すずめの歌

夫と2人暮らしの日々

母は私を「自分の子」と認めていない。

【長文】



★母が私に下してきた評価★


  1.   男より劣る。その上、女らしい性格に欠ける=不可
  2.   不可(カタワだから人前に出せない)
  3. 身体 不可(先天性の病気になって母に苦労させたから、カ タワと同じ)
  4. 性格 不可(夫の母に似て最悪)
  5. 頭脳 無関心のため評価なし=父に任せっぱなし




★父が私に下してきた評価★


  1.   男より劣る(女は、一人前の人間ではない)=不可
  2.   無関心のため評価なし
  3. 身体 無関心のため評価なし
  4. 性格 不可(自分の母に似て最悪)
  5. 頭脳 可(「女だから将来職業を持たない」という理由で基本的に無関心。父は「女は外で働くべきでない」と主張していた。理由は、子どもを放置してしまうからダメだ。)






両親が
過去に私に下して来た評価(優・良・可・不可)を、
一覧表にしてみた。




なんと、ひどい成績表だろう…。





不可ばかりで、可が1つ…。



優も良も、ない。





しかも、
これを心中に留め置くのではなく、
幼い頃からずっと、堂々と本人に知らしめていたとは…。





たとえば、私が
こんな成績を私の息子につけ、
しかも、
それを本人に悟らせていたとしたら…



息子は、
どんな人間に育っただろうか…。




…怖ろしい…。






これは、
あまりにむごい成績表だ。




こんな成績表を両親から渡され続け、
それでもその子が
まともにスクスクと育ったとしたら、



それは、奇跡だろう…。





しかし、
こんな成績表を長年渡され続けていたのが、
私自身なのだ…。







私の子ども時代の数少ない写真を見ると、
今の私は驚く。





そこには、
あまりにも、哀れな表情の少女がいるからだ。






まず目につくのは、「あまりの自信のなさ」。


オドオドビクビクが歴然と見える。



次に「カラッポな自己」。


まともな「自分」が育っておらず、うつろだ。



そして、
長じるにつれ、
あからさまに「不幸な」顔つきになって行く…。






とにかく、
こんな成績表によく耐えて、生きて来た…。




これでは、
生きるのが、本当に辛かったよね…。




私は、私に同情する…。






たった1つの「可」は、
父による、私の「頭脳」評価だ。





父は、
私が中1の時に、

私を翌年に転校させて自炊させ、進学校に進ませる…と
決めた。


つまりは、
私の成績が進学校に入れる成績だと判断したのだ。


しかし父は、
私の成績について、私に
プラス評価を告げた事や賞めた事は、1度もない。



そもそも、なぜ父は、
私の成績が良かった事を知っているのだろう?
と思うほど、
父は

私に、完全に無関心だった。



しかし、
進学校へ入れようと決めたのだから、
私の成績が良かったと、知っていたのだな…と、
私は、今にして思うのだ。



つまりは、父は
「不可」をつけたのではなく、
「可」をつけたのだろうと、
私は思うのである。







長兄には、両親は、
素晴らしい成績をつけていた。




まず、男だから、優。



性格・頭脳ともに、優。



ただの優ではない。特優だ。



顔・身体は、おそらく良。



あるいは、やはり優だったか。






次兄は、どうか。



やはり、男だから、優。



その他は、良または、可か。



父は、
高校~大学時代の次兄に、
「素晴らしい身体をしているなあ!」と
何度も

褒めそやしていた事があった。


だから、
身体は優だろう。




いずれにしろ、
私ほど、ヒドイ成績表ではない。






結局、
こんなひどい成績表をつけていた、
そして、本人にそれを冷酷に知らしめていた…

という事は、


両親は、
私を愛していなかったのだなあ…



…それが、改めて解る。






やっぱり、
「いらない子」

「いない方が良かった子」だった…のだなあ…。






父にとって、関心があったのは、
「父が自慢出来る学校に通っているかどうか」
その1点のみ…だった。





その他は、完全に無関心だった。





父は、自分にしか、関心がない人だった。







母にとっては、
蔑視と憎悪の対象。



醜悪なゴミ。




それが
私だった。




母は、
私には無関心でいたかった。



出来れば、
視界に入れたくなかった。






2人とも、
「長男が優秀」という幸福感に、

夢中に酔い痴れていた。



常に
長男を褒めそやしていた。





(しかし、父は、長男を愛していたのではない。


自分の飾りとして有用だったから、
褒めそやし、


更に利用出来そうだったから、
夢中になったに過ぎない。



母は、
父に虐げられ、絶望していた。


その母の暗い生活の中、
唯一の明るい幸福の光が、長男だった。)







