すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

長兄=人食い虎

長文過ぎる長文です。スルーください



長兄が
「母には老人ホームへ入らず、ずっと家に居てほしい」
と考えたのは、
後に、私にも解ったのだが、

以下の考えからだった。




「老人ホームは、金がかかる。


家に居れば、金がかからん。


父の残した預金1,000万円弱は、
母には一切、使って欲しくない。


自分は、47歳で初めて職に就き、20年しか働けない。


そのため、年金額が少ない。



老後が不安だ。



だから、
父の残した預金1,000万円弱は、自分の老後資金にしたい。


母には、とにかく金を使わずに生活して欲しい。


遺族年金も、出来るだけ使わずに貯金をして欲しい。


そして、
自分に出来るだけ多くの金を残して死んで貰いたい。」




…とすれば、
母が圧迫骨折で入院し、

長兄が病院へ来た時、
あの時こそが、

本当は、
長兄にとってのチャンスだった。



兄は、正直に、
「実は、オレは年金が少ない。


老後生活費が非常に少ない。


困っている。


だから、
母には金を使わずに残して欲しいんだ。」



そう私に、
謙虚に打ち明ければ良かったのだ。



年金が少ないというのなら、
実際どれくらいの額なのか、
私に、具体的に教えてくれたら良かったのだ…



そうすれば、
兄が不安な理由、
喉から手が出るほど母の金が欲しい理由が
私にも伝わったはずだ。



それを聞いて、
もちろん、私は驚いただろう。



「なんと、身勝手な…!!」とも思っただろう。


「老母の金を取り上げるな!自分で稼げ!」と
思ったかも知れない




しかし、
本当に、そんなにも困っているのなら、
長兄が47歳まで就職しなかったのには、
両親にも責任の一端があった、

私は考えていたのだから、


「もっと安い老人ホームを探し、母を説得する」
という道も、
あり得たのだ…。



私は、たぶん熟慮した末に、
その道を選んだのではないか…
と思う。




ところが、
長兄は、不正直だった。



最後まで、自分の動機を隠した。




そのため、
そんな動機を想像もしていなかった私は、
長兄の意図が分からず、
彼のウソとゴマカシに振り回されて困惑し、

五里霧中にさまよった。




当初の私には、
「母の幸福が最優先」という単純な考えしか、なかった。




父が残した預金や母の年金は、
まず「母のため」に使って良い、
そしてもしも残ったら、3人の子どもで分ければ良い…

と考えていた。



しかし、
「母と長兄の幸福の両立」という課題を
最初から、

長兄が謙虚な真摯な姿勢で示してくれていれば、
私の考え方も、変わっていたかも知れない…。





前にも書いたが、
成人する以前の私にとって、
長兄は「最も敬愛する人」であった。




この件で、
長兄が私をウソやゴマカシで振り回し、
挙げ句の果てに、

理不尽な酷い攻撃を加えて私に襲いかかって来るまでは、
その「敬愛の念」は、

まだ私の中に消え去らず、
幾ばくは残存していた。




だから、
長兄が私に腹を割って丁寧に説明をして、
謙虚に依頼したならば、
私も、心を動かした可能性がある。




しかし、
長兄は、私に率直な話をしなかった。



チャンスはいくらでもあったのに、
ずっと黙り、隠していた。




そもそも、私が
「母を老人ホームに入居させたい。

母の気に入ったホームも見つかった」
と、長兄に伝えた時点で、


長兄は、母に大ウソをついて母を騙すよりも、
私と話し合いをするべきだった。




私がメールした後、
すぐに長兄は母の元に来て、2晩泊まった。



だから、長兄には、十分に時間的余裕があった。



しかし、彼がやったことは、


母を騙すウソを考えること、
そして母を実際にたぶらかすこと、
そして、

私には何も言わずに黙って帰ること、



それだけ…だった…。



それは、
なぜだったのだろうか?





…考えているうちに私は、ふと、
中島敦の「山月記」を思い出した。



それは、
主人公が「人食い虎」になる小説である。




これを初めて読んだのは、いつだったのか?


…覚えていない。



私の昔の読後感は、
「良く出来た小説だが、完全な空想譚」だった。




しかし私は、数日前、もう一度読んだ。




そして、今回は、
この「人食い虎」こそ、「リアルな長兄そのもの」だ…
と、確信した。




私は8年前、
長兄から、理不尽な激しい非難攻撃を受けた。



そのために、
深く心が傷つけられ、
トラウマまで生じてしまった。




長兄の狂気のような激しい攻撃から逃れるため、
私は、

弁護士を「私の代理人」として依頼せざるを得なかった。



他に、兄の攻撃を逃れる術がなかった。



(弁護士の提案通り、
「弁護士が私の代理人となったという長兄への通知」は、
魔法のように速やかに効いた。



長兄の私への激しい攻撃は、文字通りピタリと止んだ。


あれから8年、攻撃は復活していない。)




