すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

バカげた話の数々。

【長文】



父が89歳で死んだのは、13年前だ。




昔の父は、
飲酒して酔うと、
「ワシは、墓は要らん!
骨は粉にして、山の上からパーッと撒いてくれ!」と、


大声で楽しげに家族に宣言する事が
しばしばだった。





仏壇も、家にはなかった。





最初に生まれた男の子が死産だったそうで、
その子のためなのか、


母が小さな木のミカン箱に白い障子紙を貼って、
整理タンスの上に置き、


毎朝、湯飲み茶碗で水を供えていた。






その白い箱も、
最初は、なかった。






私が10歳頃に、
家に、女性占い師が来た。



そして、
「この家には、誰か亡くなった人がいるでしょう。
その人を供養していない事が、

良くない事を招いています」と
指摘した。





その後、母は
その白い箱を作り、
水を供えるようになった。






父は、
寺に生まれ育った人間だ。



しかも自分自身、
僧衣を着て檀家廻りをしていた時期もあった。




当然、「墓・仏壇」は、
何より身近なものであり、
かなりの愛着があった筈だ。





しかし、父は、
寺を相続して住職になろうと目論んだものの、
相続争いに敗れた。



そして、
檀家会議によって「勘当・追放」され、
遠い地で「田舎教師」となった。




その父には、
「仏壇や墓」は、
憎くてたまらない「敵の象徴」だった
のかも知れない。




父は、
母の作った白い箱にも、
見向きもしなかった。







けれど、驚いた事に、
父は晩年、変わった。






父は80歳を過ぎた頃から、
「仏壇が欲しい」と言い出した。



そして、
母と共に、仏壇屋で大きな仏壇を購入し、
拝むようになった。






また父は、
死の2.3年前から、
「墓が欲しい」と言い始めた。





そして、母と相談し、
私に、
「夫婦2人だけで入れる小さい墓が欲しい。

探してくれ」と
母と一緒に頼んで来た。






頼まれた私は、当惑した。





その当時は、
そんな墓は、まだ聞いたことがなかった。





第一、父は
あんなにも何度も、
「墓は要らん!」と
宣言していたではないか…。





私は、当惑したまま、放置した。





そして、その2.3年後、
父は死んだ。






父が骨になってから、
私は、母に尋ねた。



「やっぱり、2人だけで入る小さいお墓が欲しいの?
そこに、お父さんを納骨したいの?」



母は、
「うん、そうしたい」と、迷わず答えた。





それを聞いた私は、
真剣に墓探しを始めた。





しかし、
どんなに安くても、墓は100万円以上した。



そして、
2人だけではなく、

数人が入れるタイプばかりだった。





しかし、
両親の出した条件は、
「夫婦2人だけが入れる小さな墓」。





私は、挫けそうになりながら、
墓探しを辛抱強く続けた。





そしてある日、ついに、
「希望通りの墓」が見つかった。




それは、
夫婦2人しか入れない、

小さい「夫婦墓」だった。



大きな霊園の中に、
新しく出来たばかりの区画だった。





永代供養付き・55万円。





私は、「これだ!」と思い、
母に知らせた。





母を連れて、現地見学にも行った。


そして、
母も納得し、契約する運びとなった。






場所は、
あたり一面ぐるりと緑の丘陵地帯が広がる、
その一角だった。



大空と大地と山々。



実に広々として、
伸び伸びと気持ちが良く、
いかにも父が気に入り喜びそうな環境だった。






私は、ホッとしつつ、
遠方にいる兄2人に、

メールで経緯を知らせた。





次兄からは、
例によって簡単に
「了解」と言う返事が来た。





しかし、
長兄からは、
思いもかけない返信メールが来た。






それには、こう書かれていた。





「55万円なんか、無駄遣いだ。


墓なんか、要らない。


骨は、そのまま家に置いておけば良いんだ。


お母さんは、頭の良い人なんだから、
墓なんか要らないという事は、
説明すれば、解るはずだ。


それを説明しなかったのは、
全部、お前が悪い。


それから、
お前では、契約行為は不安だ。


契約行為は、次男にやって貰え」


…という内容だった。





私は思った。




両親は「墓が欲しい」と、
明確に何年も希望し続けていた。




老いて死期の近づいた親の希望をかなえてやるのは、
子の務めだろう。





そもそも「墓が要る・要らない」は、
その人その人の自由意志・主観で決めて良い事だろう。



周囲が口出しすべき事ではない。





「無駄遣い」と言うが、
55万円は墓としては格安だ。