それなのに、
子どもの私は、
両親に気に入られようと、必死になっていた…。




それは、
子どもとして必然の努力だった。




しかし、
完全にムダだった。




両親は、
愛する能力に欠けた人達だったのだ…。




そんな人達から愛されようとしても、
それは、
「ないものねだり」だった。






そして今の問題は、
「母が今も、

この成績を私につけている」という事実だ。





そして、
私自身が、
その事実に、盲目だった…事だ…。






だからこそ、
私は母に、

間違った対応を続けて来てしまったのだ…。






私は、
世間の普通の母」に対するように、
いそいそと
母の世話を焼いて来てしまった。




そして、
「普通の母」からのリアクション(感謝)を

心の中で期待してしまった。





しかし、
それは、間違っていた。






母は、
私に対しては、

「世間の普通の母」ではない。






(世間体を大変気にする母自身は、
自分は
まっとうな母親だと
強く自己主張しているが…)






世間一般の母は、
程度の差こそあれ、
そこそこ、子を愛している。






しかし、
私の母は、
私を愛しているどころか、



心から蔑み、
憎んでいるのだ。






母は、
私を

「自分の子」と認めたくなかった。




生まれた私を拒絶した。





そして、
今も、「自分の子」だと認めていないのだ






私は、
「遠縁の疎遠な老女」に対するように、
冷淡に、クールに、

母を
扱うべきなのだ。





そして、
「遠縁の疎遠な老女」からのリアクション(冷淡さ)を

期待すべきなのだ。







私の母よ、サヨウナラ。





遠縁の疎遠な老婆よ、コンニチハ。







…なんだか、寂しい気がする。





私は、「精神的孤児」だったんだなあ…。





しかし、それが、現実なのだ。






愛をくれない人から、
無理に貰おうと望むのは、
ムダだ。






もう、やめよう。


もう、あきらめよう。






その代わり、
母から遠ざかれば、
もう、

母からの精神的暴力も受けずに済むのだ。






これからの私は、
私が

平和に穏やかに
伸び伸びと生きられる道を選び、
進んで行こう。








私は、10年位前から、

急速に、
母に顔かたちが似て来た。




夫と息子から、
しばしば、
それを指摘されるようにもなった。




私自身、鏡を見て、
ギョッとする事も増えた。





ボーッと気を抜いた時、
私の顔は、母ソックリに見えるのだ。




(一方、元気よく活発に笑うと、
鏡の中に「笑った父」が現れる。)





しかし、
夫や私が
その事を母に話すと、
母は、

激しく否定する。




夫が、
「○○さん(私の名)は、
顔が、お義母さんソックリですよ~」と
笑いながら
母に言うと、


母は、
「イヤ!イヤ!!」と、

顔をしかめ、
物凄く不快な表情を浮かべ、
激しく、

首と手を
横に振るのだ。





その激しい拒絶ぶりを見て、
夫も私も、

思わず笑っていた。





母の激しい反応を、
「半ボケの年寄りの
滑稽で愚かな現実否認」とのみ、
受け取っていたのだ。




しかし、
事実は、そうではなかった。




母は、
こう考えていたのだ。



この子は、私に、少しも似ていない。


私にもし、
少しでも似ていたら、
もっと、まともな子だったに違いない。



私に似ておらず、
私の血を引いていないから、
この子は、

異常なのだ。



完全に
ダメなのだ。



この子は、
私の子ではない。」




この60数年間、
真剣に、母は
そう考えて来たのだ…。








母には、正しい知識がない。



すなわち、
子には、
父と母から、

半々の遺伝子が分け与えられ、
それが、子を形成する。



目立つ個性として表面に顕在化しなくても、
両親は必ず、

1/2ずつ、
子に遺伝子を与えている。



それを、
母は知らない。




この子は、
父の母親にソックリな性格だから、
この子は、
父方の血を引いている。



母方の血を引かず、
母にも、少しも似ていない…と、
母は、断定している。






一方、
私が20数年、
息子を観察して解った事は、


息子の目立った「個性」は、
夫と夫の父親の個性に共通している…



しかし、
部分的にハッキリと、
息子には私と「同じ部分」がある…


という事だ。





周囲の他者から見て、「目立った部分」が
その人の個性として、
周囲に認識される。





しかし、人間は、
「目立つ部分」だけで

構成されているのではない。





一見して目立たない部分にも、
その人の全体を形作る要素が、
確実に、
両親から

平等に引き継がれているのだ。





母は、
それを見落としている。



そして、
絶対に
理解しようとしない。





もし、理解すれば、
それは、

大きく母を傷つける。





だから、
「顔かたちの酷似」という顕著な現象さえ、
母は、

絶対に認めようとしないのだ。





カタワの私が、
母の血を引くとなると、
母自身にも、
「カタワの要素」がある事になる。




それは、
彼女のプライドを、一気に地に堕すのだ。





…たかが、
そんな事で「地に堕ちる」プライド。





なんと、
心貧しく、弱く、
狭量な、
惨めな、哀れな
醜いプライドだろうか…。






私の母は、
そんな陰惨な世界観で、
99年間、
生きて来たのだ … … 。





そんな陰惨な醜い信念が
少しも
揺らがなかったからこそ、


これほどまでに、
私を
憎み続ける事が出来たのだ…。