また私は、
取って食うために母に襲いかかるような
長兄の凶暴な説得の電話を、
この耳で聞いた。



その私にとって、「人食い虎」は、

もう比喩とは思えない… …。





「山月記」の主人公は、
職を捨て、働かずに
「人との交わり」を長く断った。


そうして、
次第におかしくなって行った。


ついには「虎」に姿を変えた。





長兄も、全く同じだ。




長兄の12年間の留学の内実は、


終日、ひたすら自室に籠り、
外国語の難解な本を、来る日も来る日も、読み続ける」


「頭の中で考えた難解な理屈を、外国語で文章化する」


それが、すべてだった。



そして、
30代~40代の働き盛りに、
12年間の長きに渡って、

それだけを、続けてしまった。




人付き合いは、ほぼ、皆無。


妻すら、時折しかやって来ない。


12年の間、1度も帰国しなかった。


働くと言っても、
せいぜい日本人子女の家庭教師のアルバイトを少し。


それだけ。


大人相手ならともかく、
子ども相手の家庭教師など、
「大人のまともな仕事」ではない。




他人と交わらない、長い長い生活が、
長兄の心性を、
極めて自己中心的で、

幼児同様にワガママな、
強烈に醜悪な攻撃的なものに変えてしまった…。





「山月記」の人食い虎が旧友に巡り会った時、
まずしたことは、
自分の書き上げた沢山の詩を、

旧友に聞いてもらうことだった。



そして、最後に、
自分の妻子の行く末を頼んだ。



そして、自ら
「本当は、

詩の話をするよりも、
最初に妻子のことを頼むべきだった。


こんなだから、
自分は人食い虎になったのだ」と言う。




本当に、その通りだ…と私も思う。



自分が勝手に捨て去った哀れな妻子よりも、
自分の詩業。


それが、この人食い虎にとって、
何より大切だったのだ。




幼稚な醜い「エゴ」。


あまりにも、思いやりがない。





人間は、1人きりでは、
決して、まともな「人間」になれない。



「仕事・職業・生計維持」を通じ、
多種多様な人々と、否応なく交わることによって、
人は、少しずつまともな人格を形成し、

「一人前」の大人になる。




働かずとも食べて行ける環境で、
人と交わらず孤立していれば、
人間は、

自己中心的にワガママになるばかりだ。




そういう「幼児性」「エゴの塊」は、
自分勝手な欲望が達せられない時、
周囲を憎悪し、

攻撃の牙をむきだして、
自分より弱い者に襲いかかる。





私自身は、20代~40代に、いくつかの職場で働いた。



その時、私が実感したのは、
多くの職場では、

「仕事そのものよりも、職場の人間関係に気を使う」


「人間関係が、仕事そのものより大変」


という事だ。




つまり、
自力で食べて行く=日々、仕事して収入を得る。


そのためには、
自分とは合わないイヤな相手とも否応なしに会話を交わし、

共同作業をする。



相手がどんな人間であれ、
さまざまな工夫をして、折合いをつけて対応する。



働くという事は、
否応なしに、
それを強いられる事なのだ。




生きて行くために、
食べて行くために、
「幼児性」「自己中」は、捨てざるを得ない。



幼児的な一方的な自己主張をしても、
大人社会では絶対に通らない。



もし、幼児的自己主張をすれば、相手にされない。


のみならず徹底的に攻撃される。


勤まらずに、仕事を失う。




自己主張をする一方で、
相手の自己主張を受け取る。


お互いに距離を取り合い、少しずつ引く。


お互いが納得可能な中間地点を見つける。


攻撃し合わず、我慢し合う。


争わず、平和的に共存する。


自然に、互いの欠点を補い合う。


長所を伸ばし合う。


助け合う。


時には、また、ぶつかり合ってしまう。


しかし、基本的には
共存共栄をめざす。



この作業を、
自分を取り囲む多種多様・多数の人たちと、
毎日毎日、時々刻々に、

同時多発的に行う。




この「複雑な人間関係」をこなしながら、
日々仕事をし、
生きるために金を得る。



それが、大人の生活だ。




その労働生活と
複雑な人間関係の維持と発展を通してこそ、
様々な人々も、

自分も、
みんな等しく「1人の人間である」ことを、
深く認識し実感する。




共存するためには、
互いに相手を認め合う事が必要であることを、
身体で学ぶ。



それが、「一人前」の大人だ。




ところが、
まともに働いた経験のない人間は、
それが全く身に着かない。




どこまでも、


呆れるほどワガママ


幼児的・幼稚


徹底的に自己中


我利我利のエゴイスト



に留まり、そこから成長しない。





外見は「中年・壮年」なのだが、
中身の心が「幼児」のまま…なのだ。




そして、
自分勝手な幼稚な欲望を肥大させて行く。


欲望が遂げられない時、
自分に責任がある…とは考えない。


周囲に、全ての責任を転嫁する。


そして、
周囲を激しく攻撃し、滅ぼすことにより、
なおも欲望を遂げようとする。





…それが、私の長兄だ…。



彼は、「人食い虎」…。



「幼児性が肥大したモンスター」だ…。




人食い虎は、実際に人を襲って食らう。




私の長兄は、母の安楽な老後を保障する預金を、


母から強欲に無理矢理に奪おうとした。


「母の安楽な老後」を、無理矢理に取り上げ、
自分が代わりに食らおうとした…。


大ウソをつき、母をダマしてまで…。




更には、
私を滅茶苦茶に攻撃し、
心理的暴力を振るうことで
私を意のままに動かそうとした…。



しかも、
彼は、その「強奪」を躊躇った形跡がない。



それが
あたかも当然・正当であるかのように、
極めて強引に振る舞った。




もし彼に、
人間らしい躊躇や恥じらい、
「大人としての正常な感覚」があったならば、
正直に腹を割って

私と次兄に話をし、
低姿勢で理解と許可を請うたはずだ。



しかし長兄は、何の説明もしなかった。



その代わりに、母をダマした。



しゃにむに、
自分の欲望を、
無理矢理に強引に、実現させようとした…。


(あんなにも、長男を深く愛している母を…)




そして、
自分の欲望が実現されず、

自分の計画が失敗に終わったと知るや、
今度は、

その道を選択決定した母ではなく、
第3者だった私を、ハチャメチャに攻撃して来た。




攻撃ターゲットが、なぜ、私だったか?



長兄は、「母とは疑似恋人関係」だった。


その関係をハッキリと破綻させてしまうことは、
彼には出来なかったのだろう。




また、次兄は、一人前の男性社会人であり、
長兄にとっては攻撃対象とするには
「強すぎた」のだろう。




「元々バカ・女・ただの主婦・年下」=「弱者」である私こそが、
長兄が攻撃可能な、
弱い相手だったのだ。




それにしても、
あんなに狂ったように
私をメチャクチャに攻撃する位なら、
なぜ、理性的に、

「真実」を私に告げなかったのか?




