父による洗脳・呪縛【学歴信仰】
【下らない長文です。スルーください】
父は、
幼い子ども達相手に、
しょっちゅう長々と自説を展開する人だった。
それは、まるで「演説」だった。
一番古い父の「演説」の記憶は、私が5.6歳の頃だ。
父は、上機嫌で恍惚として、こう繰り返していた。
「長男は、京都大学に入れ。
次男は、東京外語大学。
長女(私)は、奈良女子大学へ入れ。
みんな、素晴らしい大学だぞー!!」
父は、関西出身だったので、
基本的に、憧れの対象は関西の大学だった。
次男だけ東京だったのは、
3人も子どもがいるのだから、
1人位変化をつけ、東京へやるのも良い…
と、考えたのだろう。
当時、長男は、10歳位。次男が8歳位。私が就学前の5.6歳。
そんなガキ達を相手に、
そんな話を、延々と熱をこめて語り続けていたのだから、
父は、やはり、異常な「学歴狂信者」だった。
そして、この話は、何度も何度も繰り返された。
6歳の私が、
「京都大学・東京外語大学・奈良女子大学」を、
完全に記憶するほどに…。
6歳の私の頭には、
「とにかく、将来は
《父が良い大学と認める大学》へ入らなければならない。
そうでなければ、この家では、許されない」
という考えが、強く深く、刻みこまれた。
まさしく、「洗脳」だった…。
長男が中学生になると、
話は、より現実的になった。
「遠い大学へ進学させるのは、金がかかる。
貧乏な自分には無理だ。
3人とも、近くの大学へ行かせよう」
と、父は考えを変えた。
今度は、
「3人とも、地元で一番の○×大学へ進め」
という、熱い演説が繰り返された。
そういう父自身は、関西の師範学校出身だった。
最初は、関西のパッとしない私大へ進んだらしい。
しかし、父の兄の1人が戦死した。
そのため、父の母(私の祖母)が、父に
「召集されないように、師範学校へ移れ」と命じたらしい。
父は、渋々、従うしかなかった。
(その御蔭で、父には従軍経験はない。
本州で軍事訓練を受けたのみだった。)
父は元々、
普通の大学で、「学問」を研究したいという強い憧れを持っていた。
師範学校のような「実業学校」で「実学」を修めることには、
父には全く興味がなかった。
父は「実学」を、軽蔑していた。
ところが、戦争により、父の憧れは実現不能となった。
不本意な学校での不本意な勉強。
続いて、不本意な就職…。
その結果、「学問への強烈な憧れ」が、不完全燃焼のまま、
父の心の底に、大きな欲求不満として、
長い間、ブスブスとくすぶり続けたのだろう。
そして、自分の子どもが生まれると、
父は、子ども達に、
自分の夢を実現させようと計画した。
これによって、
父は、人間の道を大きく踏み外した…
と、私は思う。
その人の人生は、その人のものだ。
親のモノではない。
しかし、父は、
子どもの人生にズカズカと踏み込み、
未熟な人格を力で支配し、
自分の思い通りに、子どもを操り続けてしまった…。
まともな父親ならば、
「自分は、大学で学問研究したかったが、
悪い時代のせいで、出来ずに終わった。
もし、子どもがそういう道を望めば、応援してやりたい。
出来るだけ、大学進学出来るようにもしてやろう。
しかし、あくまで、本人次第だ。
本人が望まなければ、本人の好きなようにさせよう。
本人の人生なのだから、余計な口出しをせず、
本人が自分で選んで歩んでいくのを見守ろう」
…そう考え、子どもたちを見守るのではないか?
しかし、私の父は、違った。
まず、父は、
わざわざIQ検査を入手し、
自分の子どもたちに、それをテストした。
そして、3人全員が120以上という結果を見ると、
「是非とも、3人を、
父親である自分が自慢できるような大学へ進ませよう」と、
決意した。
そしてまず、長年にわたり、
言葉巧みに長男を洗脳し、誘導し続けた。
そして、長男に、
「学問をやることこそ、自分の生まれながらの使命」
と思い込ませることに、成功した。
父は、「長男の人生を乗っ取った」のである。
また父は、もともと強烈な「男尊女卑」の人だった。
「女は、嫁に行って、下らない家事と子育てをするだけ。
男のように、価値のある仕事は、女には出来ない。
また、すべきでもない」
という考えに凝り固まっていた。
しかし同時に、父は、非常に虚栄心の強い人間だった。
「自分の娘には、
父親である自分の優秀性を証明するために、
自分が自慢できるような、難度の高い大学へ進んで欲しい」
という欲望を、強く持った。
そして、それをそのまま、私に押し付けた。
結局、今、私が何を苦しんでいるのか…というと、
5.6歳の頃からの「洗脳」によって、
強烈な「学歴信仰」を押し付けられた結果、
「父の理想から踏み外した自分」が
「自分自身でもダメに見えてしまっている」ことだ…と思う。
父が理想とした地元№1大学=○×大学を、私の兄達は出た。
しかし私は、今や、その兄達を、心から嫌悪している。
兄2人ばかりではない。
○×大学出身者は、地元には、ゴロゴロいる。
その中には、もちろん尊敬できる方達もいる。
しかし、その逆も多い。
私が軽蔑する人たちに限って、
「自分は、○×大学出身だ」と、鼻にかけている。
笑止千万だ。
一方、大学を出ていない人達の中に、
私が心から尊敬する方は、何人もいる。
つまり、今の私は、
「学歴≠その人」だと、明確に理解している。
ところが、イザ自分の事になると、
「○×大学を受験すら出来なかった学力の低い私は、
ダメな恥ずかしい奴」と、
チラと心の底で思ってしまう私がいるのである…。
これは、やはり、
「父の期待に添えなかった私はダメな奴」
という思いが、根底にあるのかも知れない。
日本社会全体も、学校の中も、
長年に渡り、「学歴信仰」が強かったことも、
大きく影響したと思う。
それと、
長年にわたって、(今現在ですら)
母や兄が、私を侮蔑している(死んだ父も私を侮蔑していた)
という事実が、
私を
「私はやっぱりダメな奴」と思わせてしまうのかも知れない…。
もし、私の父が、
「自分のかなえられなかった夢は、あくまでも自分の夢。
子どもには子どもの夢があり、子どもの人生がある。
自分は、口出しや支配をせず、見守ろう」
そう思ってくれる人だったら … …
私の人生は、どうだったろう…。
私は、普通に父を愛し、慕えただろう。
13歳で親元を離れて、
愛に飢えた寂しい自炊生活を送ることもなく、
それによって心が荒廃して枯れることもなく、
進学校で頑張りが利かなくなり、惨めに挫折し、
それによる家族からの侮蔑を経験することもなく、
心の深く大きな傷に20数年に渡って苦しむこともなく、
普通に中高大と進み、平凡に生きただろう…。
長年、精神的に引きこもることもなく…
平凡な人生を送ったろう…。
そうすれば、
今、既に「高齢者」になったにも関わらず、
いまだに、
「自分をダメな奴だと責め続ける」苦痛もなかっただろう…。
私は、父の期待通りには、生きられなかった。
しかし、
私は私なりに、耐え忍び、もがき、頑張って生きた。
私は、父の願望通りに生きようとして、散々苦しみ、
自分の人生を犠牲にした挙げ句、
父の期待通りには生きられなかった…のだ。
それらの血みどろの奮闘努力と惨めな破局、
そして、
破局から始まった再生の長い道のりを深く理解した上で、
心からねぎらってやり、よしよしと背中を撫でてやれるのは、
やはり、今の私しかいない…のである。