心からのいつくしみの眼差しとスキンシップ
あるブログの内容に、
深く
揺さぶられた。
男の子2人、
女の子1人を育て上げた
女性のブログだ。
お子さん3人とも、
世間的に「立派」と言われる職業に
就いておられる。
この度、
一番下のお嬢さんも
結婚され、
3人とも
自分の家庭を持った。
私が感心したのは、
このお母さんが、
「娘が生まれてから、
結婚して家を出るまで、
毎日、
かわいい、かわいいと、
心を込めて頭を撫でた」ことだ。
上の男の子2人には、
同じ事はしなかったと
思われる。
しかし、おそらく、
同じような心根をもって
育てたのだろう。
なんと、
幸せなお子さん達だろう。
幼い子が、
最も好きな相手は、
殆どの場合、「母」だ。
その母が、
毎朝、
心から
自分をいつくしんだ
眼差しとスキンシップを
くれるのだ。
こんな幸せなことはない。
無力で、
1人では何もできない幼子は、
母の
心からのいつくしみを得て、
勇気百倍になる。
自分は、今は無力だが、
愛される価値のある存在なのだ、
と、自信を持つ。
それが、
いろんなことに
前向きに
取り組む原動力になる。
母への大きな信頼は、
他者にも向けられ、
その子は、
周囲と
平和で円満な関係を
築いていくことに
成功する。
つまり、幸せに生きていけるのだ。
私の母は、
このお母さんと
真逆だった。
私の母は、
自分が生んだ直後の
私の奇形の顔を見て、
「カタワだ。
生まれるべきでない子が生まれた」と、
乳をやるかどうか、
悩んだ。
上に2人の子を育てていたので、
つい、
惰性で
乳をやっている内に、
1歳になってしまい、
同時に
脚の病気も判明し、
(その病気は、実は、
母自身の行為が原因だった)
母は
ますます、
「こんな奴、死んでしまえ」と願った。
ところが、
母の願いはかなわず、
私は
死ななかった。
私が大きくなるに従い、
母は、
「こんな奇形の顔の女の子なんて、
世間に出すのが、恥ずかしい。
将来、
結婚も無理だろう。
自分の恥だ。
どうしよう」と、
思い悩んだ。
そして、
私の顔を見つめては、
毎日、暗い顔で、
大きな溜め息をついた。
そんな私は、
「私は、ダメなんだ。
世間並みの資格が無いんだ」と
心の中で、
ドンドン
自信を失っていった。
そして、8歳の時、
両親は、
私の性格を、
「こいつは、
こいつの祖母(父の母)にソックリで、
とんでもない性悪だ」と、
私の前で
断じた。
顔も、性格も、最悪だ。
そんな烙印を押された私には、
8歳にして、
生きる意味が
わからなくなった。
ただ、ただ、苦しかった。
こんな私と、
毎朝、
「かわいいね」と
母に
頭を撫でられる子とでは、
自ずと、
人生に
格差ができる。
当然だ。
「そんな大昔の過去を、
いい年して、
いつまで、
引きずってるんだ!」
という批判は、
自分が愛されて育ち、
しかも
その幸運に
無自覚な人の口から出る。
父は、
母と違って、
異性である私を
猫かわいがりした面があった。
ところが、
父は、
比較的成績の良かった私を
自分の理想の鋳型に
嵌めようとして、
教育虐待した。
私は、
それにも、大きく傷ついた。
中2・中3と親から
遠く離れ住み、
保護者なしで
自炊生活を強いられ、
ひたすら孤立し、
絶望した私を待っていたのは、
「進学校で、
母から
大切に愛されて育った
お嬢さん達の群れ」
だった。
彼女らが
毎日話題にした
「自分の母の言動」に、
私は
大きく傷ついた。
その賢母ぶりが、
あまりにも、
私の母と
かけ離れていたからだった。
私の母は、
「無知蒙昧・低劣」そのものの人だった。
彼女たちが、
母の愛を
ほしいままにしながら
母を批判するのを
ただ黙って聞かされている私は、
自分の母を、
批判すらできなかった。
私の母は、
批判するには、
あまりにも
惨めで卑小で哀れな存在だったからだ。
何よりも、
私の母は、
彼女たちの母と違って、
少しも
娘を
愛していなかった。
私は、
彼女たちの話を聞くのに
耐えられなくなり、
進学校から落ちこぼれ、
逃げた。
そうやって成人した
私の自意識は
「私は、最低最悪なダメ人間。
まともな職には就けないし、
まともな男からは
相手にしてもらえない。
だから、
結婚してくれるのなら、
相手は誰でも良い。
その相手と結婚して、
世間から隠れ、
ひっそりと
生きていきたい」
というものだった。
そして、私は、
その考えの通りに行動した。
「誰でも良い」という基準で
決めた相手は、
実は、
「とんでもないエゴイスト」
「結婚不適格者」だった。
私は、
泥水に
頭から突っ込んで転倒し、
泥水を
したたかに飲んだ。
立ち直るのに、15年を要した。
両親から
「最悪の性格」と
烙印を押されてから、
今、
60年余が経つ。
「烙印」は、
あまりにも強烈・鮮烈、
しかも巨大で、
私の意識から、
消えてくれない。
「私」という
「人格の核」
「自意識の核心」の
大部分を、
それが
占めているのだ。
養育・教育とは、
実は、
「洗脳」なのだ。
「お前は心身ともに最低」と、
長年にわたって
両親に
洗脳され続け、
軽蔑され続けた私は、
老年になり、
既に
死が近づき始めた今も、
その洗脳から
自分を
解き放とうと、
毎日、
懸命に戦っている。
あんな洗脳さえ、
受けなければ、
こんな悪戦苦闘と無縁な、
平穏な幸せな人生を
送れていたろう……。
15.6歳の少年が、
「誰でもよかった」と、
路上で
老女を刺殺した。
「複雑な家庭環境から
逃げたかった」と
自供しているらしい。
「複雑な家庭環境」であれ、
その少年を
心から愛し、
日々、
やさしい眼差しと
スキンシップをくれる人が、
誰か1人でもいれば、
少年は、
こんな事件を起こさなかっただろう。
少年は、
おそらく、孤立していた。
のみならず、少年は、
周囲から
理不尽な精神的攻撃を受けていた。
だからこそ、
耐えきれなくなって、
追い詰められて、
反撃したのだろう。
周囲の
無理解・無援助・無情冷酷・虐待が
少年に
事件を
起こさせたのではないか。
私はそう思う。