しかも、
それは全部、両親の金だ。




なぜ、
自分が金を出すのでもない長男が
「無駄遣い」と決めつけるのか。




それは、するべきではない干渉だ。




そして、
私を責めるのは、お門違いだ。





長男自身は「墓不要主義者」らしいが、
両親は違う。




私は、その意志を尊重したまでだ。




もし長男が「親に墓を買わせたくない」ならば、
自分で母に説得を行い、

買わせなければ良いだろう。




現時点では未契約なのだから、
今からでも、間に合う。




自分が正しいと思うのなら、
堂々と母にそれを主張し、
理解させれば良いだろう。




なぜ、
「墓不要主義」でもない私に、
責任の全てを押しつけて責めるのか?






そもそも、何年も前に、
「自分は多忙だから、
両親についてのお前からの相談は受けられない」と
私からの相談を全て拒絶し、


それ以来何年も、
知らん顔を決め込んで現在に至ったのは、
長兄自身だ…。





「骨は、家に置いておけば良い」と言うが、
では、
お骨は最終的にどうするのか?




いつか、家を取り壊す日が来るだろう。



その時に、こっそり、捨てるのか?



そんな事は、私には出来ない。




しかし、
私自身は、両親の骨は預かりたくない。



なので、
両親が自分達で墓を購入してくれるのなら、
それは有り難い話だ。






私はとにかく、
長兄のメールに驚き呆れ、
そして
腹が立った。




「コイツは、とんでもなくメチャクチャな奴だ」と
思った。





次兄にも、
そのメールを転送し、見せた。



しかし、
次兄は、
「契約はアンタで十分だ。俺がする必要はない」と
言っただけだった。






母は当時、ボーッとしていた。




そして何より、長年に渡り、
「長男のする事や考えには間違いがない」と
信じ切っていた。




そのため、
私が長兄のメールの内容を話しても、
それが何を意味しているのか、
よく理解出来ない様子だった…。






今思えば、
あの時、私は
長兄に電話して抗議するなりして、


私の立場や考えを明確にし、
長兄の身勝手過ぎる考えを
粉砕しておくべきだった。



たとえ粉砕が出来なくとも、
明確に

異議申立てをしておくべきだった。





しかし、
当時の私は
「バカにつける薬はない」と思い、
諦めて放置した。






当時の私は、今よりずっと多忙だった。



その上、
1人になった母の世話をするのに精一杯だった。





そして何より、
私は、
長兄がその後も私に難癖をつけ、
事ある毎に私を責め、攻撃して来る事を
少しも予想出来ていなかった。






当時の私は勝手に、
長兄を
「そんなに酷い人間ではない」と思い込んでいた。





しかし、実態は、
彼は、「非常に酷い人間」だった…。






そして、
私の放置により、
長兄は、

ますます増長し、
つけ上がり、

エスカレートして行った…。







結局、
私の提案した墓に、
父は、

今も眠っている。





傍には、大きなハルニレの木が立ち、
小鳥たちも集まって囀っている。




自然や小鳥を愛した父には、最良の環境だ…と、
私は思っている。







長兄は、

その後、
私に、こんな事を言った。



「自分達夫婦は、
焼き場で骨を焼いた後、骨拾いはしない。


そうすれば、
市の職員が拾ってくれる。


自分達は、
そうする事に決めている。」




すなわち、
夫婦の片方が先に死んだら、
あえて、

「無縁仏」扱いにする…という事らしい。



市に、無料で「合葬墓」に葬って貰う…
という事らしい。



骨処理に、自分らの金は、1円も使わない。



その分の金は、生き残った方が使う…。





…確かに、
それが、一番安く済むのかも知れない…。





しかし、
私は、夫に、そんな事はしたくない。



私は、
自分で、夫の骨を拾ってやりたいし、
また、
拾って欲しい。






私と夫は、
「海洋散骨」で合意している。





私達の1人息子は、両家の唯一の孫だ。




そして、既に、
両家に、1つずつ墓がある。




最終的に、
息子が、

その始末を付けなくてはならない可能性がある。





だから、私と夫は、
息子に、

3つ目の墓は残したくない。



厄介を掛け過ぎると思うからだ。





散骨にすれば、墓よりもずっと安く済む。



何より、
「墓参」や「管理」に煩わされずに済む。






もし、何か心の支えが欲しいなら、
ほんのわずかだけ、
骨の粉末を手元に残せば良いのだ。






※※
長兄は、
父が死んだ時に、

母とすぐに話し合い、
自分の考え【墓は要らない・骨拾いはしない】を理解させ、
その方向へ誘導すれば良かったのだ。



なぜ、そうしなかったのか?



