すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

「在宅ひとり死のススメ」

※昨夜、
間違えて3/24付で投稿してしまったため、
本日付で、再度投稿します。





「在宅ひとり死のススメ」(上野千鶴子)を読んだ。



今年1月発行の本なので、
あまりネタバレしてはいけないのかも知れないが、

備忘録として、
私が驚いた2点を書いておきたい。



~ ~ ~ ~ ~



①大阪府のある耳鼻科医による、
500人近くの高齢者に対する調査の結果。


・生活満足度は、同居高齢者よりも独居高齢者の方が高い。


・2人世帯の場合、夫よりも妻の生活満足度は更に低い。


・老後の生活満足度は、
慣れた土地で、
信頼のおける友(親戚)がいて、
自由気ままに独居して暮らせれば、
高くなる。




②政府が介護保険を改悪しようと企図している。


・要介護1・2を介護保険から外す。


・生活援助を外し、身体介護に限定する。


・ケアプラン作成を有料化して利用の敷居を高くする。




~ ~ ~ ~ ~



①の「同居高齢者の生活満足度が低い」については、
確かに私自身、
夫との2人暮らしにストレスがないと言うと嘘になる。



最大の原因は、
やはり家事負担が、私>夫だからだろう。



私が3食を用意している。


これが大きい。



何かに熱中したくても、食事準備が邪魔をする時。


多忙で食事準備が遅れ、空腹の時。


食事準備するには疲れ過ぎている時。



そんな時、
座ってボーッとテレビを見ている夫を見ると、
私はイラッとする。




夫は、料理が全く出来ないわけではない。


しかし、
彼の作れるメニューを聞くと、私には食欲が湧かない。


「それだったら、自分で、もっとマシな物を作って食べたい」と
思ってしまう。




そして、私は、こうも思う。


「もし、1人暮らしだったら、
怠け者の私は食事準備にもっと手を抜くだろう。


栄養も偏るかも知れない。



夫のためにも準備することで、
何とか食事らしい食事が出来ている。


つまり、
私が自堕落にならずに済んでいるのは、夫の御蔭とも言える。」






しかし、夫への不満は、
この食事準備だけではない。




例えば、住まい。




夫が死蔵している大量の本により、
我が家は、
広い1室が丸々ムダに占拠されている。



この大量のムダな本さえなければ、
こんなに広い家に住む必要はなかった。




つまり、
家の購入費・維持費は、
もっと大幅に安く上げられた筈だ。




そして、
それを老後資金に充てられた筈だ。



そうすれば、
もっと自由気ままに好きな事が出来ていただろう…。




そもそも、読みもしない大量の本の購入費自体が、
実に、
無益なムダ遣い・浪費そのものだった…。




大量の本を死蔵しつつ、
毎日ボーッとテレビやビデオばかり見ている夫を、
私は、

心底憎く思う時がある。





しかし、離婚する金もないので、
その件については、
ひたすら目をつぶり忘れようとしているだけだ。





また、この本を読むまで、
私は、
もしも、夫が先に旅立ってしまったら、
寂しがり屋の自分は耐えられないかも…と
思っていた。




しかし、
①の調査結果を知り、
「自由気ままな1人暮らしは、
想像以上に、ストレスフリーで楽しいのだな…」と

理解した。





しかし、
私の母のように、
87歳という高齢で夫を亡くし、
その後すぐに半呆けになり、

身体も不自由になったケースもある。




それでは、「おひとりさま」を楽しむ余地がない。




「おひとりさま」を楽しむためには、
知力・体力がまだ残存している時期であることが必要だろう。




しかし、
「おひとりさまに、いつなるか」は、「神のみぞ知る」…。





それから、私は、
「結婚生活は修行」だと考えている。




夫という人間とパートナーを組んで生きて来たことにより、
ずいぶん、
学んだ事も多かった…。



大抵は、
不愉快と苦痛を伴う、苦い学習だったが…。




しかし、それが、
「人間」について、
私に、深く考えさせた事は事実だ。





もし、ずっと独身だったら…。



私は、
今より更に世間知らずで、人間について無知だっただろう。





世間知らずで無知でも、
楽しく生きている人も沢山いるのだろうが…。







②の介護保険改悪については、
今の政権のままでは、私の老後も危うい…と思った。






コロナ禍で露わになった事の中に、以下の事実がある。



(2021.4.24付・毎日新聞書評
「日本の医療崩壊をくい止める」本田宏、和田秀子著より)



~ ~ ~ ~ ~



日本のコロナ感染者は欧米に比し、1~2桁少ない。


それなのに、なぜ全国で医療崩壊寸前なのか…


その理由は、


・日本の人口1,000人当たりの医師数は、G7の中で最少。
  (最多のドイツの6割)


・感染症専門医・集中治療専門医も不足している。




にもかかわらず、
国は今も、医師・医学部定員削減を進めている。




1980年代に厚生省の幹部が「医療費亡国論」を唱え、
それ以来、
日本の政治は

「人命より財政」を重んじて来た…。




~ ~ ~ ~ ~





「命より金」…。





要するに、この国の政権には、
「国民の命と健康」を守る考えは、少しもないのである。





コロナ禍のさなか、
GOTOを強行し、

更には五輪を強行しようとする姿勢に、
それは明確に現れている。





政権がPCR検査を抑制し、
ワクチン入手も遅れている事を、
「政権は無能」と批判する人がいる。




しかし、私は、「政権は無能」とは思わない。




政権は無能なのではなく、
「国民の命と健康を守る意志がない」
それだけだ、と私は思っている。





真に無能ならば、
「自民党本部で、自民党員はPCR検査受け放題」
「自民党代議士が感染したらVIP待遇で即入院」なども
実現していないだろう。




しかし彼らは、
自分らの利益だけは、有能に、しっかりと確保している。





彼らは、無能なのではない。


一般国民を守る気がない。


それだけだ。





彼らと、富裕層は、


自分たちは貴族
一般国民は、奴隷・家畜


…そう考えているのだ…。





奴隷・家畜の命など、真剣に守る必要はない。



「守ります」と、
口先だけで言っていれば、それで良いのだ。




しかし、庶民は、
「政治は国民のためのもの」と、お人好しにも信じ込んでいる。



だから、政権を無能呼ばわりする。




私から見れば、「政権は確信犯」である。


意図的である。





だからこそ、
要介護1・2までも、

介護保険から除外しようと企んでいるのだ。





介護付き老人ホームで、
着替えと洗面以外、

何から何まで、
人の手を借りなくては生きて行けない99歳の私の母でさえ、
「要介護1」という軽度の介護認定である。




万一、母が介護保険から外され、
介護費用が
自費と
有償ボランティア頼みになったら…。




その時、
母の人生と、私の人生は破壊される…。





母が生きている間にそれが実現しなくても、
私が要介護になる時代に、もしも、実現したら…。




それを想像すると、私は、戦慄する…。





これは
今、大阪で
大量の市民が「自宅療養」を強いられ、
容体悪化し救急車を呼んでも入院出来ずにいる現実と

同様の成り行きである。




「政治による意図的な市民虐待」だ。





今まで、私は、「日本は良い国」と思ってきた。



しかし、それは間違いだった。





今の日本の政権は、冷酷だ。


怖ろしい。


庶民の敵だ。


私は、心底、そう思う。