膝を屈し、
真実を私に告げ、
私に真摯に友好的に協力を依頼すれば、
私だって、無下に

その切羽詰まった依頼を却下しなかっただろう。




私だって、
もっと別の道、
すなわち、母も長兄も私も、
みんなが納得出来る道を探ったはずだ。



1つには、
長兄はあまりにも、
「私をバカにしていた」のだろう。



彼にとって、私は
「命令し、それに従わせるだけの相手」だったのだろう。



そして、そこには、
愛情や親しみのカケラもなかった…のだ。




「山月記」の主人公である人食い虎は、
自分の「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」が、

すべての原因だった…と省みている。




長兄も同じだ。




彼の「尊大な羞恥心」が、
自分の「惨めな真実」を、

「バカ妹」に開示させなかったのだろう。



「臆病な自尊心」が、
自分が長年軽蔑してきた「バカ妹」に対し、
低姿勢になって依頼することを

許さなかったのだろう。




しかし、
さまざまな他人の中で、他人に揉まれながら
長年労働に勤しんでいれば、



「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」=


「ドロドロの汚物が醜く絡み付いた、
相手を突き刺すために鋭く尖った角(ツノ)」は、


きれいに洗い流されて行く。




他人との接触・摩擦を繰り返すうちに、
次第に角は矯められ、

丸くなってゆく。



歳月の間に、
すり減り、消えてなくなってゆく。




長い風雪に耐えている間に、


鋭い「ツノ」に代わり、


「他人を温かく思いやる心・優しさ・心の深さ」が、


新しく生まれて来る…。



そしてそれは、
育ち続けて大きくなる。



ついには、
美しい「丸い玉」が、形づくられる…。





…艱難汝を玉にす…


…苦労は買ってでもせよ…


…可愛い子には旅をさせよ…


…獅子は、千尋の谷に我が子を突き落とす…






父は、結局、
世間知らずな人だった。



ワガママで、
周囲と協調が出来ない人だった。


職場では
人と交わらず、孤立。


家庭では、
ひたすら、暴君として振る舞った。



そんな父は、
「世間に出て一人前の社会人として働くこと」こそが、


「人間として最も大切な必要な事」だということが、



理解出来ていなかった…のだ。




父は、


一人で自室から一歩も出ずに引きこもり、
ひたすら難解な理屈だけの書物を読み耽るだけの

10余年の歳月…。



それが、
どんなに危険な、人として間違った生き方か、


それが、
人間としての心を正常に発達させないばかりか、


攻撃的な獣のような
醜く怖ろしい人格を作り上げてしまうか…


その事を、
少しも想像出来ていなかった…。



逆に父は、
そういう歪んだ生活を
「素晴らしい生き方」と、信じ込んでいた。




その父の愚かさ、


そして、
長男の人生を乗っ取り、

自分の欲 (学者になりたかった欲) を
長男に実現させた、
父の浅ましいエゴが、


長兄を「人食い虎」に
育て上げてしまったのだ。




長い歳月を、
社会の一員として、
複雑な人間関係の中で、他人に揉まれながら、

懸命に働く。




人は、それによって初めて、
生まれ持った醜いエゴを、
自然に捨て去れる。



理解し合って
協調し、
温かく支え合って生きようとする。



優しい大人になろうとする。





そういう人間らしい生き方を、
父に無惨に奪われ、



人を襲う「獣」と化してしまった長兄の生を、


私は心から悼む。





「山月記」の人食い虎は、
それでも、


自分が虎になってしまった理由 =
自分が過去に犯した大きな過ちを、


