すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

夫の真実

【長文】



夫は、
バカデカイ本棚を4つ、持っている。



4つ全部が、
前部と後部の二重式になっている本棚だ。



前部の棚には、
下部にレールが付いており、
左右に動かせるようになっている。



以前は、
その全ての棚に、
隙間なく

ギッシリと本が詰め込まれていた。



そして、
その4つの本棚の他に、
更に4つ、

かなり背の高い、ひょろ長い本棚がある。



それらにも、
本がギッシリと詰まっていた。




そして、
私も驚いたのだが、
実は、
物置にまで、
本棚が1つ密かに置かれ、それも本で埋まっていた。




あまりの本の多さに、
私は、

数年前から、
ガーガーガーガー、夫に文句を言い始めた。




その甲斐あって、
夫は、
過去・現在・未来・永劫に読まない本を、
仕方なく、

少しずつ処分し始めた。





その結果、
まず物置から、本棚が消えた。




ひょろ長い4つの本棚に埋まった本も、
3/5くらいに減った。




空いたスペースには、
他の物を置けるようになった。




しかし、
巨大な二重式の4つの本棚からは、

なかなか
本が減らない。




もし、
大きな地震が起こり、
不幸にして、
この4つの本棚の前に、誰かが居たら、
その人は
本の山に押し潰されて
圧死するかも知れない…。




恐怖にかられた私は
耐荷重800㎏の
アルミ製転倒防止突っ張り棒を
購入し、
1本棚につき、2本ずつ設置した。



1本4000円は
痛い出費だった。



その上、
突っ張り棒の効力は、
神のみぞ知る…である。






先日も、
私は
夫に、こう言った。





私たちが死んだら、
この家にある物は全部、
息子が

一人で始末しなくてはならないんだよ。



あなたは
実家の始末をしていないから、
分からないでしょうけど、
実家の後始末って、

大変なんだよ。



服とか軽い物は、
ポイポイ袋に入れて捨てれば良いから、まだマシ。



でも、
本は、重たいでしょ。



ヒモで縛るのも、
段ボールに入れるのも、
運搬するのも、
重労働。



だから、
本が多いという事は、すごく大変なんだよ。




私らが死ぬ頃には、
息子も
年を取って、
重たい物を持ったら、

腰を痛める年になってるかも知れない。




そうしたら、
結局、
業者にお金を払って処理してもらう事になるでしょ。



息子に
お金を残して死ねるなら良いけど、
私らは、
そうは出来ないでしょ。



つまり、
完全に、
息子に「負の遺産」を残す事になるんだよ。



息子に、恨まれるよ。



それでも、良いの??





…夫は、
ムッとした表情を浮かべたまま、
返事をしなかった…。







その後のある日、
一番デカイ本棚の前に

夫が佇んでいるのを見て、
私は、

何気なく、話しかけた。





「それにしても、この本棚、大きいねえ。
すごく

高価だったでしょ?」




夫は、
少し苦しげに絞り出すような声で、
思いがけない返事をした。




「うん、
これは、
亡くなった母親が買ってくれた物なんだ。」




「ええっ!!
そうだったの … … 。


そんな事、今、初めて聞いたわ … 。


じゃあ、他の3つは、自分で買ったの?」




「いや、
3つのうち2つは、
その後、やっぱり
母親が買ってくれた。


残りの1つだけを、
自分で最後に買った。」




「ええっ!!そうだったの … 。」





夫の言葉を聞き、
私は
初めて、
夫の真の心情を理解した。





夫が
なぜ、
現在も未来も永遠に読まない本を手放す事を、
こんなにも、

かたくなに拒んでいるか…




その謎が、
一瞬にして、氷解した。




夫は、
「本」もさることながら、
「本棚」を
手放したくないのだ。



絶対に!


永久に!




