すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

遠縁の疎遠なおばあさん

ハッと、気がついた。




私は、親にとって、
いらない子」だったのだ……と。





両親にとって、
長男は、
いた方が良い子
「いてくれたら、非常に嬉しい子」
「生んで良かった子」
だった。




次男は、
「いても良い子」だった。


なぜなら、
次男は男であり、
それだけで尊重されるべき存在

だったからだ。



自身は三男坊だった父は、
「次男坊」に理解があった。


父にとって、
長男は、「正統」でなければならない存在、
すなわち、


「自分の理想を体現すべき存在」だった。



しかし、
次男は、「自由」にしてよい存在、
バリエーションの1つとして、
「正統」から外れてもOKな存在だった。



だから、父は、
次男に、

最も自由を与え、束縛しなかった。





3番目に生まれたのは、女。



それだけで、
最初から、地位が男よりも低かった。




まして、
3番目だったため、
両親にとっては、
「どうでもよい存在」だった。




それが、
私だ。




しかし、
その、どうでもよい奴は、
顔も身体も、カタワだった。



(昔は、今の時代より、もっと、
「女の容姿」は重視されていた。)





そのため、
母にとっては、
いない方が良い子」だった。




母は、私を
「自分の恥・家の恥」として
人目から隠したかった。




本当は、
乳をやらずに殺すか、
棄ててしまいたかった。




しかし、
殺せなかった。





病気で死ぬのを、心から願った。



しかし、叶わなかった。




食事をやらないわけに行かなかった。



母は、
仕方なく、渋々、
上の2人とセットで育てた。




母にとって、
私を、
鬱積する「毒の吐き捨て場」

「無料カウンセラー」として
利用する事は、
自然な事だった。




元々、
いない方がよい子」なのだ。




それなのに、育ててやった。




だから、
尊重や遠慮など、必要ない。




母の思い通りに扱い、
好き勝手に踏みつける事は、
完全にOKな事だった。





母にとって、
私は
「迷い込んできた、

みすぼらしい、カタワの捨て猫」だった。




とにかく、
要らなかった。




しかし、
「仕方なく、育ててやった。」




「だから、
有り難く、おとなしく、

親の恩を感じるべき存在」だった。






一方、
父にとっては、
私は

「異性の子」だった。



そのため、父は、
私が幼い頃は、
自分の気が向いた時だけ

「猫かわいがり」の対象にした。



それは、文字通り、
猫などの小動物に向けるのと同じ、
完全に気まぐれな、

無責任で一方的な感情に過ぎなかった。



父には、共感能力が全くなく、
私の気持ちなど、考えた事もなかった。





そんな父は、
私が中学生になると、
長男と同じように、
「父の自尊心を高めるための父の飾り」として
私を

利用せずにいられなかった。




「自分が人前で自慢出来る娘」としての学歴・仕事を、
父は、
私の意志に反して、勝手に決めた。




私に強要した。





しかし、私は、
大卒までは父の意向に従ったものの、
大卒後、
大きく父の意向に

背いた。




すると、父は、
「自分の恥」として、私を斬って捨てた。



あっさりと、勘当した。



そして、母も、
私を
切り捨てる事に賛成した。




たぶん、
その時の2人は、
ものすごく、スッキリしただろう…。




元々、
いらない子」だったが、
生まれてしまった。



だから、
「仕方なく育てた。」



それなのに、
「とても厄介で、
親を苦しめる子」だった…。






しかし、
彼らが切り捨てた娘は、
10数年後、孫を生み、
再び、

彼らの周囲をウロつくようになった。




父にとって、
その孫は、価値があった。


なぜなら、男だったからだ。


父は、
自分の血を引く孫の将来に期待し、
勝手な夢(妄想)をふくらませ、ワクワクした。





一方、
母にとっては、
娘の子は、
母の観念では「外孫」であり、

遠い存在だった。



何より、
生まれた孫の外見が、
娘よりも、婿に似ていた。



それで、母は、
「この子は、○○さん(私の夫)の系統」と、
断定した。



そして、
それ以後は、
無関心・冷淡に過ごした。




しかし、私が
何度も
実家へ連れて行くうちに、
「娘の子」という気安さと、
可愛い盛りを何度も間近に見た事から、
母は、

私の子を可愛がるようになった。




母の孫は、
他には、

次男の1人息子がいただけだった。



しかし、遠方在住のため、
せいぜい、年に1度、

