すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

斎藤学「家族の闇をさぐる」抜粋

斎藤学「家族の闇をさぐる」を読んだ。


20年前の本だが、とても、ためになった。


今まで、斎藤学の本を何冊か読んで来た。


それなのに、あまり深く理解出来ていなかったようだ…。


この本を読んで、ようやく、一段深く理解を進められた…
と思う。


以下に、特に深く響いた部分を書き抜いておきたい。(下線は私)


(青で書いた部分は、「ブログ」を書くことの価値でもある。)


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児童虐待の対応について最優先されなければならないのは、加害者と被害児の分離によって児童の安全を図ることであるが、その際、安易に被害児を児相センターや養護施設に収容することを避けなければならない。被害児を家から離せば、一時的な安全は図れるかも知れないが、家族から切り離された子どもは自分に罪があったと思うだろう。家族から放逐されなければならないのは加害者なのだが、この加害者が児童の経済的・情緒的依存の対象でもあるところに児童虐待を取り扱うことの最大の困難がある。



家庭とはこの人工子宮が子どもの成長にそって拡大したものと考えられるが、この空間がうまく機能するとき、人間はひとつの世界観を紡ぐことができる。それは、自らの生には一定の秩序と連続性があり、それは周囲の人々からも支持されているという一種の信念である。あるいはこれを幻想と呼ぶ人もいるかも知れないが、私たちはこの幻想を欠いては生きられない。トラウマ(心的外傷)とはこうした我々の確信を粉砕し、我々の世界観に亀裂を生じさせるような体験のことを言う。この亀裂が、トラウマにさらされた者に特有の不安と恐慌、抑うつ感と絶望、空虚感とそれの防衛である嗜癖(依存症)、多重人格を含む解離性障害や境界性人格障害をはじめとする人格的偏りなどを招く。



子どもは生き残りのために親の愛と関心を必要としている。その子どもが親の価値観や打擲を、むしろ自ら望んだものとして受け入れ、「偽りの自己」を発達させてしまうのも当然のことである。こうしてつくられた人格の中では、すでに親の押しつけも虐待も想起されることさえない。こうして「温かい親」のイメージは温存されるが、無意識の中に沈着した心的外傷は不適切な行為や感情や対人関係として強迫的に反復されることになる。そのもっとも普遍的な形は、今や親になったかつての子どもが、自分がされたように子どもに権力をふるうことである。
私たちはすべて「
温かい親」を必要としている。この欲求にそう形で、親の加害者性は隠蔽されてきた。そしてそれを暴露する作業には陰に陽に様々な抵抗や圧力が加わる。
抵抗の最大のものは、子どもを虐待するような親は、「一部の」階層、「一部の」人種、「一部の」精神障害者である、とする「一部切り捨て」の思考法である。



臨床家が外傷体験を含む過去を聞き続けるのは、親への憎悪をあおるためではないし、大人の責任から逃れて他人を非難する者たちに手を貸すためでもない。話し手が過去から解放されることを助けるためである。



少年Aは、その気質が顔をのぞかせ始めたごく幼いうちから母親に人格全体を否定されてしまったことになる。母の怒りや無視に直面した子は、かえってその母にまとわりつくという事実がある。動物実験のレベルで確認されているこの事実は、人の場合にはさらに深刻なものになる。母から拒否されていると感じる子は、母への密着を維持しようとあらゆる努力を惜しまなくなり、母にとっての「良い子」を演じようとする。母に迎合し、その価値観を無批判に取り入れることに努めるその母の価値観の中に「こんな自分には生きる価値がない」というメッセージが含まれているとしたら怖ろしい。怖ろしいが、こうした母子関係の中で自らに価値を見出せなくなった大勢の若者たちに、私は毎日のように接しているので、少年Aとその母の関係がこうしたものであったとしても驚かない。弟たちが生まれてからは、この絶望はさらに切迫したものとなったであろうから、嫉妬と怒りが弟たちに向けられたのも当然であろう。
この少年と母のような関係の中でこそ、親の支配と隷従は危険なものになる。こうした関係の場合、関係そのものが暴力的なのだから、身体的暴力もネグレクトも必要ではない。私がかねてから「やさしい暴力」こそ、児童虐待の本質と述べているのは、このようなことを指している。
このように考えてくると、この危険な二者関係が成立し、いつまでも続いた原因の一端は父にあるということになる。元来、「父なる者」(父性)とは、このような母子融合を切断するという役割を持つのだが、その際、母を誰よりも大切にし、愛することによってこの仕事を果たす。子どもはそのような父を見て、母を我が身とする子宮回帰の誘惑を断念できるようになるのだが、この家族の父母(夫婦)関係は、こうした「父の仕事」をむずかしくさせるようなものだったのであろう。父のもうひとつの役割は、是非善悪を分かち、非行・悪行に懲罰を加えることだが、Aの父はこれにも失敗している。




おおかたの父親は自らの情動を言葉にすることに慣れておらず、不本意な場所にいなければならないことを抗議するかのように無言を続けるか、ものわかりのよい父親を演じてその場を切り抜けようとする。



痛みも絶望も、それが深すぎるとき、人は感情鈍麻という対応法で茫然と日常生活をこなしてしまうことがある。



人の体験は、それがどのようなものであれ、その人にとって代え難い価値があり、その価値は他人に語ることによってしか認識できないものである。人によっては、自己という他者を相手にこれをすることもあるが、それは元来むずかしい。自己という他者は、多くの場合、自分を罵り、謗り、叱咤激励するインナーマザーに過ぎなくなっているからである。



人の振る舞いの多くは、親との関係の中で身につけた基本的コミュニケーションと価値観によって決定されているのだから、それが不適切なものであれば、変えればいい。



硬直した狭い価値観を、より柔軟で広いものへ変え、迂遠で隠微なコミュニケーションを、より率直で透明なものへ変えるのである。その過程で、その人の人生をむずかしくさせることになった「家族の闇」が浮き彫りにされてくるのを私は見る。
自己とは自己の語る記憶のことだと気づくとき、その人の生育家族への見方は、劇的に変化する。自己を過去の心の傷から解放しようという野心が芽生えたとき、その人はすでに過去からの解放の途についている。



こういう話を聞くたびに私は、子どもたちがその環境の中で必死に生き延びていく、適応力に驚かされる。しかし、この能力は一方で自己の魂の成長を妨げ、大人になってから途方に暮れることになる。その場に適応するために大人の顔色を読んでいるうちに、自己懲罰が習い性になってしまうからである。
何をしても寂しいのは、「自分にやさしく」なれないからである。人に奉仕していないと、出て行けと言われるような気がして不安でならないのである。



アダルト・サヴァイヴァーにとって必須の治療とは、自らの家族関係にまつわる心的外傷を語ることそのものである。時には長年月にわたって秘め事とされてきた外傷体験を語れる場を得たということを凌ぐ、どんな薬物療法も精神療法技法も存在しない。



体験を語るとは、記憶を編集し直すということである。「私」とは「私の記憶」のことだから、この再編集は「私を変える仕事」になる。その過程で今までじっくり見ないできた細部の記憶や棚上げしてきた記憶も集められ「私の記憶」の中に統合されることになる。
このことは「記憶への支配力を増す」という言葉で表現されることもある。



やがて患者は、なぜ、どのようにして、ああした過去の悲惨が起こり、それがいつまでも続いたかを理解するようになる。過去を再検討し、出来事の脈絡と質を理解したとき、外傷性記憶は普通の記憶になる