最愛のお母さんからの、
大切な大切な贈り物だからだ。



夫にとって、
かけがえのない、
永遠の「愛の記念碑」だからだ。





そして、
本の詰まっていない本棚は、「本棚」ではない。




だから、
夫は絶対に、
「本と本棚」を、手放したくないのだ…。







…夫が、
かなりのマザコンだと私が知ったのは、
結婚してすぐだった。





私と結婚した当時、
10年前に亡くなった自分の母親について

夫が話す時、


夫はいつも、
声が絞り出すように甲高くなって震え、
興奮して

言葉遣いが大げさになり、
特別な人を

崇め讃える声調になった。




それは、
今思えば、
「キム総書記を崇め讃える、

北朝鮮のアナウンサーの声の調子」に
ソックリだった…。





そして驚いた事に、
その興奮して崇め讃える

「北朝鮮のアナウンサー」の声調は、
夫ばかりではなかった。




夫の妹も、
全く同様だった…。




それは、異様だった…。




(ただし、当人達は、
自分達の異様さに全く気づいていなかった。


自分達の母親は、
特別に偉大な人だったのだから、
言葉を尽くして褒め讃えるのが至極当然だと、
彼らは、

完全に信じ込んでいる様子だった。)





夫の話によれば、
夫のお母さんが亡くなった後、
遺された家族4人は、

全員揃って、
一気に太った…そうだ。




夫など、
Yシャツのボタンがはじけ飛ぶほど、
太ったそうだ。




母親がいなくなった欠落感を、
ひたすら食べる事で
埋めたらしい。





また、
夫によれば、


夫のお母さんは、
「非常に世話好きで、
優しくて、
偉大で、欠点のない人」であり、


「家族全員が、
太陽のようなお母さんに、頼り切っていた」そうだ。





その他の話も総合すると、
結局、
お母さんと他の4人の関係は、
共依存」に近い関係だったのだと、

私は思う。




すなわち、


「お母さんに
何から何まで世話を焼いて貰い、
お母さんに

幼児のように精神的に甘えて依存していた4人」と、


「その4人を甘えさせ頼らせる事で
自分が
4人を精神的に支配し、

その支配を
生き甲斐にして
生きていたお母さん」


という関係である。





双方が、
精神的に自立していなかった。




片方は
ベッタリと寄りかかって甘え、
片方は

世話を焼き続けて甘えさせた。





その支配・被支配関係の中に浸りきって、
互いに

しっかりと自立をしないまま、
長い年月を

生きてしまった…。






そして、
「皆のお世話係=支配者」が、
一番早くに、
この世を去った…。





遺された4人は、
まるで母親を亡くした小学生のように、
強い衝撃を受け、

立ち直れず、
亡くなった人を、どこまでも強く慕い続けた…。



10年余も…。






私と結婚してから、20年余が経ち、
お母さんを語る夫の声は、
今では、
かなり普通になった。




もう、異様さはない。




しかし、
本棚を

「お母さんが買ってくれた物」と言った夫の声は、
やはり、

いつもの声ではなかった。




悲痛な響きがこもっていた…。





夫は、実に、
「立派なマザコン」だ。




それは、永遠に、変わらないだろう。




そして、
夫は、
「本と本棚」を、永遠に
手放さないだろう。




結婚25年目にして、
私が
初めて知った、
夫の「真実」である…。








あの本棚を、

夫の棺にしてやりたいくらいだ。


しかし、実現は難しい。


残念だ。






※※
亡くなった人の悪口を

言うべきではないだろう。


しかし、
こんなバカデカイ本棚を

息子の為に3つも購入したお母さんは、
失礼ながら、

息子の事を、
何も理解していなかった…
と、私は思う。




私自身、
結婚当初は、
「まさか、

こんな膨大な数の本を、夫が単に飾っているだけ…」とは、
夢にも思わなかった。



「積ん読は一部であり、
大部分は、
ちゃんと目を通しているもの…」と
思っていた。




ところが、事実は、そうではなかった。



「大部分が単なる積ん読」だった。





何より、
夫の仕事は、休日出勤が多かった。


