ささやかなこの生を愛す~漱石を読んで【長文】
退屈し、ふと、夫の電子辞書に内蔵されている文学作品を読んだ。
夏目漱石の「硝子戸の中」。
この作品は、たしか、10代の終わりか、20代はじめ頃に手に取ったものの、
当時の私には、まるでつまらなく、
わずか数ページで投げ出した、苦い記憶がある。
しかし、今回は、フムフムと興味を持って、読了出来た。
そして初めて、生身の漱石の誠実な肉声に、触れ得た気がした。
40年以上の長い時間を生きて、ようやく私は、
この作品の価値を理解し得たのだろうか…。
…とすると、
この40数年の歳月は、ムダではなかったのだ…
生きて来た意味はあったのだ…
と、思えた…。
調べて見ると、
「硝子戸の中」は、漱石48歳、死の前年に書かれた作品だった。
当時の漱石は、胃病のため、1年のうち1ヶ月は、床に就いて患っていた…とも、「硝子戸の中」には書かれている。
そして、漱石は、既に故人となった幾人もの人々の思い出を遡っているが、
その筆致は、「遠からず自分も彼らの仲間入りをするだろう」という予感に満ちている。
48歳は、今の私より、はるかに若い。
けれど、漱石は、私よりもはるかに人として成熟し、生と死を、正面から見つめ、考えている。
既に病を、自分の死病として受け止めていたのかも知れない。
自身の実母のことを、
「うち中で一番自分を可愛がってくれたものは母だ」と言い切っている部分があった。
私はそれを読み、「良かった…」と、
漱石のささやかな、しかし確かな幸福を寿ぐ気持ちになった。
(その実母とも、彼は13.4歳で死別してしまう…。)
また、
「たとえ、戦場で周囲がバタバタと死んで行っても、人間は、自分だけは死なないと思っている…」
というような内容があった。
…そうなのだ。
人間は、「自分だけは死なない」と、思い込みたいものなのだ。
もし、「自分が、今日にも死ぬかも知れない」という恐怖が強烈に続けば、
人間の精神は、やられてしまうだろう…。
だから、「自分だけは死なない」と思っていることが、
人間を健全に保つ、健全な方法なのだろう…。
(しかし、あまりにも理知的な漱石の頭脳は、決してそれを良しとしてはいないようにも読み取れた。)
そんな読後感をあれこれ考えている時、
フッと突然に、
「人間が生きる目的は、生きること」
という考えが、
私の頭に浮かんだ。
…7.8歳の子ども時分から、私は、
「人間は、何のために、生きるのか?
人間は、ナゼ、生きるのか?」
がわからず、答を探し求めていた。
しかし、どうしても見つからず、モヤモヤし続けていた。
そして、中年になって以降は、もう答は見つからないもの…と、諦めて来た。
しかし、感染症でバタバタと人が死ぬ厳しい時代が、突如到来した今、
不意に、私の頭に、
「人間の生は、生そのものが目的」
という考えが、降ってわいた…。
どんな人間も、死を恐れる。
死を自ら願望するのは、過酷なストレス・不安・鬱などで、精神が痛めつけられ、苦しみ、衰弱しきった時。
しかも、その時すら、
「生きられるものなら、本当は生きたい」と心底では願っている…
と聞く。
昔、学校で、何の教科だったかは思い出せないが、
動物の2大本能は、「個体保存本能・種の保存本能」である…
と習ったことを思い出した。
確かに、人間は、「自己保存」のために、必ず食べ、必ず眠る。
ウチの夫のように、
「オレは、食べるために生きている」
と言ってはばからない人は、少ないだろう。
しかし、私自身も、
「生きるために食べているのか?
食べるために生きているのか?」は、
明確には断定できない。
それから、少子化となった今も、
自分の子を生み、育てる人は多い。
そして、子どものために、いろいろな苦労を背負い込む。
しかし、それでも、子を一人前に育て上げるために、必死に自己犠牲的に頑張る人は多い。
私と夫も、その1人だった…。
(それが、成功したか否かは、まだ不明だが…)
そんなあれこれを考えているうちに、私は、
…人間は、生きること自体が目的。
どんな命も、同じ。
自分の命を大切に、自分らしく生きていれば、もう それだけで良い。
人と比べることは、意味がない。
その人の人生は、その人のものだから。
…という考えを、突然に得た。
今、死を恐怖している自分も、
生き物として当然の反応をしている…のだ。
けれど、ビクビクし過ぎて、「今」を楽しめないのならば、
それは「本末転倒」だ、
とも思う。
いずれにせよ、私は、数日後に、「老人」の仲間入りをする。
持ち時間は、確実に減って来ている。
まずは、
自分が自己隔離しうる、とても恵まれた境遇であることを、
その幸運を、
有り難く感謝する。
そして、
他人の命と生活を守るために自らを危険にさらしつつ、
今この瞬間も、厳しい仕事に立ち向かって下さっている数多の方々に、
心からの感謝を捧げ、その方々のご無事を祈る。
この2つを、いつでも、忘れない。
その上で、
自分にゆるされた、ささやかな幸せを、
日々、大切に、ひとつひとつ味わって生きたい…。
その果てに、確実に死は来る。
それは、受入れるしか、道がない。
……それまでは、
この、ささやかな自分の生を、
ささやかに、愛していよう……。
※ 漱石が死んだのは、104年前。
「スペイン風邪」が流行する2年前だ。
もし、彼がスペイン風邪流行を経験していたなら、
どんな著作を残していただろう…。
どんなに示唆に富んだ言葉を、私たちに残してくれていただろう…。