顔を見るのが精一杯だった。


その上、母は、
次男の妻をいじめていたため、
自然と、

次男の息子とも、親しくはならなかった。






そして、その後
まもなく、
彼らに

介護の必要が生じた。




期待した長男夫婦からは
見捨てられた。




期待はしていなかった次男夫婦も、
遠方に住み、疎遠。




それで、
彼らは
手近にウロウロしていた娘を

利用した。




利用する事には、
何の躊躇も、
遠慮もなかった。




「娘には、散々、酷い目に遭わされた。
だから、

娘は、その代償を支払うべき」
という考えも、
おそらく

根底にあったのだろう。






母は、3年前、
私の家の近くのリハビリ病院へ転院する際、
迎えに来た転院先の看護師さんに、
移動の車中、延々と、

私の悪口をしゃべったそうだ。



(母自身が、私にそう言った。


「何を話したの?」と内容を聞くと、
母はそれも話した。


看護師さんに聞いて見ると、それは事実だった。


私は、
ショックを受け、
呆れた。)




その悪口の内容には、
私が8歳の時、
友達の家で見た雛人形を欲しがって両親にせがみ、
ダメだと言われたが、

更にねだって大泣きした事も
含まれていたそうだ。




両親が2人で一致して、
「この子の性格は、父の母親に似ている。
非常に、とんでもない性格だ」と

ハッキリと
断定した。



それを聞いた8歳の私が深く傷つき、
以来、

2度と両親に本音を言わなくなった…


その事件である。





私は、
その事件を、
今では、こう解釈している。




その子は、
まだ8歳だったのだから、
親に対して、完全に無理な要求をしたのも
致し方なかった。




問題があったのは、
子の行動ではなく、
親の対応の方だ。




わずか8歳の子に対して、
両親揃って、
「この子はとんでもない性格だ」と
その子の前でハッキリと口に出して、
その子を貶め、
2度と消せないほどの深い烙印を
その子の心に焼き付けた…


その行動は、
親として、

非常にまずく、不適切だった。




いくら、
「いらない子」だと

心の中で思っていても、
本人の前で、
その本音から来る感情を、

露骨に
ぶつけてはならなかった。




それは、
「親の仕事」から

大きく外れる行為だ。




しかし、
母の意識の中には、
そういう「親の仕事」は、
一切、存在しない。




母にとって、
親の仕事とは、
「食べさせ、着させてやる事」
それ以外の何物でもない。




私は、
3人の子を
平等に食べさせ、着させてやった。



だから、
私は、

親の義務を立派に果たした。



誰からも、批判されるいわれは、
これっぽっちもない。



長男は、
とても優秀で、とても優しい親孝行者だった。



だから、私は
喜んで育てただけだ。



娘は、カタワ者で、
世間様に恥ずかしい子だった。



その事を
本人がわきまえ、
世間では下を向いて、目立たず、
おとなしく存在を消しているよう、
私は、

しつけてやった。




しかし、
本人は、
生まれつき、夫の母親に似て、
大変にワガママで、非常に性格が悪かった。



そのために、
私は、

とても苦労させられた。



とても、
恥ずかしい
イヤな目にも遭わされた。





私は、悪くない。


悪いのは、娘だ。





母は、
60年以上、
こう考えて来たのだ…。




「いらない子」
「勝手に入り込んで来た捨て猫」




そう、母が考えているのなら、
仕方がない。





半ボケの母を、
今更、変えられない。






そんな母を、
私も、いらない。





母とは、
もう2度と、

会わないようにしよう。





母と会ったり、
話を長々と聞いてやる事は、
私自身を

苦しめるだけだ。




いくら、
私が親切にしようと、
母は

少しも喜ばない。






この次に、
母に

会う時は、
「母の死に顔」。




もし、私が先に死んだら、
母は、呼ばない。



夫と、息子だけに送ってもらう。






99歳の母は、
今後も

緊急入院をする可能性がある。



その時は
また必ず、すぐに、
私が呼ばれる。


医師との面談や判断も
しなければならないだろう。






しかし、
「遠縁の疎遠なおばあさん」…。




そういう意識で、
私は
対応しよう。





今回のように、
真剣に

母を気遣い、思いやり、
必死になって

応援する事は、
もう、

2度と、やめよう。




もう
2度と、
母を喜ばせようと
努力しない。






母との交流は、
今後は、

すべて、避けよう。





私は、
実質的に
「成年後見人」「身元引受人」の役割を
果たす。



それだけで、
良いのだ。