膨大な数の本を次々に読みこなすだけの
「絶対的時間」が不足していた。




それなのに、
夫の本を買うスピードは、ものすごく早かった。



新聞の書評などで
少しでも気になった本があれば、
片っ端から注文した。




つまりは、
夫は、
本を対象とする「買物依存症」だった。




その結果、
「積ん読本」が、
物凄い勢いで溜まって行った…。




そして、
私との結婚後、
その本の巨大な山と、

それを買うための浪費が、
私の生活を

苦しめる結果となった。





そういう息子の生活実態と、
息子の性癖を、
もしも、

お母さんが
よく理解していれば、
「巨大な本棚」を
3つも贈るなど、決して、しなかった筈だ。




「買物依存症から脱却する」ために考え直すよう、
忠告する事はあっても、
「買物依存症を後押しするような行為」は、
決して、

しなかった筈だ…。




私は、そう思う。






※※※
こんな事を言っては、バチ当たりだが、
本音を言うと、
夫のお母さんが他界後に結婚して、
私は幸運だった…
と思う。





こんなにもマザコンの夫に、
もしも、

まだお母さんが存命だったなら、
きっと、
夫と私の間に、

何かしら
大きなトラブルが頻発していただろう…。





お母さんは、
子離れが出来ておらず、
何かと

私達の家庭に口出し・手出しをしただろう…。




また夫も、
おそらく、何につけ、
私より、
お母さんを優先しただろう…。





そうなれば、
結婚生活は、荒波の連続で、
私達の船は、
遭難・難破していたかも知れない…。






※※※※
私自身、
かつて、
息子と「共依存」的関係にあったのだろう…
と思う。





息子は、16歳頃、
「アンタが死んだら、自分も死ぬ」と言った事がある。



それを聞いた私は、ギョッとした。



「このままではマズイ」と思った。





しかし結局、
息子は
見事に私を投げ棄て、出て行った。




今では、私を見向きもしない。





…本当に、良かった…。





他者に支配される事なく、
また
他者を支配する事もなく、
自分自身が

自分の人生の主人となって、
自由に生きて行く…


それが、
一番良いと、私は思う。




その人の人生は、その人のものなのだ。






※※※※※
こんな事を発言すれば、
夫は猛烈に怒るだろうから、
絶対に言えない。



しかし、
私には、
夫のお母さんが「偉大な、欠点のない人」だった…とは、
到底、思えない。





6年前に亡くなった夫のお父さんは、
実に、

小心・幼稚な、徹底したエゴイストだった。





あんな小人物・幼稚・徹底的に自己本位な人を、
人生のパートナーにしていた女性が
「偉大」「欠点のない人」だったなんて、

私には
どうしても思えない。




偉大ではなかったからこそ、
夫を自立させずに、
幼児のように扱って支配し、
それに快感を感じ、

自分の生き甲斐としていたのではないか?




とっくに成人した息子も、娘も、
自分から精神的に自立させず、
自分が
ベッタリとくっついて
支配し、
それを喜びとしていたのではないか?




そういう行為に
熱中して生きるしかなかった事こそが、
彼女の人生における、

大きな「歪み」だったのではないか?





夫のお母さんは、
癌で、1年ほど入院して亡くなった。




そのお母さんが
入院中に
自分の夫に宛てて
「私はあなたの母親ではない」と書いたメモを、
私の夫は
見たそうだ。




35年間、彼女は、
「自分の夫の母親役」に熱中して来た。



しかし、
人生から去る直前に、
それは大きな間違いだった…と

自覚したのかも知れない。




けれど、
気づくのが遅すぎた…
と、私は思う。





遺された夫の父は、
母親に先立たれた小学生のように、
87歳で亡くなるまでの27年間、



スネ続け、
イジケ続け、
自分だけを憐れみ続け、


夫の妹を
「妻代わり=自分の母親代わり」にして
自分の面倒を見させ、


そのまま死んだ。





夫の両親の間にあった「共依存関係」は、
夫の母の死後、
「夫の父」と「夫の妹」の間に

引き継がれ、
再現されたのだった…。