すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

母の猛毒・唯一コロナで助かっている事

母が昨年、
急遽、
老人ホームから退去を迫られた。




私は、
寝耳に水だった。



知識も、心の準備も、皆無だった。



そのため、
転居先の選択に
非常に迷った。



突然、
暗中模索の世界に投げ込まれ、
どの方角へ進むべきか、

全く
見当がつかなかった。




老人ホームからは、
「サッサと出て行ってくれ」と、
毎日毎日せっつかれ、

私は、
追い詰められた。






溺れる者は
藁をもつかむ思いで、
ある介護サイトに相談した。



すると、
様々な意見が寄せられた。



口々に異なる助言だった。



それを読み、
母のケースは
「迷って当然」
「出たとこ勝負しかない」ケースなのだと
私は知った。






今でも、
その介護サイトを
時々覗く。



様々な
相談・嘆き・悲鳴が
寄せられている。





最も悲惨なのは、
「認知症・暴言暴力・糞尿トラブル」、

この3つが同時多発し、
同居家族が

世話を強いられるケースだ。




それはまさしく、「この世の地獄」だ。




しかも、
それは、決して
レアケースではない。



しばしば、発生している。





長生きするほどに、
脳と身体の老化は、避けられない。



自立が
出来なくなり、
周囲の介護が
必要になる。





しかし、
同居家族にも、仕事と生活がある。





ところが、
「認知症・暴言暴力・糞尿トラブル」が
セットになって展開されると、
同居家族の
生活も
心も、
激しく破壊される。




ひとたまりもない。





その地獄の苦しみを
同居家族に強いている国が、
世界一の長寿国、
日本なのだ。






私の父母は
私を、
子ども時代から過度に否定し、過度に支配した。




そのため、私は
子ども時代も、成人後も、
長らく
不幸な生活を送った。






両親が
老いて介護が必要になったあとも、
兄たちは

遠くに逃げて、知らん顔を決め込んだ。





その結果、
近くにいる私が
1人で
両親の世話を担わざるを得なかった。




それで、
私は
更に苦しんだ。




両親は、
相変わらず、私を否定し続けていたからだ。




私は、
逃げたかったが、逃げられなかった。




そして、
心身を病んだ。






たった1つ、
両親は
良いことをした。




それは、
私が

直接介護せずとも済むだけの資金を、
彼らが
持っていたことだ。




(長兄は、
その金を遺産として
自分がまるまる貰おうとたくらみ、
私に直接
親を介護させようと考えた。
そのため、
私に
身勝手な指図をしたり、
理不尽な攻撃をし、
私を
更に苦しめた。)






もし、
両親の介護を、私が直接に担っていたら…。




私は、どうなっていたろう…??




今、
こうしてまだ
普通に生きていられたかどうか、
分からない…。




そう思う。




「地獄の沙汰も金次第」と言うのは、
こういうことなのかも知れない…。






百歳の母は、
今、
療養型病院のベッドで
寝たきりだ。





もうすぐ、
半年が経つ。






思えば、
老人ホームでも、
既に、
トイレと3度の食事以外は

ベッドで寝てばかりで、
テレビすら、

見なくなっていたようだ。





入院当初、
医師は

私に、
「いつ急変するか分からない。覚悟して下さい」と、
厳しい表情で言った。




しかし、
3ヶ月経つと、
「安定しています」と、にこやかに告げた。





入院後は、
母に
2回しか
面会出来ていない。




その後は
ずっと
面会禁止だ。




電話で
看護師さんに様子を聞くと、



「元気ですよ。
独り言を言っていますよ。
内容は、

娘さんが病気なのかも知れないとか…です」
とのこと。




私が面会に来ないのは、
コロナが理由だとは悟らず、

私の具合が悪いせいだと、
母は

思い込んでいるらしい。





本当は
「独り言」ではなく、
話し好きの母は、

看護師さんに話しかけているのだと思う。




しかし、
コロナ対策なのか、単に手間を省いているのか、
看護師さんが聞き流し、

全く相手にならないので、
「独り言」になっているのだろう。







母が
過去に
最も怖れていたのは
「寝たきり」だった。




しかし
母は、結局、
「寝たきり」になってしまった…。





母は、今、
何を思っているのだろう…。





「認知症」ではあるが、
まだまだ
家族への認識はなくしていない母…。






母の
最も近くにいるのは、
母が
最も嫌っている私だ。




母の最愛の相手、長男夫婦とは、
もう
何年も
会っていない。




特に、
長男とは、
もう何年も、
声すら
聞いていないだろう…。




母が嫌いでも好きでもなかった
東京の次男の電話や訪問が、
この数年間、
母の

唯一の慰めになっている様子だ



今も…。




一方、
様々な人生の不満・苦情・憎悪・毒を
憎々しげに、思いっ切り、
これでもかと、
噴火山のように、
まるで
母の苦痛のすべてが
私の責任であるかのように、
私に向かって
洗いざらい、吐き出すのが、
長年の
母のストレス発散の
手段だった。




そのストレス発散が出来ず、
母には
余計、ストレスが溜まっているだろう…。




しかし、
私は、
その毒を
もう浴びたくはない。





コロナによる面会禁止が
正直、
私には
とても、ありがたい。