すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

本当に性格が悪いですね。【思い出】


私の父は、今存命ならば、100歳。



煎じ詰めれば、「男尊女卑」の人だった。


…「男の仕事」にこそ、最大の価値がある。


女は、男を支えるために家事をし、
男のために出産育児をする。


女がそれ以上をすることは、余計だ。


男にこそ、「人間としての価値」がある。


女は、男の「道具」だ。


…そういう考えの人だった。



母は、今、98歳。


もともと、全く無教養の上に、かなりの世間知らずだ。


父の自慢話にたぶらかされ、
父を「社会的に偉い人だ」と信じ込み、
「自分はその妻だ」という高いプライドに、

今も支えられている。


(時々、そのプライドを人前でひけらかすので、
私はその度に恥ずかしい思いをしている。)





母は、私が6歳の時からずっと、私を、
「自分の専属カウンセラー」のように利用した。


自分の愚痴を、長時間垂れ流し、
一方的に私を聞き役にしたのだ。


その愚痴の内容は、父の悪口だった。



母の価値観は、今も昔も、変わっていない。


すなわち、
「周囲と同じであることが最良。

かつ、絶対に必要なこと」。



2年前、母は、リハビリ病院に3ヶ月入院した。


その時、母が最も気を使ったのは、
周囲の患者たちと似た服装をすることだった。


「ここは、みんな、黒っぽい服を着てるから、
黒っぽい服を買って来て」と、私に命じた。



果ては、
「脱衣場で見たら、みんな、グレーのパンツをはいてるから、
グレーのパンツを買って来て」とも
大真面目に命じて来た。



それを聞いて、私は、さすがに不審を感じた。



一体、母の言う「みんな」とは、
何人を指すのだろう?と、注意深く観察した。


すると、母は「2人」、それでもう「みんな」と称する…と、
わかったのだった。




…わが両親は、こんな程度の人間だ…。


私は、彼らより、30数歳、若いだけ。


しかも、幼い頃から、彼らに洗脳され、彼らの価値観だけを植え付けられて成人した。


(両親は、親戚とも友人とも交際しなかったため、
私には、両親と教師以外の大人と接する機会が
ほとんどなかった。)





そんな私が、まともな人間に成れる筈がない…。


私の心の底には、今も、そういう考えが根深く巣くっている…。




父は、75歳からアルツハイマーの症状が出始めた。


それまでは、人を見れば自分の考えを一方的に長々と喋りまくる人だった。


しかし、記憶力がダメになってからは、
喋れなくなり、無口になった。
(それで、私は、かなりホッとした。)




私が最後に聞いた父の長広舌は、
父が最晩年に通った、デイケアの施設長との会話だった。


そのデイケアは、精神科クリニックに併設されており、
施設長は、その精神科の院長だった。




デイケアに参加する前に、その院長との「面接」があった。


私は、家族として、父に付き添った。





院長は、容貌魁偉な50才位の男性だった。


父は、院長のすぐ前の椅子にかけるなり、
初対面の院長に対抗意識を燃やしたのか、

いきなり、自分の自慢話を懸命に語り始めた。


呆けているため、もう、十分な説明能力はなかった。


しかし、父は、ありったけの持てる力を振り絞り、
如何に自分が優秀で有能で抜きん出た素晴らしい人間か…を、

時間をかけて長々と力説した。



現実は、何処から見ても、
正真正銘の「ボケボケ・ヨレヨレの老人」だったのだが…。



その父の姿は、まるで、
羽根の抜け切ったみすぼらしい1羽のカラスが、
精一杯着飾ろうとして、ありとあらゆる鳥の羽を拾い集め、自分の身体に突き刺し、
恥ずかしげもなく、見せびらかしているかのようだった…。



私は、仰天したが、黙って見ているほかなかった…。




面接が終わり、父と待合室に戻ってから、
私だけが診察室に呼ばれた。



院長は、私をまっすぐに見て、いきなり明確に、こう言った。


「お父さんは、本当に、性格が悪いですね。」



私は、思わず下を向いて、自分の膝を見た。


そして、心の中で叫んだ。



…ああ、よくぞ、おっしゃって下さいました!
そのとおりです!…




我が家の中では、父の権力と威光は絶大だった。



父に批判的なのは、ただ1人、私だけであり、
私は孤立していた…。



(私については、
「親は全く悪くない、全て私が悪い」、「私は超問題児、家の恥」、「親は、私の被害者」という
父の強烈なレッテル貼りに、私の家族は長年、全員同調していた…。)




私は、面接の一部始終を録音して持ち帰り
父に盲従している母や兄に、そのまま聞かせたかった…。


けれど無論、それは出来なかった。


それで後から、母と兄に、全てを話して聞かせた。


しかし、私が伝えたかったことは、
結局、何も、彼らには理解してもらえなかった…。



彼らは、それ程までに、
父に盲従し、父を盲信していたのだった…。