食器洗いの攻防
食器洗いを
夫に担当してもらうことに、
めでたく成功した。
それは、 数ヶ月前のことだった。
それまでにも、
2回、
チャレンジしたことがあった。
しかし、2回とも、
夫の抵抗に遭い、撃沈した。
しかし、
3回目の今年は、
夫の「現実処理能力」が低いために、
私が
いかに苦労させられているか……
それを
ズケズケと、
歯に衣着せず、 憶せず言った。
その結果、
夫も、
ついに論破され、
承服せざるを得なかったようだ。
この数ヶ月間、
私は
ホクホク、喜んでいた。
家事時間が、かなり平等に近づき、
「夫の奴隷」状態から、
ようやく、
ほぼ解放されたのだ。
結婚して20数年、
今が一番、
夫との関係を
良好に感じる。
ただし、
夫が洗うのは、食器だけ。
鍋その他は、私の担当。
(夫が鍋を洗うと、
鍋の内側に、
ぐるりと
汚れが残ったままになるのだ。)
しかし、それでも、
食器洗いは、
1日に3回もある。
だから、すごく助かった。
私は、明らかに
ラクになった。
……ところが、である。
カゴに積まれた
洗浄済みの食器を
私が
布巾で拭きつつ
棚に仕舞っていると、
なんと、
食器に、
ご飯粒その他の汚れが
付着したままではないか。
それが、
数回、あった。
また、
食器に
洗剤の泡が
くっついているのも、
数回、
見てしまった。
しばらくの間は、
ぐっと、
こらえた。
見て見ぬ振りをした。
自分で
チョコチョコ 洗ったり、
ゆすいだりした。
けれど、
夫の洗い方を
チラチラと
横目で観察していると、
ドンドン、雑に、
ドンドン、手抜きに
なっているではないか。
当初は、
もう少し 丁寧に、
真面目に
やっていた。
夫は、
要するに、
茶碗や皿を
グルグル回して、
まんべんなく 洗ったり、
ゆすいだりすることが
出来ていない。
スポンジでこする時は、
ずっと、
同じ箇所をこすっている。
蛇口の水で流す時は、
ずっと、
同じ箇所を流している。
先日、 私は、
ついに、
見かねて 声をかけた。
「ちょっと、
お願いがあるんだけど……」と、
低姿勢で、切り出した。
すると、夫は、
たちまち、声を尖らせた。
「何よ?
もう一回洗い直せってか?」と
即座に、
喧嘩腰で答えた。
その険しい声を聞き、
私は、
すぐに諦めた。
「いや、いいよ。
何でもない。忘れて。」
しかし、
夫の不機嫌は、直らない。
「俺のやり方で、
やらせないのか?」と
しつこく
絡んでくる。
「いやいや、忘れて、忘れて」と、
私は、
ひたすら撤退した。
いったん不機嫌になった夫に
深入りすれば、
結果は、
すさまじい大喧嘩になるのだ。
しかし、翌朝、
夫は、
「昨日の話、何よ?」と
少し
機嫌の直った声で、
聞いて来た。
それで、私は、
少しホッとしつつ、答えた。
「このボールに水を張って、
洗った食器を、
1回、
水に漬けて欲しいの。
その後で、
水で流して
ゆすいで欲しいの」と
低姿勢で
頼んだ。
夫は、
あからさまに
不機嫌になった。
しかし、それでも、
頼んだ通りに、
やってはくれた。
ところが、
一夜明けて、
今朝のことだ。
夫が洗浄して
カゴに入れた食器を、
私が
棚に仕舞おうとすると、
なんと、
またしても、
洗剤の泡が
ハッキリと
付着しているではないか。
つまり、
手抜きの夫は、
ボールに
水を満たす手間を惜しみ、
ちょっとだけ水を張り、
そこへ、
食器を漬けたらしい。
そして、相変わらず、
一部分だけを、
蛇口からの水で流したらしい。
私は、キレた。
大声を出した。
「もう、食器洗いしなくて良いわ!
私が
自分でやる!
アンタは、
難しい本を
読解することは出来るけど、
それしか、
出来ない人なんだわ!
現実処理能力が低くて、
食器洗いも
出来ない人なんだわ!」
夫は、無言だった。
カッカしつつ、
久々に、
自分で洗った。
鍋その他もなので、
なかなか、時間がかかる。
ウーン……。
つい、カッとなり、
「自分でやる」と
言ってしまったのは、
やはり、愚かだった……と、
反省した。
数時間、
2人の間に、
緊張した重苦しい空気が
立ちこめた。
私は、心の中で、
夫を
罵倒し続けていた。
そもそも、
アンタは 驚くほど、
不器用なんだわ!
結婚当初、
林檎の皮をナイフではなく、
皮むきで、
平然と剝いたよね。
私は仰天したよ。
……世の中に、
こんな不器用な人がいるんだ……と、
唖然としたよ。
しかし、アンタは、
平然としていたよね。
自分が、
「驚くほど不器用だ」という
自覚が全くないから、
平気なんだよね。
世間知らずなんだよね。
それから、アンタは、
驚くほど、
コミュニケーション能力も
低いよね。
医者を受診しても、
自分の症状を
キチンと伝えられないよね。
医者の話を聞き、
それに疑問を持っても、
質問し、
疑問点を
解決することが出来ないよね。
それから、アンタには、
同世代の対等な友人が、
いないよね。
ずっと年上の人たちと、
距離を置きつつ、
付き合ってきたのが
長年の
交際範囲だよね。
その上、
アンタは、
かなりの偏食だよね。
それを、私が苦労して、
少しずつ、
直してきたよね。
要するに、
アンタは、
「自閉症的な人」の特徴を
たくさん
持ちあわせているんだよ!
私は当初、
息子が
「自閉症的な人」なのは、
自閉症傾向が強かった
「私の父からの遺伝」なのかと
考えたよ。
でも、実は、
「アンタからの遺伝」
なのかも知れないね。
アンタは常々、
息子について、
「俺そっくりで、
俺の分身を
見ているようだ。
息子には、
何の違和感もない」と
言ってたよね。
私の父は、
自閉症的な程度が強かったため、
世間からは隔絶し、
世間とは、
全く
折り合っていなかった。
だけど、
アンタと息子は、
かなりの「変わり者」ではあるが、
一応、
世間と
折り合っているよね。
「世間の片隅」ではあるが、
世間に
「自分の席」を
持っているよね。
つまり、
2人とも、
私の父よりは、はるかに、
「自閉症傾向」が
軽度なんだよね。
アンタを、
ひと言で言えば、
現実的には「役立たず」。
「学者さんタイプ」なんだよね。
ところが、
そんな奴を、 夫として
選んだ奴がいる。
その上、更には
子の父として、
選んでしまった奴がいる。
そのアホが、
なんと、
この私自身なんだよね……。
私は、
しばらくの間、
深く絶望し、
ベッドに倒れ、
無為に
転がっていた……。
しかし、
昼食を済ませると、
私も夫も、
なぜか、
気持ちが落ち着いた。
どちらからともなく、
そっと
寄り添い合うことが
出来た。
「やっぱり、
食器洗いは、やって欲しい」と、
私は
いきなり、夫に頼んだ。
「俺も、今、
そう言おうと思ってたとこだ」と
夫は、
即答してくれた。
急転直下、話はついた。
そして、
私は、
流しに置いた
大きめのボールに
あふれんばかりに水を満たし、
夫の食器洗いに
備えた。
今は、
つかの間の
凪だ。
この先も、
油断は出来ない。
まだまだ、
戦いは続くのだろう……。