私には解らない。



やはり、
母を同意させることに
自信がなかったのか?



その提案・誘導が、
母を怒らせる事を恐れたのか?




それとも、
若かった父が
「ワシは、墓は要らん」と宣言していた事が

頭にあり、
それを両親が実行すると、
信じ切っていたのか?





いずれにせよ、
長兄が「私からの相談」を

全て拒絶し、
コミュニケーションが完全に断絶していた事が、
事態をこじれさせてしまった。




もし
長兄が
私からの相談を拒絶していなければ、
両親が墓を欲しがっている事もすぐに知れ、
長兄は、

何らかの手立てを打てた筈だ。






※※※
長兄が、

実家の両親とも「音信不通」にし、
一切「知らん顔」を決め込んでいたのには、
1つの理由があった。





しかし、
私と母は、
その理由を全く知らされていなかった。





それは、父の死後に、
私は、

次兄から初めて聞かされた。






事実は、こうだった。






…父は、長男に「金を返せ」と、何度も手紙を送っていた…。




…「金」とは、
長男の12年間の留学中に父が仕送りした
約1,000万円を指すのだろう。






父は、
仕送りをした代わりに、
長男が老後の面倒を見る事を、
当然の見返りとして、期待していたのだ。




しかし、
帰国した長男は、遠方に住み、
老親に「知らん顔」を決め込んだ。






そして、
金を返せと要求された長男は、
「一切知らぬ存ぜぬ・関わらぬ」を決め込み、
両親との連絡を

完全に断った。






長男に相手にされずに困った父は、
次男に手紙を送り、
相談したそうだ。




しかし、
相談された次男は、それを黙殺した。




そして彼は、
私にも、
その事をずっと黙っていた。




次兄は、何につけ、
トラブルからは遠ざかる人だ。




「火中の栗は拾わない」
「高みの見物」をする主義の人だ。





おそらく、
他者の苦しみを感じ取る「共感能力」が
彼には

不足しているのだろう。



冷たい。






父親がそういう冷淡な人だからこそ、
「学歴主義」の母親に苦しめられた彼の1人息子は、
自死してしまったのだろう…。






そして父も、なぜか、
私に、
長男に要求したが無視された事実を、

告げなかった。




父は、
私を信用していなかったのかも知れない…。






しかし、
当時の父は、
1度だけ、私に手紙を寄越した。






それには、なんと、



「妻は元々、卑しい貧困家庭の出身だ。
自分と結婚するような階級の人間ではない」と
書かれていた。





それを読んだ私は驚き、かつ不快になった。





…結婚して50年も経ち、
子どもも孫もいる人間が、
今更、そんな事を言い出すとは…。





その上、
今の父は、ボケており、
母の世話無しでは暮らせないような状態なのだ…。






記憶力がかなりダメになっていた父は、
思考内容も、

非常に身勝手になっていたのだろう。





いや、それ以上に、
彼は元々、
非常に身勝手なエゴイストだった。





その醜いエゴが、
知性の剥落により、
ますますブレーキが利かなくなり、
剥き出しになって暴走したのだろう…。






当時、私が実家を訪ねた際、
玄関に、

1枚のハガキが落ちていた。





何気なく手に取って見てみると、
宛名は父で、
差出人は、私の知らない女性だった。





そして、
文面の最後には、
「もう私を探さないで下さい」という一文があった。






これを見て、
私はこう推測した。




父は、
この女性が好きになり、
追いかけ回した。




しかし、
先方には、
父への好意は全くなく、
大迷惑であり、

困り果てて追い払ったのだろう…。






つまり、父は、
この女性と一緒になりたいという考えが湧き、


私に、「言い訳」的に、


「妻は、身分違いの人間で、
そもそも結婚相手にふさわしくなかった」


という手紙を寄越したのだろう…。





当時の父は、
たしか80歳を過ぎていたと思う。





単に、年を取っているだけでなく、
立派なアルツハイマーだった。






父は、長年、
「長男に世話になる老後」を夢見ていた。





