すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

99歳の現役毒親

【長文】



毒親というネーミングは、実に的確だ…と思う。





この冬の間、
私は、

母と何度も電話で話した。




初めのうちこそ、
母は、

遠慮がちだった。



しかし、
慣れて来ると、

母は容赦なく、
私に、

毒を浴びせかけて来た。





ふと、気がつくと、
私は、

具合が悪くなっていた。




それで、
私は、考えた。



母と話さなくても済む方法を考え出し、
実行した。




そして、
「母とは、話さない。

母の話を受け止めない」と、
固く決心した。




ホームのケアマネさんにも、
そう宣言した。






ところが、
その矢先、
母が骨折し、緊急入院した。



私は、
病院へ

駆けつけざるを得なかった。



そして、
母の枕元に座り、
延々と続く母の話を

聞いてやらざるを得なかった。





そして、
手術・転院。




その度に、
私は振り回された。





気がつくと、
私は、
どっぷりと

落ち込んでいた。




早朝に目覚め、
その後、眠れない。



常にドンヨリとして、
何も
楽しめない。



…ひたすら、悲しい。



…消えてなくなりたい。



道を歩きながら木立を見ていると、
ロープを掛けられる枝を探している…。






…これは、マズイ…と思った。





つまりは、
これからずっと、
母に寄り添い、
母を受け止め続け、
母に伴走しなければならない…


と、今後の生活を考え、


私の気持ちは、
どんよりと重く、

暗く、
奈落に落ち込み、

絶望していたのだ。






「もう、
母とは極力話さない。
母の話を
受け止めない」と
私は

決めた。





すると、
私の心は

一気に、
安らかに、穏やかに、

落ち着いた。




楽しさとパワーが
戻って来た。





母は、
私にとって、
「毒」そのもの…なのだ。







考えてみれば、
赤ん坊だった私の病死を、

母は願った。




しかし、
その願いは、叶わなかった。



私は、母の願いに反して、生き延びた。






の私の知らなかった母の過去を、
「やっぱり、アンタに生きて貰って、私は良かった」
という文脈で
母が私に語ってくれたのなら、
私は

救われただろう。





しかし、
母は、
そうしなかった。



真逆だった。






母は、
いかにも残念そうに、

憎々しげに、
私に語った。



「やっぱり、アンタは、死んでくれたら良かった。


それなのに、アンタは死ななかった。


アンタは、悪運が強い。


アンタのせいで、私は、ずっと不幸だった」という


暗く、怖ろしい口調と表情で、
母は、

語った。



当の私に…


ぬけぬけと…。






そんな事を
当の本人に語る事、


母親が我が子に語る事、


それが、
どんなに

子を傷つけるか…





そんな事に、
母の関心は
ない。






母は
ただ、
自分の鬱積した思いをぶちまけたい。


自分がスッキリしたい…。



ただ、それだけである。






そこには、
私への配慮は、カケラもない。




母は、とにかく、
私に
無関心なのだ。





それは、
この60年以上、
徹底した母の姿勢だ。





しかも、
その母は、
私の世話により、
今の老人ホームに落ち着き、
安楽に平穏に

暮らせている…。





しかし、
そのせいで、
私は、
長兄から

理不尽に滅茶苦茶に攻撃され、
体調を崩した。


弁護士を依頼し、
ようやく窮地を脱した。



しかし、
今も、問題は解決されていない。

私は、

重いトラウマを抱えたままだ。






しかし、
母の態度には、
私への感謝・ねぎらいは、
一片もない。





母にあるのは、
私への
軽蔑・憎悪・恨み … だけだ。





そして、
その毒が、
私と接する度に、
私に向かって、


ザブザブと容赦なく、
頭から、
浴びせかけられて来る。





母は、
とにかく、
自分の中の

煮えたぎる思いを吐き出して、
ラクになりたいのだ。






(母から虐待された経験のない次兄に、
いくら、この毒を説明してみても、
次兄は、
少しも理解しない。)






母が、
「毒の吐き捨て場」として
私を
利用し始めたのは、
私が5.6歳の頃からだった。





普段の母は、
私を放置し、私に構わなかった。





母が私を
相手にするのは、
自分が

毒を吐く時間だけだった。




当時の私は、
遊び相手も皆無で、
1人で

寂しかった。



母が、
私に向かって、
熱心に

父の悪口を語り続ける間、
寂しかった私は

「相手にされる」喜びを
感じていた。







そんな私には、
いつのまにか、
「他者の愚痴を

一方的に、長時間聴き続け、受け止める」
強固な姿勢が
出来上がってしまった。







最初に、
その「姿勢」を利用したのは、
高校時代の友人だった。





彼女は、
自分の悩みを、
一方的に長時間、延々と私に語った。



私は、
「私の悩みは、この人には理解できない」と思い、
聞き役に

徹していた。





その後、
何人の人が、

私を
「愚痴の吐き捨て場」として
利用しただろうか…?






