すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

「子どもたちの階級闘争」

「子どもたちの階級闘争」(ブレイディみかこ)を読んだ。




以下に、
考えさせられた部分を抜き書きし、
感想を書いておく。







「自分の力主義」。というのは
各人が
自分の生き方の指針にすべき考え方であって、
それを
他人にまで強要するのは
ヒューマニティの放棄である。




これを読み、思い出したのは、
スガ氏が語った、自助>共助>公助。


あんな事を
堂々と国民に提示する首相を
支持する国民は、
自分自身の首を絞めているのと
同じだ。


公助こそ、
政治の仕事だ。
自助が第一なら、政府なんて要らない。
高い税金を払って
議員たち政治家を雇う必要がない。


消費税は、
富裕層と大企業を減税するのが
真の目的だ。


自分自身はリッチではないのに、
10%もの消費税を払って
苦しい生活を送りつつ、
大企業と富裕層のための自民党を支持し
応援しているのなら、
日本人は、
あまりにもお人好しの
奴隷・家畜だ。









白人以外の大人と
至近距離で触れ合ったことのない一歳児や二歳児が
保育施設に初めて連れてこられると、
わたしのような
肌の色や顔立ちが明らかに違う人間が近寄ると
大泣きし、
化け物でも見たかのような
リアクションを示すことがある。
そんな子どもの「ならし保育」の担当に回されたときは
悲劇である。
わたしを見て腰を抜かしたようになり、
全身をヒクつかせながら
教室の一番端まで這いつくばっていく子や、
あまりの衝撃に
涙と尿と吐瀉物といった体内の水分を
すべて噴出させた子もいた。
そういう場合には
もうこちらが
どれほど努力しても無理であり、
白人の保育士に交代してもらうしかない。
が、
そういう経緯で始まった子ほど
小学校に進む頃には一番なついていたりして、
卒園するときには
互いに泣きながらハグしていたりする。
(中略)
いろいろな色を取りそろえる意味は、やはりあるのだ。
(中略)
地べたを生きるリアルな人々が
日常の中で外国人と出会い、
怖れ、触れ合い、衝突し、ハグし合って
共生することに慣れていくという、
その経験こそが
社会を前進させる。




日本は
地理的に、
他民族・他国民との接触・摩擦が少ない環境だったため、
真の意味での
「他者との共存経験」が
あまりに少ない。


ヨーロッパ人と比較すると、
「箱入りの幼児」と言ってもよいと思う。


しかし、
現代は、
空路の発達により、
世界が急速に1つになってしまった。


この急激な大変化に、
日本人の精神発達がついて行っていない。


今後、
幼稚な日本人は、
国際社会で、
ますます軽んじられるのではないか…。


もう既に、
日本のコロナ対策のあまりの遅れは、
先進国からは
嘲笑の対象になっているのだろうが…。









決断力。
クリエイティヴィティ。
ディベートする力。
わたしが日本にいた二〇年前から現在まで、
日本人に欠けていると一般に言われている事柄は
ちっとも変わっていないように思えるのだが、
こうした能力が欠如していることが
本当に民族的特徴になっているとすれば、
それは
人間の脳が最も成長する年齢における
環境や他者とのコミュニケーションのあり方に
端を発していないだろうか。
少なくとも
英国の幼児教育システムは、
言われたことを上手にやる天使の大量製造を
目的にはしていない。
過日、
緊縮託児所で恒例のディベートごっこをやった。
英国には
政府が定めたEYFSという
幼児教育の法的枠組とカリキュラムを合わせた
「幼児教育の憲法でありバイブル」があり、
そのカリキュラムによれば、
四歳で小学校に入学する前に、
どもたちは自分の意見をしっかりと述べ、
他者を説得する努力をする姿勢を
身につけていなければならない。




日本社会の大きな特徴は、「強大な同調圧力」である。


とにかく、
自分の周囲を見て、
はみださずに右ならえして周囲に溶け込む事が
最善とされる。



学校でも、社会でも、
「自己主張の強さ」は、嫌がられる。
「自己主張」は「わがまま」とされ、
逆に
「自己主張しないこと」「従順」が美徳とされる。
幼い頃から、そう教育される。


ところが、欧米では逆なのだ。
自己主張は絶対に必要な事」なのである。
幼い頃から自己主張できるように

他者を説得するように
積極的な教育を受けるのだ。



ドイツで医師をしている日本人女性のブログを
愛読しているが、
お嬢さんを幼稚園から小学校へ、
一年早く飛び級入学させようとしたところ、
「自己主張する力がまだ十分育っていないから」と
幼稚園から反対を受けた…と
書かれていた。


現代は、
他国民・他民族との接触・摩擦・共存なしでは
やって行けない時代だ。


日本人は、
自分達の特殊性(閉鎖性)を認識し、
早急に
他者と共存し得る能力を身につけないと、
世界から
取り残されてしまうだろう。


ヘタをすると、
昔、大国相手に負ける戦争を自ら仕掛けた愚行を
繰り返さないとも限らない。


日本人は、
自分達が内向き過ぎ、
世界と対等に渡り合えるコミュニケーション能力を
身につけていない事を自覚し、
早急に
対処しなければならない。


しかし、今、
日本社会は、
急速に
所得格差が進行し、
その日その日を食べて行くのがやっと、
結婚も出来ない…
という非正規労働者の層が
大量に出現しつつある。


そんな庶民は、
他国民・他民族のことなど、
まったく

視野に入らないだろう…。


日本の未来は、暗い…。


この未来を
明るく変えられる
唯一の方法は、
庶民が選挙へ行く事。


それだけだ…。









「違う者」が標的にされるというのは、
時代・地理を超えて
普遍の人間の現実だからだ。




少数者を排斥し攻撃する…というのは、
人間の本性らしい。


なぜなのだろうか?


大昔、
小集団で暮らしていた時、
外部からの侵入者は殆ど敵であり、
攻撃しなければ、
逆に、殺されていたからか…。


しかし、
現代においては
幼稚で野蛮な行為だと
私は思う。