しかし、結局、
長男から見事に棄てられた。






そのため、
生きる希望を失った父は、
母を棄てて別の女性と一緒になり、
「もうひと花咲かす」夢を見たのだろう…。






実に、父は醜悪だった…。







※※※※
長兄が
「親の金は、自分の金」という
突拍子もない考えを持っている事は、


当時の私には、
まるで理解出来ていなかった。




しかし、
今の私は、


長兄が
「親の金は、自分の金」と信じ込んでいる事を
よく分かっている。





けれど、
34歳~46歳まで、
親に1,000万円もの仕送りをさせた長兄が


その上まだ、
「親の金は自分の金」と思い込む「理由」が、
私には解らない…。





いくら、
「長兄が父の敷いたレールの上を進む事に

人生を費やした」のが
事実であっても、だ…。






結局、
46歳まで

親に養われて、
学生を続けた結果、


様々な世間の人々に立ち交じって苦労して働き、
独力で食べて行くシビアな生活を経験していない長兄には、


「本当の金銭の重み・価値」が
理解出来ていないのでは?…と


私は思う。





その人が自分で苦労して稼いだ金は、
その人のものだ。




その自明の理が、
長兄には、

理解出来ないのではないだろうか。





自分自身が、
辛い労働の経験を持たないために…。





要するに、
長兄は、「1人前のオトナではない」。



「精神的にガキ」のままの人間なのだ。





だからこそ、いつまでも、
親の金を当てにしているのだろう…。






※※※※※
父は、

死の10日程前、
母に、
「両親に会いたい」と言ったそうだ。




母は驚いて、
「お父さんもお母さんも、とうに亡くなりましたよ」と
答えた。



そして、
父を仏壇の前に導いた。



すると、父は
素直に、手を合せて拝んだそうだ。





結局、
死の近づいた父は、
両親を恋うていたのだった…。





元々、内心では、ずっと、
恋しくて堪らなかったのか?





それとも、
迫り来る自分の死を予期した時、
すべての愛憎を越えて、
両親と和解し合い、

許し合いたいという気持ちになったのか?





それとも、
単に、
認知症が進み、
「幼児の頭」になっただけ…だったのか?







…私には、分からない…。







※※※※※※
父は、

75歳頃から、
記憶力がダメになった。




しかし、
その父を慕う女性がいたらしい。





父が85歳近い頃だったと思うが、
母が私に、
こう言った。





「この間、
お父さんが、ある女性に誘われて、
2人だけで
温泉1泊旅行に行ったんだよ。


お父さんは、もう男でないから、
出してやった。」





私は、
それを聞き、
心底、父と母を軽蔑した。





50年も連れ添って、
お互いに、

そんな気持ちでいるのか…と。





思い出すと、
実に不愉快になる。





しかし、同時に、
実に、

両親の心根と関係を露わに示したエピソードだと思う。





2人とも、
醜く、寂しく、愚かだ。






「かくあってはならぬ」という
反面教師の見本のような、

唾棄すべき夫婦だ…。





しかし、
それが
私の両親なのだ。







※※※※※※※
父が死んだ時、
遺体を安置した実家の居間に入って来た長兄の表情を、
いまだに

私は忘れられない。





まさしく、
「嬉しくて鼻歌を歌い出しそうな」


「今にも嬉しい笑みがこぼれそうな」


「頭上の重しが取れて晴れ晴れとした」


表情そのものだった。




それで私は、
父の遺体の前で、
思わず注意せずにいられなかった。


「鼻歌を歌い出しそうな顔してるよ。」



しかし、
それでも、
長兄は表情を改めなかった。





当時の私は、
その晴れやかな嬉しげな表情を、


「長兄が父を恨んでいたため」と
受け取っていた。





しかし、
それだけではなかった。





父は「金を返せ」と、
長男に何通も手紙で詰め寄り、


長兄は、
それを必死に何年も
無視し続けていた。





すなわち、
長兄にとっては、
「借金取りが

めでたく死んでくれた」のだった…。