真っ暗な夜がほんのりと明けかかっている。
ネットで、
精神科医の書いた記事を読んだ。
「親に愛されなかった男性の性格の特徴」。
1. 自己肯定感が低い。
2. 他者との距離がうまく取れない。
過度に依存したり、離れすぎたりする。
3. 自分の感情を表現することが苦手。
これは、男性に限らない。
この3つは、
そっくり私に当てはまる。
実に、私の特徴を捉えている。
最初に、
自分の
「自己肯定感が異常に低いこと」に、
私は気づいた。
「自己肯定感が低い」というより、
「自己肯定感がゼロ」、
「自己否定感しかなかった」状態だった。
しかし、
精神的に長く引きこもっていた私は、
世間も皆、こんなもんだろうと
誤解していた。
ところが、
世間の人々はどうやら全く違うことに、
次第に
気づかされていった。
それから、
他者との距離の取り方。
魅力的な人に出会うと、
私は、
相手の反応を見てとれず、
相手が
内心、引いているにもかかわらず、
ズカズカと乱暴に
近づいてしまう。
勝手に、
親しくなったつもりになってしまう。
ところが、
相手からは
遠く距離を置かれていたことに、
あとで、
ハッと気づく。
逆に、
向こうから
私にグングン近づいて来る人がいると、
私は
焦って退いてしまう。
「わたしは
関心を持たれるような人間じゃありません。
欠点だらけです。
恥ずかしいから、
どうか近づかないで」と
グングン下がり、
知らん顔をしてしまう。
人と、
程よい、適当な距離がとれないのだ。
そして、3つ目。
「自分がどうやら
自己感情を表現することが
とても苦手だ」ということに、
私は最近、
ようやく気づいてきた。
特に、
よく知らない相手が
私に何らかの被害を及ぼした時、
私は、
とっさに無表情を装い、
自分の正直な反応を隠す。
特に、
「すぐに怒るべき場面で、全く怒れない。
すぐに抗議すべき場面で
自分を抑え、
無言でひたすら我慢してしまう」。
それが、私の著しい特徴だ。
そして、
かなり時間が経ち、
取り返しがつかなくなった頃に、
思い返し、
怒りが
沸々と湧いて来てしまうのだ。
私は、
そんな自分の反応が、
「臆病」のせいかと、
当初は思っていた。
しかし、
理不尽な扱いを受ければ、
遠慮せずに、
すぐに抗議したり、怒る。
それが普通の反応だし、
人間の当然の権利でもある。
近頃、私は、それを
ようやく理解した。
そして、
自分が幼少期~成長期に、
自己感情(抗議や怒り)を素直に表して
自己主張すれば、
親から否定され、
こっぴどく叱られて、痛い目に遭い、
みじめに敗北したこと。
そのため、
自己感情を表に出さず、
無表情を装うよう、
自分を訓練し、
それを
しっかりと身に付けたこと。
それに気づいた。
幼少期~成長期に
血肉と化した行動パターンが、
半世紀以上経った今も、
いまだに
強力に作用し、
この私を動かしているのだ……。
人との距離を適切に保つには、
高い自己肯定感が必要だ。
「人は人。自分は自分」
「人に過度に依存する必要はない」という
信念である。
自分に自信があれば、
過度に恥ずかしがって
人から
遠ざかる必要もない。
自分の怒りを
適切に表現出来るためにも、
自己肯定感が必要だ。
「自分は、
不当に虐げられるべき人間ではない」
という
「高い誇り」が必要だ。
私は、幼少期~成長期、
家庭内カーストが最下層だった。
両親は、男尊女卑の人たちだった。
そして、我が家には、
「幼い子は可愛い」という
評価基準が存在しなかった。
「幼い子は、面倒ばかりかける厄介者」
「小さいことは悪いこと」
「年少であることは悪いこと」
という評価基準が
我が家を支配していた。
そんな我が家で、
常に一番年下、
しかも、
兄2人の下の女だった私は、
ひたすら、
「厄介者」だった。
有り体に言えば
「居なくていい存在」
いや、むしろ、
「居ないほうがいい存在」だった。
こんな育てられ方をして、
自己肯定感やら、
誇りやら、
自分の感情を大切にする意識など、
育つはずがない。
しかし、今の私は
チャレンジしている。
意識して、
自分を変えて行こう、
自分を育て直そうと
努力中だ。
生きやすくなるために。
世界が微笑んでくれていると
実感するために……。
具体的には、
親とは
「不安定な愛着関係」しか結べなかった私は、
夫に対して
「安定した愛着関係」を結ぼうとしている。
夫にとっては、大変な役回りだが、
夫は、それを
何とか、こなしてくれている。
日々の積み重ねが、
ようやく
実を結びつつある。
以前の私は、
朝目覚める度に、
「私はダメ」という
真っ暗な想念に満たされていた。
しかし、
今の私は、
「私、案外ダメじゃないかも」という、
やや明るい気持ちで
目覚める。
真っ暗で、
果てしなく長かった夜が、
ほんのりと
明けかかっている。