長文危険・閲覧注意「自己肯定感」
~嫌われるということは、自分があるということだ。
自分を偽り、他人に迎合する事の方が悪い。~
ある方のブログに紹介されていた
「アドラー心理学」の言葉。
ここに、「私の課題」がある。
私は、幼少時代~思春期~成人後~中年期~現在に至るまで、
ずっと、親から否定されてきた。
何かする度に。
「自分の気持ち」を言ったり、自分の意志で何かをしたりする度、
「お前はダメだ!お前の個性は、タチが悪い!」と、両親から全否定されてきた。
幼少期、子にとっての親は、絶対だ。神だ。
大抵の子どもは、親の価値観に洗脳されて育つ。
私は、特に、そういうタイプだった。
いわゆる、親の言うことを良く聞く、「良い子」タイプだった。
それが良くなかった。
私は、「自分は悪い子。今のままではダメだ。今とは全く違うタイプに成らなければ」という信念を、強固に持ってしまった。
小学生の時、私が学校で書いた「将来なりたいもの」は、
「科学者」だった。
理科なんか、ニガテだったし、大嫌いだったのに…。
(担任には、バカにされた。)
そんな風に、自分を偽り、「自分でない者」にならなくてはならない…
そう、思い続けてきた。
私に無理を強いる親に従い、親の枠にはめられて生きた結果、
ボロボロに傷つき、完全に自信を失った少女時代。
社会に出る時、
私は、「もう、親には従えない・やっていけない」と感じた。
その結果、起きたことは、「親からの勘当」だった。
それから、私は社会の片隅で、1人で生きた。
いくつかの職場で働いた。
今思い起こせば、何人もの上司から賞賛を得た。
しかし、当時の私は、
「本当の私は、全くダメな人間だ。上司は本当の私を知らないだけだ」と、
強く思っていた。
何も楽しくなかった。
それでも、
「このまま、他人のお金を数えるようなことだけをして死にたくない」と思い、
結婚し、子に恵まれた。
自分が親から受けた心の傷から、息子には、
「息子を否定しない・肯定する」「進路の選択権は息子自身にある」を貫いた。
少なくとも、そうして来たつもりだ。
息子は、高校生になっても「○○ちゃん(私)と結婚したい」と言った。
私はその度に、「おかしい。これで良いはずがない」と、心中で不安だった。
今、子は「遅すぎた反抗期」を迎え、家を出て自立を始めた。
段ボールなど不要品を捨てに帰ってくる(彼にとって実家はゴミ捨て場らしい)子の表情をチラ見すると、「母親を全否定し、母親から距離を置き、母親の存在は念頭から消す」ことが、彼の至上命令となっていることが、読み取れる。
「何が何でも、親から独立する・自立する」が、
目下の彼の最大の成長課題なのだ。
それには、「母を大嫌いになる」が含まれている。
しかし、それは、絶対に必要な手段なのだろう。
けれど、私は、それにも傷ついている。
「あんなに愛したのに、かくも惨めに捨てられ、しかも、世界で一番嫌われている」…から。
「子離れが親の最後の仕事」だとは、承知している。
しかし、こんなにも「嫌われている」ことが、私を傷つけている…。
結局、「自分に自信がない」…。
煎じ詰めれば、私の問題は、そこにある。
子ども時代から、
「自分とかけ離れた立派な人間にならねばならない・そうでなければ存在を許されない」…
という強固な信念が作られてしまった。
しかし、それは、「現実」とはなり得なかった。
そこでも、私は大きな挫折感を味わった。
現実と格闘してきた末、
「今ある私」が「私」だ。
職業は、肉体的ハンディも出て来たため、転々とせざるを得なかった。
生涯のライフワークも、持ち得なかった。
ある分野では、入賞や入選も果たしたが、それとて、「一流」とはなり得なかった。
20年頑張った子育ての成果…、これもまだ出ていない。
とりあえず息子は、
「クソマジメ・頭の固い両親」を持っているとは思えないほど、「やわらかめ」のタイプとなった。
いわゆる、ミーハー。
…この要素は、「夫の妹」に、非常に似ている。
「何事も一途・こうと思ったら、ひたすらその方向に突っ走る・完全な視野狭窄で他事が目に入らない」…。
これは、私の父の特徴を、もろに引き継いだ。
「私の父」も、「夫の妹」も、私はニガテだった。
ナゼかというと、
2人とも、「自分の考えを一方的に私に押しつけるだけで、私の気持ちを完全無視する」人だったからだ…。
「エゴイスト」 …… 息子が、そうはならないことを祈るのみだ…。
息子が、以前、自分の周囲を励ますのによく使っていた言葉があった。
「自分を信じて突っ走れ!」
息子自身は、自分を信じられるのだろうか?
だとすれば、いいが…。
私の最大の不幸は、
自分を好きではない
自分を心底信じ切れない
自分を受入れ切れない
ことにある気がする …。
コロナの危機が、すぐそこに迫って来ている…。
私より若く、あんなにいつも元気印だった岡江久美子さんまでが、命を奪われた…。
「自分より大変な人は沢山いる」
「今できることをするだけ」
という言葉を、私に下さった方がおられた。
本当に、その通りだ…。
「石﨑森人」さんという、引きこもり体験者であり、不安障害も乗り越えた方が、
不安に襲われたときの乗り越え方を、動画などで教えて下さっている。
実際の体験に基づいて編み出された方法なので、非常に有効だと思う。
①不安な自分を責めない。
②不安だと口に出す。
自分が不安なのは、当然だと、認め、受入れる。
不安な理由を、すべて自分自身に詳しく解説する。
③「息をしていれば良い」と、自分への期待を激下げ する。
④自己否定しない時間を、1日30秒~5分、持つ。
⑤不安を書きまくる。
「自己否定感」が、不安の根源にあることが、ここでもうかがえる。
本来、自己肯定感は、「物心つく前に」「保護者から」「与えられて獲得する」ものらしい。
夫を見ていても、「その通りらしい…」と思える。
それがない人間は、
どうやって 自己肯定感を獲得すれば良いのか?
しかし、いざ死に直面すれば、
否が応でも、
「掛け値無しに愛すべき自分」を認め、受け入れざるを得ないだろう。
それが、もしかすると、
「死ぬことのメリット」なのかも知れない…。
とりあえず、今の私は、
過去あれだけ私の上に君臨し、
長く私を全否定してきた父と母を、
「実際は、愚かで世間知らず」
「おのれを知らなかった人たち」と、認識している。
そして、父と母も、不幸な生い立ちであり、
あまり親の愛に恵まれなかった子どもだった…
ことも理解している。
そんな2人がたまたま結婚し、
「彼らなりに」「懸命に」「幸せになろうとして」生きたことも、
理解した。
そんな父と母より、
彼らと私自身を理解している分だけ、ほんのわずかでも
私はマシな人間であるかにも思えるが、
それも、私を幸せにしない。
たぶん、
父と母と自分が、「同じ地平に立つ同じ人間だ」と思えた時、
私は、初めて幸せになれるのかも知れない…。
しかし、その境地は、
今の私には、わからないのだ…。