すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

100歳母の異変

母は
半年前、
老人ホームから療養型病院へ移り、
寝たきりになった。





老人ホームでは、まだ何とか、
車イスで
トイレ・食堂へ行けていた。




しかし
それは、
本人にとっては
「体力の限界」であり、
かなり
辛かったらしい。






入院して1か月。




ようやく許可された面会に行くと、
主治医が
私を
待ち受けていた。





「見た目より、かなり悪いです。



心臓が弱っています。



いつ急変するか分からない。



覚悟して下さい。」






それで、
「これが最後の面会になるかも…」と、
遠方から
兄2人が
面会に
来ることになった。





ところが、その直前、
また
コロナの勢いが
ぶり返し始めた。





長兄は、
「自分は
持病があり、
ハイリスクだから」と
旅を
取りやめた。






面会の枠は、2人だ。





長兄の代わりに、
私が行った。






母は、
次兄を見るなり
喜んだ。





制限時間の10分間、
うっとりと
過去の世界に
次兄と2人だけで遊び、
会話して
楽しんだ。






私は10分間、
完全に無視され、
そのまま
時間切れとなった。





しかし
私は、
帰ろうとイスから立ち上がる時、
「痛いところはないの?」と、
初めて母に
声をかけた。






すると母は、
私を
ギラリと一瞥した。





その視線は、
刺すような視線だった。






「痛いところばっかりだわ!」と
私に
殴りかかるような勢いで、
母は
吐き捨てた。





その時、
看護師さんが入って来た。





「あら、痛いところばっかりなの?
どこが痛いの?
後で教えてね」と



看護師さんが
明るく声をかけた。





母は、気まずそうに黙った。





その母の表情を見て、
私は、
「母が苦情を訴えるのは、
唯一、私にだけなのだ…」と
悟った。







そして
母は、その後、
持ち直した。






1ヶ月半後、
私が
恐る恐る
病院へ電話すると、
主治医が
なごやかに言った。





「落ち着いています。



本人も
ラクだと言っています。



コロナワクチンも
打った方が良いです。」






その後、
面会禁止が解けないまま、
3ヶ月近くが経った。






先月、
電話で
様子を尋ねてみた。




「姪が死んだようだ、とか、
娘が病気のようだ、とか、
色々、
独り言を言っています。


元気ですよ。」と


看護師さんが
教えてくれた。





それで、あわてて、



「こちらは、みんな元気です。
安心してください。


コロナで面会禁止なので、
面会に行けません。


コロナがおさまったら
会いに行きます」と



大きく濃い文字で書き、
ハガキを出した。





また、最近
病院から
送られて来た文書には、



「時間はかかるが
食事は
自分でとっている。



リハビリでは
記憶している歌を歌うこともある」と
あった。





それを読んだ私は、
すっかり安心した。






ところが、
一昨日、
主治医から
電話が来た。





「顎が外れ、食事を取れなくなった。


整復しても
すぐ外れて
口がパカッと開いてしまうため、



グルグル巻きにして
顎を
押さえている。



高カロリーの食べ物を
色々試しているが、
むせて
気管に入ってしまうので、



食事が
殆どとれない。




点滴は、
入院時の娘さんの希望通り、
低カロリーのものを使用している。





元気が
なくなってきた。





このまま、
低カロリーの点滴を使用すれば、
あと数ヶ月しか
もたない。





しかし、
高カロリーのものは、
お母さんの場合、
心臓に
負担をかけるので
使えない。




ただし、
家族の希望があれば、
やや高カロリーのものに
替えることは出来る。




そうすれば、
低カロリーのものよりは、
もう少し長く
延命できるでしょう。」






私はすぐに、
次兄に
メールを送った。





「母の最愛の相手は、長男。



その長男に
何年も会えていない。



母の気持ちを考えれば、
ひと目、
長男に会いたいのではないか。



私は
もともと、
『高齢者が食べられなくなれば
それが本人の寿命』と
考えて来た。



それで、
『もし食べられなくなった場合、
点滴は
低カロリーのもので良いです』と
入院時に
希望した。





しかし、
コロナ禍で
長男と
最後の面会がかなわないままの
現状では、


できるだけ延命し、
長男との面会が実現する
可能性を広げた方がよいのではないかと
思う。




母は
もちろん、
あなたにも
また会いたいだろう。



だから、
延命すれば、
その可能性も広げられる。




あなたは
どう考えるか?」





次兄からは、


「自分も、
やや高カロリーの点滴に替えることに賛成」と
返信が来た。




私はすぐに、
病院へ電話し、
点滴の変更を依頼した。







その後、私は
自問した。





「母と長兄は、長年、
タッグを組んで
私を
否定し攻撃し、
理不尽に
苦しめてきた。





その2人のために、
私は
何を
やっているんだろう?





母は、
老人ホームに10年もいた。





その間、
長兄の訪問は
1度きりだった。




電話も
2.3回しか
していないようだ。




訪問はともかく、
電話することは
何度も可能だった。





にもかかわらず、
長男が
電話せずに
母を放置したのは、
長男の意志だ。





今、
母との最後の面会がかなわなくとも、
それは、
長男の自業自得だ。





また、
そういう長男にしてしまったのは、
母自身の責任でもある。





最愛の長男に
何年も
会えないまま死んだとしても、
それは
母の自業自得だ。





2人が会う、会わないは、
あくまでも、
2人の関係の結果だ。





私が
ヤキモキしても、ムダだ。





私は、なぜ、
そんなムダなことに
心を砕いているんだろう??


……??」







しばらく考え、
私は
答を出した。






それは、
私の中に、
母を喜ばせたいという気持ちが
残っているからだ。





なぜ、
そんな気持ちがあるかというと、



母は
やはり、



私の唯一の
養育者だったからだ。





母は、
不十分な、
しかも
間違ったやり方で
私を
養育した。





しかし、
子どもだった私には、
他に
愛着する対象がなかった。





幼かった私に存在した
母に
愛着する気持ちは、
いまだに
私の中に
残っているのだ。





長兄は、狂っている。



彼とは
一刻も早く、
完全に
縁を切りたい。




彼を
利する気持ちは
私には、ない。





私は、
母を利したいだけなのだ。





母は、私を
不当に
卑しめた。





母は、
私が本来
持つべきだった誇りを、
不当に
奪った。





母は、
私の人生を
不幸にした。





しかし
一方で、母は
私を
養育した。





私を
最低限、生き延びさせた。






世話してくれる
唯一の相手に、
子どもだった私は
愛着した。






その愛着が、
今も、
残っているのだ…。






三つ子の魂、百まで… 
とは、
こういうこと…なのだろう… … 。