すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

父の思い出

すずめ

わたしが小学校に入る前年の、6歳の夜だった。






狭い(たぶん、6畳間)茶の間に、

父とわたし、ほかに兄が1人か2人。



母は居なかった。




天井に裸電球(たぶん60ワット)がぶら下がり、

その1個きりの暗い光源を取り囲み、

みんなが床に座っている。



父が、集中して本を読んでいる。





床に座っていたわたしが、

何かのために、

(何の用だったか、覚えていない)

立ち上がり、移動した。







数人が狭い中にひしめき合っており、

父のすぐ前を通るしか、

通路はなかった。





後ろは通れなかった。






すると、父が

鋭く大音声で怒鳴った。




暗い!!!





通り過ぎたわたしの影が、

2秒ほど、

父の読書を妨げたのだ。



父は、本から全く顔を上げなかった。






わたしは、すくみ上がった。





今度は、元の位置に座り直す必要がある。





そして、通路は、

父の前を通るしかないのだ。






わたしは仕方なく、再び父の前を通った。





暗い!!!





父は、またも

満身に力を込めて怒鳴った。



やはり、顔は全く上げなかった。







元の位置に戻ってから、

わたしは

猛然と腹が立った。






この家と部屋は、

父が自分で選び取り、

住んでいるものだ。




わたしではない。




電球と父の間を通らなければ移動できない部屋に、

わたしを住まわせているのも、父だ。




わたしではない。




わたしが移動すれば、

2秒ほど、父の読書が妨げられるのは、

当然の成り行きだ。




わたしの責任ではない。






それなのに、なぜ、父は、

わたしを怒鳴りつけるのか? 






怒鳴りつけたければ、自分を怒鳴れ!!! 





6歳のわたしは、父を深く軽蔑した。






わたしが3、4歳の頃に、

父は自ら馬になり、

わたしを背中に乗せ、

部屋の中を四つん這いで動き回り、

わたしを喜ばせた。





その記憶は確かにあった。






しかし、わたしは、

父を嫌悪し、深く軽蔑した。





まだ

「理不尽」という言葉を知らない頃だった。








わたしが父を、更に、

深く嫌悪・軽蔑した事件は、

その後のわたしの小学生時代に

4度、起きた。






その4つの内容は、ここに書けない。






非常識すぎ、恥ずかしすぎるからだ。





父が

あまりに幼稚

・あまりに不器用

・あまりに人の気持ちが分からないために

起きたことだったが、


とにかく、

50歳前後の、

一人前の大人の所業とは思えない、

幼児的行為だった。







普段の父が、

優しく、愛すべき面を持っていたのなら、

わたしも

父を許容しただろう。





しかし、

普段の父は、「徹底的な暴君」だった。





だから、わたしは父を許せなかった。







父を許せないし、理解もできないと感じた事件は、

わたしが成人後にも起きた。







このような人と離婚せず、

長年添っている母に対しても、

わたしは、憤懣を感じ、呆れた。




しかし一方で、わたしは、ずっと、

母に同情的だった。



かわいそうな人だと思っていた。








母が80歳の時、

大腸癌で手術入院することになり、

わたしは

実家に介護保険を導入した。







最初のケアマネさんは、

わたしにこう言った。




「お父さんは、お母さんを虐待しています。」




「虐待」という耳慣れない言葉は、

わたしを驚かせた。





しかし、少し考え、

わたしは

身が熱くなるような怒りを感じた。





「虐待」というならば、

父は、母よりも、

このわたしを虐待してきた。




母など、

わたしに比べれば、まだマシな方だ……。






第一、母は、

自分の意思で、父とくっつき続け、

そのために、わたしも生まれ、


その上、

いまだに

父とくっついている。





自業自得だ。






しかし、わたしは、

自分で父を選んでいない……。





わたしなら、絶対に、

父のような異常者を選ばない!!!






もし間違ってくっついたなら、

必ず、別れる……!