… … 数え切れない。






彼女達の特徴は、共通している。



とにかく、一方的に、
自分の悩みを

延々と語る。




私の思いや悩みについては、
彼女達は、
絶対に触れないし、聞かない。





一方的に、
語って語って、語り尽くして、
スッキリすると、



何事もなかったかのように、
彼女達は

サバサバとして、
サッサと去って行く。





聞き終わった私が
どうなろうと、
どんなにグッタリと疲れていようと、


そんな事に、
彼女達の関心はない。






彼女達から見れば、
私は、

どうやら、
「好き好んで、喜んで、彼女達の話を傾聴している」
らしい。





自分が
好きでやってる趣味なんだから、
聴くのが当然でしょ。



感謝などする必要もない…。





彼女達は、
そう思っているらしい…。






ある時、私は、
それに気づき、
一方的な奉仕を、
「バカらしい」と思った。





そして、
傾聴を
やめる事にした。






彼女達から、
「また、話を聞いてくれ」と

連絡があった時も、
スルーした。





すると、
彼女達からは、
パッタリと

音沙汰がなくなった。





「どうしましたか?お元気ですか?」と
私を
気遣うリアクションは、
一切、なかった。






それで、
私は、
更に気づいた。





彼女達は、
「母と同じ」なのだと…。





ただ、ひたすらに、
「自分の話を受け容れて欲しい」。



「それだけ」なのだと…。



「私には、一切、関心がない」のだと…。





それからは、
一方的に利用されないように、

気をつけた。






ところが、
60年間、
母との関係で、
自然に身に着けてしまった「習性」は、
なかなか

消せない。





つい最近も、
私は、
ある人と知り合った。





私達2人が会った目的・テーマは、
ちゃんと、別にあった。





ところが、
彼女は、
私に初めて会って10分後には、
息つく暇もなく、
延々と、
自分の苦労に満ちた半生を

語り始めていた。






それから、2時間半、
休む間もなく、
彼女は、
一方的に

「自分」を語り続けた。





会合の肝心のテーマは、
ぶっ飛ばされ、
消えた。





私は、
内心、呆れながらも、
圧倒され、
黙って付き合った。




彼女が語った、
彼女の人生を理解した。





私は、彼女を、
かなりの程度、理解した。





しかし、彼女は、
私を、
何一つ知らないまま、
その日は

別れた。







驚いた事に、
その翌日から、
彼女から
ほぼ連日、

ハガキとメールが届いた。





私は
驚きながら、
最初は、
こまめに返信した。





しかし、
私は、
彼女の家族でも、
親友でもない。





私は、
時々刻々にうつろう彼女の心の動きを
一方的に

追わされる事に
疲れて行った。





私は、
本来の彼女との会合テーマに
彼女との交流を戻したいと

思った。



その底意を持って、
彼女に手紙を書いた。




すると、
彼女から、
短いメールが届いた。


「自分には難しい」とだけ、あった。





そして、
それ以後、
彼女からの連絡は、

パッタリと途絶えた。





私は、
ホッとした。




彼女に
かき乱されない、
平和な日々が
私に

戻って来た。







… … この一連の流れを反省すると、


私の中に、
何か、
「人の話を、長時間、

一方的に受け容れてしまう」という
「構え」が
出来上がっている。




そして、
それに気づいた人は、
それを

利用せずにいられないのだろう…
と思う。






結局、
母によって、

私は、
5.6歳から、

特殊な「訓練」を受け続けた結果、


ひたすら自分を殺し、
人の愚痴話に、
延々と、
付き合うという「姿勢」を


強固に
作り上げてしまった…のだ。







とりあえず、
私は、
もう、

母の話を聴くのは、
沢山だ!!!




もう、
金輪際、
聴きたくない!!!




もう、
母の毒を
浴びたくない!!!






それが、
今の私の、
心からの願いである。







私には
私を守る権利がある。






いくら
相手が

99歳の老婆であろうが、


毒を容赦なく吐きかけて来る
危険人物には
違いない。






私の心の底からは、
相手が

99歳の老人=弱者という
後ろめたさが
消えない。






しかし、
それに譲歩して、
母に優しくし、


母のペースに巻き込まれ、
母の話を傾聴し続ければ、



私を待っているのは、


ロープと、それを吊る木なのだ… …。






母を
よく知る次兄に、
この話をしても、

理解されない。




次兄は
「母が可哀相だ」
「お前は、ひどい」と言うだろう。





だから、
人に

解ってもらおうとは
思わない。





私を
守れるのは、
私しか、

いないのだ。





私よ、
私を守れ。





そして、
平和に、
楽しく、

生きよう。





私には、
人権が

ある。





母は、
私の人権を
認めない。





母は、
一方的に、
私を
精神的に
殴ったり、
蹴ったり
して来る。





それが、
母の
60年以上にわたる、
習慣なのだ。






そんな人とは、
私は
距離を置くしか
ない。





もう、
殴られたり、
蹴られたり
したくない