すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

コロナで高度医療を譲る意思カード

「コロナ感染で人工呼吸器・人工心肺などの高度治療を受けている時に
機器が不足した場合には、私は若い人に高度医療を譲ります」
という意思カードを、
ある医師が発案し、作製した。



この医師は、「夫源病」などで有名な医師で、まだ60代半ば。


しかし、癌が全身に転移していると判明したそうだ。



同意者が署名して所持するというカードだが、


ネット上では、下記のような批判があった。



①これでは、まるで姥捨て山だ。


②署名し所持する人が増えたら、
   署名しない人が白眼視されるなど、悪い方向へ行く恐れアリ。


③一時は同意して署名しても、
 いざとなったら気持ちが変わるのではないか。




私が考える「死の恐怖」は、2種類ある。



①自分が存在しなくなることへの恐怖


②死ぬことが非常に苦しいのではないかという恐怖



「存在しなくなる恐怖」については、いずれ、全員が必ず体験する。


避け得ない。


だから、あきらめるしかない…だろう…。



しかし、「非常な苦しみ」については、どうか?


よく、「眠るように安らかに息を引き取った」という表現を耳にする。


また、安楽死では、
鎮静剤や睡眠薬を使用した上で心臓を止めるので苦しまない、とも聞く。


一方では、そういう「安らかな死」がある。



しかし、コロナでは、まだ40歳くらいの闘病経験者が
「インフルエンザとは全く比較にならない苦しさだった」と、証言している。


「息が出来ず、溺れるような苦しさ」という表現も読んだ




コロナでそういう呼吸困難に陥っている時に、
もし人工呼吸器を外されたら…。


あまりの苦しさに覚醒し、
もだえ苦しみつつ死ぬ可能性があるのではないか?



私は、それが怖ろしい。



そして、その時に、
「カード署名を撤回したい」と、心の底から思っても、
もう遅いのだ…。




全身癌で、どうあがいても数年の命…の場合ならば、
「遅かれ早かれ死ぬんだ…」と、深い覚悟が定まるかも知れない。



しかし、私の母のように、
81で癌を開腹手術して乗り越え、
その後も6年間、認知症の夫を最後まで世話し、

98歳の今もなお、
老人ホームで年下の人たちよりも元気な部類、という例もある。



人間、先のことは、わからない…。



年寄りだから、介護を受けているからと言って、
年下の人より、命が軽いだろうか?



いくらコロナであれ、
「年寄りは、もう、あきらめろ。とにかく年下の人に譲れ」という考えには、
無理があるのではないだろうか…??




私が、「悟りが足りないバカ」だから、そう思うのだろうか??



もしも、私がコロナで重症になり、
80代の人が人工呼吸器を使用していて、私の分が足りない時、
私は、
その80代の人の呼吸器を奪いたいと思うのだろうか ? ?




私は、
私にとっては、確かに唯一無二の存在だ。
夫にとって、唯一の妻だ。
息子にとって、唯一の母だ。



しかし、
社会的・客観的に見ればどうか?… 
と言えば、


タダの怠け者の専業主婦。

社会的には何ひとつ、為していない。

年金をもらうだけで、生産性も極めて低い。


ただそれだけの、吹けば飛ぶよな、取るに足らない存在だ。



そんな私が、
例えば、
まだ社会的にバリバリと活躍していて、日々有為な70代・80代の人が
人工呼吸器を使用している時、
その人より年下だと言うだけで、
その人から呼吸器を奪い取って使用するのか??




…「命」に優劣をつけ、優先順位をつけることは、大変に難しい。


それを、人間同士で行うことには、無理がある…。



やはり、命は、

基本的に平等であるべきではないだろうか ? ?



だから、
「旅行半額」に血税を使うより、

まず先に、「人工呼吸器備蓄」に、投資をしてほしい。



万一、秋~冬に、流行が再燃した場合に、
人工呼吸器を奪い合うような事態にならないよう、
充分に備えてほしい。



人工心肺は、かなり高額の上、
1台動かすのに10人位の熟練したスタッフが必要だそうだ。


しかし、人工呼吸器なら、そうでもなさそうだ。



アメリカから、人工呼吸器購入を押し付けられたとも聞く。


しかし、数兆円の戦闘機を買うよりは、
ずっとマシな買い物ではないか?



コロナに対し、ある程度成功している地域には、
3つの法則があるそうだ。



①備えがある

②リーダーの方針がブレない
③透明性がある



日本は、②も③も、ボロボロだ。


せめて、今のうちに、「備え」をしてほしい。