、私をいじめて来た。




それは、
夫である私の父から、母自身がイジメを受け、
そのストレス解消のために、
母より弱い私を無思慮にいじめ、

自分のモヤモヤを発散し、スッキリしていたのだろう…と思う。





父から理不尽なことを多々されなければ、
母も、

あれほど私をいたぶらなかったろう…。





母には、
自分の行為を客観視するほどの、「理性」が欠けていた。




私への「思いやり」もなかった。




要するに、母は、精神的に「ガキ」だった。



手近な私を、無思慮に利用した。



それは、今も、変わらない。






そして、
父もまた、「精神的幼児」だった。



「家庭内暴君」「駄々っ子」だった。




父自身、おそらく、
自分の母親から、心理的虐待【否定】を受けていた…。




愛しているのに、愛してもらえない、
認めて欲しいのに、認めてもらえない。
逆に、否定される。



そういう屈折した自分の母への思いが、
父をして、
私や私の兄への「教育虐待」に走らせた。




父は、
子ども達を自分の身代わりにして、
自分が達成出来なかったことをさせ、
自分の自尊心を満足させ、
ひいては、
自分を認めなかった自分の母に、その結果を誇り、
自分を認めさせようとした。


それが、
父が生涯をかけてやろうとしたことだった。





自分の母親が、女なのに家庭を支配していた結果、
自分が不幸に育ったと決めつけ、


「女は、男の支配下にあるべき。
女に発言権を与えてはいけない」と


妻(私の母)を虐げ、
理不尽な支配に終始した…。





父は
とにかく、
「あまりにも自己中心的」であり過ぎ、
徹頭徹尾、
「エゴイスト」であり過ぎた…。






虐待は、
親の親から、まるでドミノ倒しのように連鎖し、
その結果、
子どもがイジメに走る…。




…本当に、根が深い…。