すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

夫への不満

「私は損をしている。」



「バカらしい。」





最近
ずっと、
そんな虚しい思いが続き、モヤモヤしている。





私が1人で
あくせく働いている間、
夫は

うたた寝しつつ、
のんびりとテレビを見ている。



または、自分の勉学に勤しんでいる。






夫も、時々は働く。




しかし、
それは大部分、
自分のための仕事だ。



私と夫、2人の共通の課題に取り組んでいるのは、
彼の作業のうち、

わずかだ。






一方、
私の作業の大部分は、私個人のためではない。


夫と2人のための作業だ。





2人分の食事作り、後片付け、
その他

もろもろ… …。





3食を作り、片付ける時間だけでも、
1日2時間以上かかっている。




月に60時間だ。




それ以外の家事労働を足せば、
一体、
月に何時間になるだろう?






夫はどうか。




彼の担当として、
ハッキリ決めてある家事は、週に2時間程度だ。



月に10時間に満たない。






つまり、少なくとも、
私は、
夫の数倍~10倍の時間を
家事に
費やしているのだ。







本当は、
もっと
私の担当を減らし、
夫の家事労働を増やしたい。






しかし、
夫の家事は、
いい加減で手抜きな事が多い。






それを指摘し
改善させようとすれば、
夫は

たちまち不機嫌になり、怒り出す。


キレて、激しくわめく。





その上、
結局、
改善されないままで終わることも多い。







夫は、性格がだらしない。



加えて、「超・不器用」なのだ…。






逆ギレされ、
口汚く怒鳴られ、
不愉快な思いをし、


その挙句、
何も改善しないのなら、


いっそ、
最初から全部、

黙って
自分で担った方がラクだ…。





そんな気がして、
結局、

私1人で、
あれもこれも抱え込んでいる。





つくづく、
夫は、「現実的に無能な人物」だ…と思う。





彼が
1人でやった作業を見ると、
最終的に

私が手直ししなければならない事が多い。


多過ぎる。





どうみても、12、3歳の男子、
それも

無能な男子がやった作業なのだ。





単に、何かをゴミとして捨てる。


それだけを取って見ても、そうなのだ…。







あーあ… … …。




結婚当時は、
ここまで無能な人物とは思っていなかった…。



夫を買いかぶっていた。






なぜ、
私が

こんな人と結婚してしまったか… …。





それは、明白だ。






「現実的に無能な人」という点で、
夫は、

私の父に
よく似ているのだ。







私が成人するまで、
私が
その日常生活をよく知る成人男性は、
父1人だった。





両親が、誰とも
交際していなかったためである。






そして成人後は、
私は
「精神的引きこもり」になり、
殆ど

誰とも付き合わずに、長く暮らしてしまった。





その結果、
世間の

普通の成人男性が
どんな日常生活を送っているのか、
無知なままに過ごしてしまった。






そして、
夫と初めて出会った時、
私は、


「長年慣れ親しんだ、よく知っている空気」、
「妙に落ち着く感じ」を

感じた。






夫を
結婚相手に選んだのは、
その無意識のうちに感じとった「雰囲気」、



それこそが、
真の動機だった… …。


今にして、そう思う。






要するに、
夫は、
「父によく似たタイプ」なのだ。





何が似ているかと言うと、
「現実的には無能な人」という点なのだ。






しかし、
昔の私は、
それに

気づいていなかった。





むしろ、
「父よりはずっとマシな人」だと、

夫を見ていた。





それは
確かに、事実でもあった。






しかし、
今思えば、
比較の対象が酷すぎた。



それだけだった。







私の父は、


第1に、「常識に欠ける人」。



第2に、「超・不器用」。



第3に、
(これが致命的な欠陥だったが)


「家族に対する思いやりが全くない人」


「完璧なエゴイスト」だった。






すなわち、
父は、
「絶対に、結婚相手や家族を幸せにしない男」


=「欠陥人間」


=「結婚不適格者」だった。






父を5段階で評価すれば、
明確に、
最悪の「1」だった。





いや、
「1」でも、まだ甘い。


「マイナス」が、正しい評価だろう。






夫は、父ほどヒドくない。


5段階評価で言えば、「2」だ。





父ほどは悪くない。



しかし、
「人並み」とは、到底言えない。






けれど、
昔の私には
夫は、

「父よりずっとマシ」な人だった。






それだけで、
当時の私には、
「合格点」だったのである。






そして、
常識に乏しく、

不器用で、
結構自分勝手で思いやりが少ない夫に、


今、
私は
苦労させられている…。







今、
私が
夫に求めているものは
何か?






それは、
話をしていて面白い事だ。





それがあれば、
多少
苦労させられても、ガマン出来ると思う。






2、3年前まで、
その点で、夫は
合格点だった。






ところが、
最近、
それが
急速に
変わってしまった。





夫が変わったのではない。




私が変わったのだと思う。






夫の話を隅々まで聞き、
検討し、


夫の考え方を
「浅薄だ」とか、「世間知らずだ」とか、
私は、
内心で酷評し、幻滅する。






2、3年前までは、そんな事はなかった。






確かに
夫は、
現役をリタイアしてから、

昔の思い出話が多くなった。



生き生きとした、
現在進行形の話題が激減した。





しかし、
私が

夫の話を
「つまらない」と思うのは、
それが
理由ではない。






ある出来事に対する、
夫の解釈や感想を、
「浅薄だ」とか、「世間知らずだ」とか、
思ってしまうのだ。







ああ、もっと面白い話が出来る人を
夫に持ちたかった… …。






そして、
私が話す、私の一番言いたい事を、


もっと
しっかりと受け止め、
深く理解してくれる人を
夫に持ちたかった… …。








アルコール依存症を父に持つ娘は、
たくさんの男性の中から、

すぐに、
アルコール依存症の男を見つけ出し、
結婚相手として

選んでしまうそうだ。





私が、
父によく似た「現実処理能力の低い男」を
結婚相手に選んだのも、
きっと、

同じ仕組みなのだろう…。





本当に、
「生育環境」というものは、
大きな影響を
及ぼす… …。







※※
2、3年前、
夫に、
各部屋の大がかりな片付けの手伝いを頼んだ時、


私の取った作戦は、
「夫に感謝し、

夫を持ち上げてモチベーションを上げる」
作戦だった。






ところが、
夫に
作業をやらせてみると、


その技術の稚拙さと、
あまりの計画性のなさに、
私は

内心、
非常に呆れた。






しかし、
ケチを付けては喧嘩になると私は思い、
不満をこらえ、
ひたすら

夫に
感謝を述べた。





すると、
夫は、


ドンドン図に乗り、
尊大になり、
居丈高になり、
私に

マウンティングしまくった。






ふと気がつくと、
私は

不眠になり、
動悸に襲われ、
すっかり

体調を崩していた。






それ以来、
私は、
夫に感謝を述べることは、
控えめにしている。