すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

夫婦墓

両親は、
父が死ぬ2.3年前から
「二人だけで入る小さいお墓が欲しい」と、
私に

真剣に頼んで来た。





今から
17、8年前の事だ。





私は困惑し、
どうすることも出来ずに放置した。






父は、若かった頃、
私たち子ども3人に向かって、


「オレは、墓なんか要らん!
オレが死んだら、
骨は

山の上からパーッと撒いてくれ!」と


酒を飲みながら、
上機嫌で言い放つ事が

何度もあった。







老いてボケた父の依頼は、
その昔とは、

全く話が違っていた。






しかし、
母と2人で話し合った結果、
私に依頼しようと決め、
頼んできた父の様子は、真剣そのものだった。






老いさらばえ、
ボケて無力になった人の真剣な頼みを、


「今頃、何言ってるのさ?
若い頃と、話が違うじゃん」と


責めたり、却下することは、
私には

出来なかった。






ただ、私は、
人間は、老いれば変わるのだな…と
思い知らされ、

深く
衝撃を受けた。







その後、2.3年経って、
父が死んだ。



そして、骨になった。





母は、
父の骨の前に、
呆然と下を向いて座り込んだまま、
殆ど動かなくなった。





私は、
その母を

放置するわけには行かなかった。




お骨を何とかしなくては、
母は、
このまま座り込んだままだろう……と


私は
考えた。





母に確認すると、
やはり、
「2人だけで入る小さいお墓がほしい」と言う。






私は必死になって、
母の希望をかなえる墓を探した。






苦労が実り、
希望通りの墓が見つかった。






そして母と見学し、
母も同意して購入したのが、
「夫婦墓」だった。







価格は55万円。



その小さな墓に入れるのは、夫婦2人だけ。



「永代供養付き」。


夫婦墓が50ほど並ぶ区画の前に、供養台があり、
そこで、

定期的に読経や供花が行なわれるらしい。




「永代」と言っても、30年がメドだろう。




その後は、集団埋葬されるのだろうが、
それで十分だと、私は思った。





しかも、
墓の場所は、

気持ちの良い、広大な丘陵地帯。





父が好んだ
大自然の山懐に抱かれるような環境だ。




四季折々の風が吹きわたり、
鳥たちが自由に鳴き交わす。





…良い墓だ…。


私は、そう思った。








購入予定を、二人の兄に知らせた。





次兄は、
いつものように
「了解」とのみ、言って来た。





ところが、長兄は違った。





「墓なんか要らない。


そんなの無駄遣いだ。


骨なんか、家に置いておけば良いんだ。



お母さんは
頭が良い人なんだから、
説明すれば分かる人だ。



説明しないのは、妹、お前が悪い。



しかし、
購入を決めてしまったなら仕方がない。



ただし、契約は、妹はやるな。


ビジネスマンであり、
契約に慣れている次兄にやってもらえ」と、



私を
一方的に激しくなじるメールが来た。






… … …



骨を当座、家に置くのは良い。


しかし、母の死後は、どうするのか?


母も、90歳近いのだ。


遠からず、キチンと始末が必要だ。



それをやるのは、
遠方にいて知らん顔をしている兄たちではなく、
私だろう。



川や山に
捨てるわけには行かない。



無縁仏として
市に始末して貰う事も出来ない。


子どもたちは居るし、孫も居るのだ。



とすれば、
本人たちの希望通りの墓に入って貰うのが
妥当だろう。



金は、本人たちが出すのだ。



子どもたちがとやかく口出しする事ではない。



私は、そう思う。



もし、長兄が
無駄遣いだという強い考えを
どうしても持つならば、
長兄が
自分で
母を説得すべきだろう。



なぜ、それをしないのか?



もし、母が
墓は無用だと了承したのなら、
長兄が

最後まで責任を持って、
自分で
骨の始末をすべきだろう。




自分は遠くにいて、
実際には
何一つしないくせに、
何をエラそうに

人に指図するのか?



なぜ、私が、
墓は無用だと

母を説得しなくてはならないのか??




… … …





私は、そう思った。






しかし、
長兄のタワゴトに付き合っているヒマは
当時の私にはなかった。





私には、子どもと家庭があった。






その上、
座り込んだまま動かない母の世話をするため、
足繁く

実家に通う必要もあった。






私は、
「長兄は、

契約は次兄がやれと言っているが、
どうするか?」と
次兄に


メールで尋ねた。




「そんな必要はない。
そちらでやってくれ」と
返事が来た。






その後、
しばらく経ってから、
長兄の真意が知れた





「骨は、焼き場で拾わなければ、
市が拾ってくれる。
自分たち夫婦は
そうするつもりだ」と、
彼は
言ったのだ。




確かに、
市に「無縁仏」として集団埋葬してもらうのなら、
墓の用意は要らない。





しかし、両親にもそうして欲しかったのなら、
火葬する前に、
そう申し出るべきだったろう。






それに、
「骨を拾わなければ市が拾ってくれる」というのは、
自治体によるらしい。



100%、そうだとも限らないらしい。






私の考えは、
「本人たちの意志を尊重すべき」だ。



本人たちではなく、子どもたちが金を出すのなら、
みんなで話し合って決めても良い。



しかし、この場合は、
本人たちが「小さい墓に入りたいから買う」と
ハッキリ言っているのだ。



「無駄遣い」と非難するが、本人たちの金だ。



なぜ、長兄は、
人のサイフに手を突っ込むような事を言うのか?





長兄夫婦は、46歳まで働かず、
各自が
親の金で生活した。



だから、金がなく貧乏だ。



墓に回す資金はないのだろう。



自分らが無縁仏になりたいのなら、そうすれば良い。




しかし、
両親は、普通の生活者だった。




長男を46歳まで年金で養わなければ、
もっと預金も残った筈だが、
とりあえず、

安い墓を買う金は持っている。




その2人が、
わずか55万円の墓を買おうとするのに、
なぜ、

長男が文句を言うのか?





両親の金は、両親のものであり、
長男のものではない。





しかも、なぜ、
自分の口で
母を説得せず、


母の意志に従っただけの私を
非難攻撃するのか??




長年、
孝行息子として、
一身に親の愛を集め、



しかし、
いざとなると、
親を完全に捨て




親の面倒を
すべて
私に丸投げして
知らん顔を決め込んだ長兄。





彼に、
私を非難攻撃する権利など、
あるのか?









長兄の思考と言動の異常さ・狂気は、
既に
この頃に、
明確に表われていたのだった……。