自覚することが出来た。




しかし私の長兄は、
生涯、自覚を持てないだろう。



自分が
「人食い虎=モンスター」と化した事実を、
自覚しないだろう。



自覚が出来ない以上、
その理由も考えないだろう。




彼にとって、
彼の貧しい境遇は、
すべて、親と妹の責任なのである。




親が仕送りをケチった。


それで


金が足りず、バイトを余儀なくされた。


それで


勉強時間が削られ、論文執筆が遅れ、帰国が遅れた。


自分は、両親を恨んでいる。」




これが、
帰国後に長兄が私に、実際に語った言葉である。




47歳まで就職せず、
親のスネをかじり続けたのは、
すべて「親のせい」なのである。




そもそもの自分の能力の不足、


帰国時期を早めず、
長すぎる留学をズルズルと続けた自分の判断ミス、

父からの手紙を全て読まずに無視した結果、

親との意思疎通を欠いてしまった自己責任…



それらを、
彼は、
全く意識しない。



両親は、
年金生活の中で、精一杯の仕送りをした…という
親への共感能力もゼロ。




「全ては親の責任」とする
自己責任回避思考の、
あまりの幼稚さ…。




これが、
世間では全く通用しない、
大人として余りに幼稚な考えだ…とは、
彼は、

少しも理解しないのである。



彼は、
「年金が少なく老後資金が不足」という事態に、
老親の預金と年金を取り上げ、

それで対処しようとした。




つまり、彼にとって、
「親の金は自分の金」なのである。




そのあまりの
「エゴイズムの醜さ」
「幼児性の浅ましさ」に、
彼は、
少しも気づかない




「とにかく、親のせいでオレがこうなった。


だから、親に責任を取らせよう。


それが当然だ。


親が安楽な老後を送れずとも、
親には自分を援助する義務がある。」



「ついては、
母を騙して、
妹が入れようとしているホームをやめさせよう。


母は、
オレを信用しているから、
ウソに気づかず騙されるだろう。


とにかく、
妹に、母を自宅介護させるのが、
一番金がかからん。


それならば、
母の預金は母の死後に、丸々残る。」




「預金が残れば、
それを出来るだけ多く貰おう。


自分は
親の希望を叶えるために留学した。


一方、弟妹は自由に生きた。


オレだけが
親の犠牲になった。


だから、
自分には、
弟妹より多額の遺産を貰う権利がある。」



…彼は、
こう考えたのだろう。




ところが、
想定外の「母の大怪我」により、

母が自宅に戻れる可能性はゼロになった。



そこで、長兄は慌てて、「安いホーム」を探した。



そして、
母を電話で激しく攻撃的に説得し、翻意させて
そこに入れようとした。



ところが、母は翻意しなかった。



妹は、母の意を体して
母の希望するホームへの入居手続きを進めた。



怒り心頭に発した長兄は、妹を激しく攻撃した。



そうすれば、
妹を翻意させることが出来るだろうと
必死になった。



ところが、案に相違し、彼に届いたのは、


「弁護士からの通知=
今後、妹の代理人を務めるので、
妹への連絡は全て弁護士へ」
だった。





それで、
彼は、万事休した。





あとはただ、
母の死を待つだけ…だ。





ところが、
彼の期待に反し、
90を過ぎた母は、
ホーム入居後、8年も生き、
なお、生きている。




もっと早く死んでくれれば、
金は、もっと残った筈だ。




母が費消する他に、
妹は、
勝手に使い込みをしているから、
母の遺産は、
ドンドン目減りして行くばかりだ…。




母と妹を思い出すと、
彼は、
やり場のない怒りに駆られ、
焦燥に駆られる…。




地獄である…。




人食い虎は、
今日も怒りに燃え、
天に咆哮する。